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ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

チェコ女性、チェロでロック

2011-05-08 00:53:11 | ヨーロッパ

 ”Piosenki do snu”by Tara Fuki

 チェコのチェロ弾き語り女性のデュオ。つまり、チェロ2台と女性ボーカル二人の掛け合い、それだけで成立している音楽なのだ。
 けれど、とてもスリリングであり、手に汗を握りつつ一気に聴いてしまう。そのスリルに身をゆだねているのが、非常な知的快楽、と感じられる。

 いかにも東欧らしいと言おうかチェコらしいと言うべきなのか、哀感漂う旋律の中に、二人の奏でる底鳴りのするチェロの響きが複雑に絡み合い、パワフルなリズムを打ち出す。とても思索的で構築的な世界がモノクロームな静けさを伴って展開されて行く。
 当方には一言も意味の分からぬ異境の言葉がロックのテンションを持って歌い上げられ、不思議な血の騒ぎを心臓に送り込んでくる。

 あくまでも知的抑制の効いた表現の中で時に、二人の女性の秘められた激情が炸裂する。その瞬間の輝きは、ギラリと暗い祝祭の感覚を闇に描いて消え去って行く。
 ヨーロッパが内に抱えた、闇の深さと豊かさを垣間見せるような、妖しい儀式を予感させる一枚だ。





本間千代子についてダラダラ書く

2011-05-07 02:59:02 | その他の日本の音楽

 ”本間千代子・ゴールデン・ベスト”

 いずれにせよこの歳になって自分がガキの頃に本間千代子のファンだった事を思い出すなんて、これほど取り返しのつかないこともあるまい。どの道、こんな話に誰も興味を持たないだろうからどうでもいいとは言うものの。
 ファンと言っても、これから思春期に入ろうかと言うガキのことであるからたいしたファン活動はしていない。彼女のレコードも買わなければ映画を見に行ったこともない。そもそも自分がファンであるという自覚もなし、ただテレビに出ている彼女を見ると、なんか好いたらしい気持ち(From昔のタモリクラブ)になるなあと感じてはいた、レベルの記憶なのである。そうかあ、最初に好きになった女の芸能人は九重祐美子だと思っていたんだが。

 知らない人のために書けば本間千代子と言うタレントは幼い頃から児童合唱団や児童劇団に属し、中学生の頃から子役として活躍、その後、昭和30年代の中頃から”清純派”として映画界で本格的に活動を始める。多くの人の記憶に残っているのは当時の歌う青春スター、舟木一夫などの相手役で学園ものなどに出ていた姿ではないか。
 などと今、ウィキペディアを書き写していて驚いたのだが彼女、その人気の絶頂期の21歳の時にいきなり結婚、芸能界から遠ざかって行く。そうか道理で、急にその名を聞かなくなったわけだ。

 それにしても、こんな言い方もないものだが、ちょっとおっちょこちょいな人なのではないか。21歳で結婚(あ、守屋浩と結婚したのか。そうだったのか)も早いが、すぐに別れて30代で再婚、その後も子育てが終わった48歳の時に、若い頃からファンだった石原裕次郎の母校に憧れて慶応大学に入学してしまったりする。行動力がある、と言うべきなのか。
 いや、そもそもこんな文章を書く気になったのも、偶然、You-tubeで出くわした彼女の最近のフリートークのおかしさに、やあ、若い頃の彼女のこんな面をその気になればリアルタイムで接し得たのに惜しい事をしたなあ、などと悔し紛れからであるのであって。

 そのYou-tubeや先日発売になったベストアルバムで聴く本間千代子の歌声は、さすがに幼少の頃から児童合唱団で鍛えられ児童歌手として実績のある彼女らしく、クラシック的発声法による、ほとんど素っ頓狂とも言うべき甲高い代物である。
 この独特の硬質の高音が、彼女の歌に不思議な現実離れの感触を与えていて、収められている曲を聴いても、あまり古さを感じない。もともと別世界でキンキン響いていた歌声であるので、時代の波も洗いようがなかったのではないか。

 今聴いた印象で彼女の曲を二つに分けることが出来る。当時の若者の心情を描こうと意図した、当時なりにナウい青春ソングと、戦前から続いているような古色蒼然たる歌謡曲の系譜である。そして、そのどちらも彼女のプラスティックな(?)高音の破壊力によって本来の意味を剥ぎ取られ、不思議ない世界の様相を呈している。シュールな絵画を眺めるような気分。
 これ、現時点ではそういうものとして楽しんでしまっているのだが、リアルタイムでは誰も変とは感じなかったのか。いや、感じなかったから普通に彼女は歌手をやっていられたのだろうけど。

 というか、こんな事を言い出すのは今も昔も私くらいのものか?
 と、ようするに私の変なもの好きはその頃からだ、ということで。まあ、変なのはこちらの方かも知れません。そりゃそうだ。それにしても、これがファンだった者の書く文章か、という・・・



アフリカン・ファンクの面影

2011-05-06 04:28:35 | アフリカ

 ”Afro Beat Airways ”

 というわけで。もう当方にとっては「絶対はずれないシリーズ」と化している”アナログ・アフリカ”のシリーズより、また新しい物件が届いた。今回、アフロビート・エアウェイズとは、なんとも心広がるタイトルだろう。
 内容は、70年代の西アフリカはガーナとトーゴでご当地ローカルバンドとして活躍していた連中がその土地のレーベルに残した録音の復刻集である。どれも期待通りのぶっ飛んだアフロ・ファンクで、広大なイメジネーションとエネルギーの奔流の痛快さに喝采を叫ぶしかない。

 一見、田舎のうらぶれたファンクバンドの空騒ぎかと思わせて、青天井の粗末な下町のディスコから一気に宇宙まで吹っ飛んで行くようなスケールの大きな陽性のパワーの発露が楽しい。
 やはり当方の世代としては、各バンド、好んでフィーチュアする”コンボオルガン”のサイケなソロなどに興味が行ってしまうのは仕方のないところ。いや実際、当時の安物のオルガンの平べったい音が妖しげにアドリブのフレーズを繰り出すと、「おお、まるでレイ・マンザレクではないか。そうか、ドアーズは西アフリカの地に忍び込み、生きながらえていたのだ!」などといい加減な歓声も挙げたくなろうかというものなのである。

 それにしてもこの連中のこの音楽の流れと言うもの、どうして今日まで発展しつつ受け継がれなかったのか。今、彼らの音楽の継承者と言うのも見当たらないわけで。まあ、各国、いかにもアフリカらしい事情あり、なのは分かっているつもりだが、それにsても。
 なんて感傷的になってみると、なんだか永島慎二の青春ものの漫画など読んでいる気分になったりするのだった。彼らの音楽を、”どこにも行き着けなかった若者たちの夢の残滓”などと読んでみるとね。
 いや、こんな音楽を聴きながらそんなものを思い出すことはないんだが。




夜の巷の冥い歌

2011-05-04 02:26:33 | 時事


 あれは私がまだ毎日、真面目に仕事とかしていた頃だから、もうずいぶん前の話になる。

 ともかく私はその時、当時流行りだったフィリピン・パブなんてところへ出張して、カウンターの中に頭を突っ込み、依頼された作業などしていたわけだ。
 まだ開店準備中の店内は薄暗く、有線の演歌が控えめなボリュームでBGM的に流れていた。ママもまだ店には来ていず、フィリピン人のホステスが二人、ダラダラ店の掃除をしながら、の~~~んびり世間話を故郷フィリピンのタガログ語でしていた。
 私は作業しながらその二人の、もちろん内容なんかまったく分からない会話を盗み聞きし、「へえ、タガログ語ってのは、こうしてのんびり聞いてみると、まるで天国から降ってくるみたいな極楽感のある響きをしてるんだな」などと感心して聞いていたんだ。

 まあ、動き出す直前の歓楽街独特のダルい時間が流れていたんだが。その時私は気がついたんだよ。店のBGMがさっきから、妙に陰気くさい音楽を流していることに。
 そいつは音楽の形式で言えば”音頭”という奴だった。三波春夫先生が得意としていた”東京オリンピック音頭”とか、そういうタグイのものだね。国のマツリゴトから桜が咲いたとかなんでもいい、ともかくすべての出来事はおめでたい、という思想に元ずき、浮かれて歌ってしまおうって音楽だ。いや、真面目に研究すればもっと深いものがあるんだろうけどさ。

 ともかく有線から低い音量で店内に流れていたのは、そのタグイのおめでたい曲調の音頭だったんだけど、な~んかその出来が変なんだな。歌っているのは男の演歌歌手らしいんだけど、その調子が実に暗いのだ。
 口の中でモゾモゾ、不明瞭なこもり方をする歌唱法で、なんだか申しわけなさそうに聴こえる情けない歌声を響かせている。
 歌詞内容は、なにやら関西のほうで大きな祭りがある、さあさ皆さん集まって、めでたい祭りを祝いましょ、みたいな歌詞だったと記憶しているのだが。ともかく、その歌手の陰々滅々とした歌声のせいで、聴けば聴くほどうら寂しい気分に襲われて行く音頭だった。めでたい事を歌っているはずなのに、まるで歌われているその地方で昔、非常に悲しいことがあって、その事美を悲しんでいるみたいにさえ、聴こえていた。

 そいつが、薄暗い開店前のフィリピン・パブの店内に聴こえるか聴こえないか位の音量で殷々と流れて行く。なんだかやりきれない気分になってきたが、「有線のチャンネルを変えようよ」と言うにしても、フィリピン人のホステス二人に、この事情を理解できるように説明するのはいかにも面倒だ。しょうがないから倍速で仕事を済ませてカウンターから這い出、ホステスの一人に伝票にサインを貰って帰ってきたのだが。
 後日、あれこれ調べてみはしたが、そのような歌の存在を確認は出来なかった。それは、日本に存在するすべての曲に当たれたわけでもなし、調べ洩らしもあるだろうけど。けど現実問題としてあんな辛気臭い音頭があるものか、とは思う。

 そして、あの阪神淡路大震災が起こったのは、それから数日後のある朝だった。私は嫌な湿り気を心に生じさせつつ、それなりの得心をした。あ、「関西で」ってのは、これのことだったのか。あの歌はこの災害を予言していたのか。
 それを、陰気くさい歌声で「でかい祭り」とか「めでたいことがある」と歌うなんて、なんと社会に対する悪意に溢れた趣向だろうか。
 お前は何を書いているのだ、とそろそろ怒る人がいても無理はないって感じだが、いや、以上のような事を、まあ妄想なら妄想でかまわないが、私が確かに体験してしまったのだから仕方がない。

 ともかくですね、不吉な未来を予言する正体不明の、誰も歌った覚えのない歌が、その出所を人に知られることもなく、紅灯の巷で泥酔者の隙を見てはスピーカーから流れ出ている、そんなイメージなんですが。それはそれ以来、大規模で悲惨な社会的事件がおこるたびに私の頭の隅を横切る、陰気な切り絵の様なものとなったのだ。
 で・・・今回の東北を襲った地震を予言するような歌など、聞かれた方はおられませんかねえ?
 いやまあ、これだけの話ですよ。拡散、希望しません。書くこと自体、不謹慎なんだからね。いや、お気を悪くされたらすみません。





すべての美は悲し

2011-05-02 04:51:40 | ヨーロッパ

 ” All Beauty Is Sad ”by Ophelia's Dream

 いろんな人がいろんなところで言っていますな、あの”3・11”の大震災以来、どうも何を聴いても楽しめないし、どんな本を読んでもその世界に入り込めない、なんてことを。私もまあご多分に漏れずで、なんか調子が出ない、不完全燃焼のストーブみたいな、といいますか、なんか鬱に降り込められちゃった、みたいな気分で暮らしている次第で。
 もうこうなったらしょうがないから持ってる音盤の中でも特に悲嘆の度合いの強い物件をあえて持ち出して逆療法にかかろうか、なんてのが今夜の趣向です。

 とりいだしましたるはドイツの男女二人による音楽ユニット、”Ophelia's Dream”のデビュー作、”All Beauty is Sad”であります。なんたって「すべての美は悲し」ですからね。ジャケには、これはボーカル担当の女性ですかね、彼女が大振りの古文書かなんかの上に横たわり、虚空を見上げている様子が、なにやら戦前のドイツ表現主義っぽいモノクロ風の写真で捉えられております。中ジャケを見てもどこやらの墓所で、誰の逝去を悲しんでいるのでしょう、悲嘆に暮れるメンバー二人の姿を捉えた写真が数葉。二人は完全に喪服に身を固めております。これは聴く前から心落ち込まずにはおれません。

 音の方は、教会オルガンを模した男性メンバーの奏でるシンセの荘重な音が鳴り響く中、ティンパニが打ち鳴らされ、女性コーラスが分厚い悲嘆の壁を構築する中、完全にクラシックの技法によるボーカル担当の女性のソプラノ・ヴォイスが高らかに響き渡ります。この壮大なオープニングにより、悲嘆劇の幕が上がります。
 その後は、シンセ多重録音によるドラマチックなオーケストラが、遠い過去よりすべての人が歩いた、人生の苦しみの足跡を拾って歩くみたいにオルガンが、ピアノが、丹念に哀しみの旋律を辿り、ともかくすべてが悲嘆、そして「ここぞ」と言うところに登場して究極の悲哀を歌い上げるソプラノ・ヴォイス。

 ともかく、「何がそんなに悲しいのだ?」とか訊ねてみたってしょうがない、この哀しみの様式美の大伽藍に迷い込んだら、人はただただ、この古きヨーロッパが醸造したマイナー・キーの悲嘆の湖に溺れ、酔い痴れるよりないのです。
 そして人は、この哀しみの岸辺に水死体として打ち上げられた後、なにごとかの法力によって蘇り、何事かを得てまた歩き出すのでしょう。あるいは死んでそのまま終わるか、だ。



利権原野

2011-05-01 22:32:56 | 時事
 皆、菅を悪く言うが、俺もあんまり支持する気になれないが、しかし、奴の後に出て来る総理は東京電力支持の立場だよ。そういう筋書きにしかなっていないと思う。その辺、考えているか?

 菅に「やめろコール」を送っている連中の意図するところはつまり、東京電力への免責を認めようとしない菅をなんとしても辞めさせたいのだ。と認識してみると、そこに原発利権の勢力分布図が浮かび上がってくるわけだ。あいつもか。あいつもか。凄いねえ。

漢江を渡りてジーザスは

2011-04-30 02:37:46 | アジア

 ”CCM for Consolation”

 まるで信仰心なんてないくせに、宗教音楽となると変に入れ込んでしまう私が最近、気になっているのが、韓国のCCM(contemporary christian music)なのでありますが。

 まあ、欧米のゴスペルの影響下に、その国なりのキリスト教系ポップスを作り上げた、なんてあたりはインドネシアのロハニなんかと同種のものかとも思えます。結構洗練された都会派ポップスの相貌を持っているのも共通している。
 が、ロハニと比べると、あの南国の熱情とラテンの血の騒ぎみたいなものは見受けられません、韓国のCCMには。代わりにあるのは爽やかさ、でしょうか。ある韓国通の人のブログの表現によれば”パステル調のポップス”と言うことになる。朝の目覚めのBGMには、ちょうどいい感じ。胃にもたれない軽さで綺麗な、そしてちょっぴり切ないメロディがクリアな発声のボーカルによって爽やかに歌われて行きます。

 とはいえ、先のブログでは「韓国語の分からない人には、気持ちよく楽しめるでしょう」なんて苦い(?)一言で紹介文は終わっているのであって。
 なにしろ教会での礼拝の際にも歌われると言うCCM、歌詞はやはりディープなキリスト教信者のためのものであり、そうでない者にはかなりの違和感を与えるものなのであろうかと思われますな。
 爽やかに聴いていられるのは、語学力なきゆえに韓国語をただの”サウンド”として聴いてしまえるのが幸いといえるのかも知れません。まあこれはロハニなんかも同じ、というかゴスペルだってカッワーリーだって同じことだろうけど。

 ここに取り出しましたるは、”CCM for Consolation”なる、4枚組CD。わざと、一番俗っぽそうなのを買ってみました。
 このタイトルといい、きれいなモデルのお姉さんがおしゃれにポーズをとっているジャケといい、どうもあんまり生真面目な宗教っぽさは感じません。なんか、リラクゼーションのためのアロマオイルのパッケージみたい。
 で、収められているのが石鹸の匂いがしそうな健全な男女の歌手の爽やかポップスというわけで、もしかしたら現地では特にクリスチャンに限定せずに、普通に”癒しの音楽”として大衆に受け入れられているのかなあ、などとも思えてきます。まあ、歌詞の問題はひとまずおくとして。

 でもいいのかなあ、こんな風に「疲れなくていいや」とか言いつつ気軽に聞き流していて。まあ、私が韓国語を理解できるようになる日は、もし来るとしても相当先のことにあるだろうしね、とりあえず、このまま。

 下に試聴として、これはカバーもかなり多いし、韓国CCMを代表するナンバーと言っていいんじゃないでしょうかね、「愛されるために生まれた」なる曲を貼っておきます。画面に歌詞英訳が出るんで、その世界を理解する一助となるかと。まあ、この曲なんかは、あんまり賛美歌っぽくはないけど。



生きている君たちが

2011-04-29 04:00:59 | 時事

 福島第1原発:学校の放射線量目安、市民団体も撤回要求

 福島第1原発事故で、文部科学省が福島県の小中学校や幼稚園での屋外活動を制限する放射線量の目安を決めたことについて、原子力資料情報室など六つの市民団体は27日までに「大人よりはるかに高い子どもの感受性を考慮に入れていない。年20ミリシーベルトを強要する政府に抗議する」と、決定の撤回を求める声明を出した。

 声明は、目安とされた「年間の積算被ばく放射線量20ミリシーベルト」を「原発作業員が白血病で労災認定を受ける基準に匹敵する」と強く批判。また、学校側の自主的な防護措置を妨げる恐れがあり、文科省と原子力安全委員会による決定プロセスも不透明だとした。

 ☆2011年4月27日・毎日新聞”毎日Jp”の記事より。
(http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110427k0000e040013000c.html)






ジャワ追憶

2011-04-28 02:28:32 | アジア

 ”Jawa in Orchestra”by Semarang Fantasy Orchestra

 これは切ないアルバムであります。民俗楽器を含む大オーケストラ編成で、ジャワの民謡端唄のタグイを交響曲にアレンジして演奏している、そういった企画ものです。
 まあ、生真面目なファンの人は怒るかもしれない代物なんだけど、ともかくすべてを”懐かしさ”に包んで、情感溢れる演奏に仕上げているんで、ジャワ方面の音楽を古くから聞いてきた方はたまらないんじゃないでしょうか。

 遠眼鏡の向こうの風景は、懐旧の涙の中のジャワの風景は、まるで子供の頃の縁日で見た幻灯機の映像みたいに闇の向こうにほの明るく頼りなく灯って、揺れているのであります。もう、たまらなくジャワに帰りたくなりますな。
 いや、帰るってのは変なんだ。私が昔から言っているように、”いもしなかった所には帰れません”と、そういうことなんでね。でも。
 このアルバムに溢れる濃厚なノスタルジィに浸っているうち、なんだか自分が子供時代をジャワで過ごした、みたいな勝手な幻想が生まれてきて、ふと荷物をまとめてジャワに帰ってしまいたくなる。行ったこともない、あの故郷に。

 聴いているうちに何度も思い出したのが、昔読んだ”怪傑ハリマオ”のモデルになった、日本人の評伝でした。
 日本人の血を引いてマレイの地に生まれ育った彼は、折から起こった太平洋戦争に、その立場ゆえ引きずり込まれ過酷なかかわり方をさせられるんですが、最後の時には彼を育んだマレイの地にあるイスラムの墓所に自ら望んで迎えられて行く。
 そんな”ハリマオ”の、南の地への口には出さぬままだった想いが静かに香る、そんな空想をさせられる幻想絵巻のようなアルバムです。

 この音楽、この場に貼りたかったんですがね、どうもネット上にはないようだし、にたようなものも見つからない。残念です。しょうがないから、というのも失礼な話だが、ジャワの大歌手、ワルジナーなど貼っておきます。



森の少女 from 韓国

2011-04-27 01:11:54 | アジア

 ”dream light”by lu sienna

 はい、正直に申告いたします。上のジャケ写真をご覧になってお察しの通り、ジャケ買いの一発であります。一目見て、即”買い”でありました。このルックスで歌手名が”lu sienna”となると、欧米人とのハーフの子かも知れないな。
 もっとも、中ジャケの写真を見てすぐに幻想は破れましたが。歌手は、普通のルックスの韓国の少女でありました。ジャケ写真にあるエキゾティックな美少女、というのはこの歌手が厚化粧をして、ある角度から写真を撮ればそういう顔に写ることもある、という仕組みのようで。いや、そうしなくても、そのままでも可愛い子なんですがね。

 韓国の実力派新人歌手のデビュー盤。何でも韓国で人気のオンライン・ゲームの主題歌など歌って人気の歌手だそうな。あちらのアキバに相当する場所で人気だったりするんでしょうか。ゲームの主題歌は、ファンの間では”神曲”だったりするんでしょうか。歌詞がなかなか幻想的だったりするらしいんですが、谷山浩子みたいな世界でも展開しているんでしょうか。興味をそそられます。

 音楽の出来上がりは、なかなかに爽やかなフォークロックで良い感じ。癒されます。 特に、韓国の実力派歌手にありがちな、ハスキーな声を「ドスコイッ!」と力んで熱唱に持って行ってしまうやり方ではなく、あくまでナチュラルな、”普通の女の子”の声質をキープしたまま朗々と歌い上げる歌唱法は、凄く好ましいと思います。このまま行って欲しい。
 雨上がりの森を吹き抜けて行く風、みたいな涼やかな曲想とアレンジ、そして歌声は、歌詞の分からない当方も現実のもう一つ隣りにある妖精郷でのリフレッシュ・タイムをひととき、楽しめたのでありました。

 惜しいのは、これが韓国では当たり前になっている”ミニ・アルバム”であること。5曲入り、正味20分間なりの小旅行では、いくらなんでも物足りないよなあ。次回は是非、フル・アルバムをお願いしたい。