山上被告の母親と弁護側の一問一答 入信、献金、つぼ購入など詳細に
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安倍晋三元首相銃撃事件で起訴された山上徹也被告(45)の裁判員裁判の第7回公判が13日午後、奈良地裁で開かれ、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に入信した山上被告の母親が出廷した。 【家族構成】山上被告と母親ら 安倍元首相銃撃の瞬間の動画も 山上被告の母親が、証人尋問のために出廷し、証言を始めた。 母親の周囲にはついたてが設けられ、傍聴席からは姿が見えないよう配慮がなされた。 弁護側から「最初に言いたいことがあるんですよね」と促された母親は、「本来はすぐにでも謝罪しなければならなかったのですが、なかなかそうはいきませんでした。今日はその謝罪をしたいと思います。次男が起こしたことについておわび申し上げます。安倍前首相、昭恵夫人、そしてご遺族の方々に心よりおわび申し上げます」と、ややうわずった調子でゆっくりと述べた。 さらに弁護側から現在の信仰について尋ねられると、母親は「今も世界平和統一家庭連合を信仰しております」と答えた。 山上被告は一瞬ついたての方向に目をやったが、終始ななめ下に顔を向けて聞いていた。 弁護側から母親への質問が続いた。 弁護側「徹也さんが4歳のとき、何がありましたか」 母親「夫が自殺しました。仕事の関係で、アルコール中毒とうつ病のようになって、自宅療養していました。家で酒を飲む姿を見て、自分もイライラし、子どもにつらく当たりました」 「朝の集会に行くようになり、イライラが浄化されました。夫にも子どもにも優しくできた。しかし、子どもを置いて集会に行っていることや浄財(献金)がわかり、夫が反対するようになりました。他の家族も反対して、私は悔しかった」 弁護側「朝の集会でも献金をしていたのですか」 母親「はい、50万円です。夫としゅうとめは献金に反対していた。父もそうだったと思う。腹が立った」 ――夫の自殺について 弁護側「どんな気持ちでしたか」 母親「なんでそういうことをするんだと腹立たしかった。私がもっと優しくしていればこんなことにならなかったという後悔もありました」 ――当時の山上被告の兄について 弁護側「健康状態はどうでしたか」 母親「腫瘍(しゅよう)があり、1歳の時に首が大きく腫れて手術をしました。小学2年生の時には、眼球の後ろに腫瘍ができました。友達とサッカーをしていて、ボールが目に当たった。病院に行くと手術をしたほうがいいと言われ、治療をしましたが、右目を失明しました」 「頭の中に腫瘍があって、はやくしないといけないといわれて、開頭手術をしました。週3日面会に行くんですけど、足首から白い管がだらだらといっぱいついていて、二度とこんな手術させたくないと思った」 ――入信の経緯 弁護側「入信は」 母親「1991年7月ごろ、ビデオセンターで」 弁護側「入信のきっかけになる出来事は」 母親「家にいたら若い女性が訪ねてきて、『家族はお元気ですか』と聞かれ、長男のことをちらっと話した。その後、『姓名判断しましょう』『家系図を見たらいい』と言われ、3日以内に旧統一教会の施設に来てくれと言われた」 弁護側「施設でどういうことがありましたか」 母親「親族の命日や病気、離婚したとか、家系図に書き込まれました」「色々ありますねと言われました。白血病や胃がんになった親族もいたし、色々問題があるんだなと思いました」 弁護側「問題は何のせいだと思いますか」 母親「1番の先祖は神様といわれ、アダムとエヴァが創造され、間違いなく成長したらよかったが、堕落によって神様の救済がうまくいかなくなった」 弁護側「堕落というのは家系図で誰のことですか」 母親「人類全部」 ――献金について 弁護側「8月に入信して献金しましたか」 母親「はい。8月30日ごろ、2千万」 弁護側「7月に初めて会って、8月に献金したのは、どういった心の動きですか」 母親「夫が自殺してふさいでいて、長男の二度の失明、開頭手術で心を痛めておりました。夫も宗教や哲学の本を読んだりしてて、私もそういうのを読んだり、見たりして浄財してました」 弁護側「2千万の金額は誰に言われた」 母親「ビデオセンターの方。もともと、そのくらいしたらいいと思っていた。神様が電話したのかと思って不思議でした」 弁護側「次の献金は」 母親「92年3月の終わり。3千万だったと思う」 弁護側「入信から数カ月で5千万円献金したのはなぜ」 母親「恐れ、震えることもあって、もしかしたら献金かもしれないと思うようになった。長男が落球してしまって、夫と母に祈っていた。寝てしまったが、目が覚めたら母がにこっと笑っていて、これはしてもいいんだなと思った。見えない世界を否定するのではなく、こういうこともあると感じました」 弁護側「落球とはということですか」 母親「目玉が落ちることです」 弁護側「献金したのは長男の病気が大きかったのか」 母親「大変大きかった。長男の命がどうなるかわからないと思った」 弁護側「5千万払えば助かるかもしれないと思った」 母親「はい。命がなくなったらお金があってもどうしようもないと思った。他の子に申し訳ないと思ったが、あの子の命を守りたいと思いました」 弁護側「ビデオセンターの方に3千万円寄付したらどうかと言われたのか?」 母親「はい」 弁護側「夫の生命保険金はいくらだったのか?」 母親「6千万円」 弁護側「そのうち5千万円を献金したのか?」 母親「はい」 弁護側「何かもらえたりする?」 母親「その時は何ももらえなかった」 弁護側「盾やメダル、つぼなどを買った?」 母親「つぼは買った。あと絵画、絵です」 弁護側「いくらくらいだったか」 母親「絵は100万くらいだったかと思います。70万円かもしれない。ちょっと覚えていない」 弁護側「つぼはいくら?」 母親「多分70万円くらいかと」 弁護側「5千万円とは別にということ?」 母親「そうです」 ――事務所を売却して献金しようとしたことについて 弁護側「不動産にしたことは?」 母親「東大阪の父名義の事務所を売ったらどうかと思って、不動産屋を訪ねた。父に言う前に事務所の人が『社長、家売るんですか』と言って大騒ぎになり、売ってはない」 弁護側「何のために?」 母親「献金するためです」 弁護側「いくらか?」 母親「1千万円台かと思います」 弁護側「お父さんは会社を経営していた?」 母親「はい」「トンネルを掘る下請け会社を」 ――山上被告が高校生の頃の献金について 弁護側「山上被告が高校の頃献金はしていた?」 母親「どこら辺かはわからないけど、夫の供養ということを言われて1千万くらい出した」「自殺しているので、あの世では苦しいと聞いていたので、できればそうした方がいいと思いました」 弁護側「1千万円献金しないとどうなると?」 母親「覚えていないが、供養はお金の額よりその人が何に苦しんだかとかを探し求めて本人の遺志を慰めて私の心も慰められるのが本当の供養だと思った」 ――韓国への渡航について 弁護側「韓国にはどのくらいで行ったか」 母親「93~94年に修練会で3回、うろ覚えだが行ったと思います。その他はあまり覚えていないです」 弁護側「長男15歳、山上被告14歳、長女10歳で子どもを置いていったのか」 母親「はい」 ――母親の父が死亡後の献金について 弁護側「98年に父が亡くなりどんなことをした」 母親「(父の)会社の事務所や住んでいる家を売って献金しようとしました」 弁護側「両方でいくら」 母親「4千万円ちょっと献金しました」 弁護側「その額は指定されたのか」 母親「いいえ、自分で。住んでいる家を売るときはためらいがありましたが、長男が『死にたい』と言い出して、献金しないといけないと思いました」 弁護側「長男は19歳、被告は18歳、長女は15歳。進学など子どもたちの将来がなくなってしまうとは思わなかったのか」 母親「何か道があるだろうと思いました」 弁護側「自身も夫も大学を出ているが」 母親「そこまで価値があるとは思いませんでした。夫も亡くなりましたし、学校よりも生きる意味を感じて元気に明るくなってほしいと思っていました」 母親の証人尋問は午後5時過ぎに終わり、この日の裁判は終了した。母親への尋問は18日の第8回公判で再開されることになった。
朝日新聞社
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