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那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

作者不明のいい話

2014年04月17日 | 芸術・表現

あるサイトで以下のような物語を読みました。感動を受けたので披露します。落ち込んだときにぜひ読んでください。

文中に出てくる「the rose」はこの曲です。https://www.youtube.com/watch?v=CB4EgdpYlnk

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落ち込んだ時、読むと元気が出る!「87歳の大学生」

学校が始まる最初の日に、教授は自己紹介の後、私たちに、まだ知らない人と友達になってみなさいと課題を出した。私は立って、周りを見回したとき、誰かが肩を優しくたたいた。 振り返ってみると、しわくちゃの小さいお婆さんがまるで彼女の全身を輝かせるほどの笑顔で私を照らしていた。

彼女が言った。「やぁ、ハンサム君。私はローズよ。87歳なの。ハグしていいかしら」私は笑って、熱烈に答えた。「勿論ですよ!」彼女はとびきり強く抱きしめてきた。「どうしてそんな若くて、無垢な年齢で大学に入ったのですか?」私は尋ねた。彼女はジョーク一杯に、「金持ちの男を見つけて結婚し、子供を生むために大学に入ったの。」「いや、冗談抜きに」私は尋ねた。
一体何が彼女にそんな年齢になってまで大学に入ろうと思わせたのか興味があったからだ。

「私はいつも大学に入ることを夢見てたの。そして今、夢を一つかなえたのよ!」
授業が終わり、私たちは学生会館に歩いていき、チョコレートミルクシェーキを分け合った。 私たちはすぐに友達になり、それから3ヵ月、毎日一緒に教室を出てエンドレスに話し合った。 私はいつも、彼女の話す知恵と経験に富んだタイムマシンのような話に魅了された。
その年の履修が終わる頃には、ローズはキャンパスのシンボルになり、どこへ行ってもすぐに友達になれた。
彼女は着飾ることが好きで、他の生徒から彼女に向けられる注目を大いに楽しんでいた。

学期の終わりに、ローズに話してもらうために、私たちのサッカーの祝宴に招待した。 私は彼女が教えてくれたことを決して忘れないだろう。
彼女は紹介されたのち、演壇に立った。彼女は用意したスピーチのカードを持ち出すとき、床に落としてしまった。
カードがうまく取れなくて、イライラと恥ずかしさを感じながら、彼女はマイクに身を乗り出し、シンプルに言った。

「ごめんなさいね。今日は神経が立ってるみたい。キリスト教のレントの期間にビールを絶っていたから、このウィスキーがとても最高だったの。」
スピーチの原稿がうまく取れそうにないから、私の知っていることを話しますね。私たちが笑っている間、彼女は喉払いし、話し始めた。
「私たちは年を取ったから遊ぶのをやめるのではありません。
遊ぶのをやめるから、年を取るのです。若くあり、幸せで、成功を成し遂げるための秘訣は4つしかありません。毎日、笑ってユーモアに生きなければなりません。夢をもたなきゃいけないわ。夢を失ったとき、あなたは死んでしまう。

死んだまま歩き回っている人がたくさんいるわ。そして死んでいることにさえ気づかないの。 年を取ること(growing older)と成長すること(growing up)の間にはとてつもない差があります。もし、あなたが19歳で、一年間ベッドに寝たままで生産的なことを一つもしなくても、あなたは20歳になります。
私が87歳で、もし一年間ベッドに寝たままで何もしなくても、私は88歳になります。誰でも年を取ることはできます。
それは才能も能力も必要ありません。
いつでも変化する機会を見つけることが成長をもたらすのです。

後悔してはいけません。 年寄りはいつも「したこと」は後悔しませんが、「しなかったこと」を後悔するのです。後悔する人だけが死を恐れるのです。」
彼女はスピーチを締めくくり、勇敢に「The Rose」を歌い上げた。
彼女は私たちに歌詞を覚えて、毎日そのように生きるように励ました。
その年の終わりに、ローズは何年も前に始めた大学の学位を終え、 卒業後、一週間して穏やかに息を引き取った。

自ら手本を示しながら、あなたが何かを目指すのに遅すぎることは決してないと教えてくれたその素晴らしい女性の葬儀には2000人以上の大学生が参列した。
これらの言葉はローズの美しい記憶を通じて伝えられてきた。
「忘れないでください、誰もが年を取るけれど、成長するかどうかはその人次第なのです。」私たちは手に入れたもので生計を立て、与えたもので人生を形作る。
合掌   -作者不明-



サタジット・レイ『大地のうた』

2014年04月16日 | 芸術・表現

 

先ずお断りを。前回紹介した記事の引用元が2つのブログに分かれているらしく、より具体的で分かり易い記事が書いてあるほうのurlをブックマーク(一番下)にリンクしました。婦人相談所と児童相談所には絶対に行かないように、という趣旨の記事です。そのブックマークをクリックして下さい。最新記事に「隠された情報」が分かり易く書いてあります。

次いで恒例の「主権回復を目指す会」の西村修平さんの名画鑑賞会のお知らせです。

映画ファンなら絶対に見るべき傑作『大地のうた』の批評とともに、優れた芸術論が述べられていて、市民運動家・西村さんのもう一つの感性が溢れ出ています。何も付け加えることはありません。こういう映画を作る日本人監督が出てきて欲しいですね。今は「当て込み映画」(受け狙いの意味。戦前の小型映画の批評用語)ばかりでうんざりします。

映画を鑑賞して、その後西村さんと芸術の話、政治の話などする絶好の機会です。ぜひ参加してください。4月20日です。

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西村修平が語る日本イズム

http://nipponism.net/wordpress/?p=27152 

<第12回名画鑑賞会『大地のうた』(監督:サタジット・レイ) 1955年/インド >


インドは製作本数からだけいえばアメリカ、日本と並んで世界の三大映画大国である。しかし、その大部分は『踊るマハラジャ』に象徴されるようなインド独特のミュージカル映画で、文芸作品としての国際的知名度は余り知られていない。

そうしたなかで、インドから初めて世界に第一級の芸術家として認められたのがサタジット・レイである。一言、『大地のうた』はまれに見る秀作である。この映画を見れば彼が、疑いもなくわが溝口健二や小津安二郎と比肩しうるアジアの巨匠であることを誰しもが納得するはずだ。

私論であるが禅問答的な言い方をすれば、音楽とは音ではなく「静寂」(サイレンス)を奏でること。絵画とは対象物ではなく「余白」(空間)を描くことにある。同じく色彩を論ずるなら、「白黒」(モノクロ)のなかにこそ真の色彩があるとも。

今回、主権回復を目指す会の名画鑑賞会が上映する『大地のうた』(監督:サタジット・レイ)はフイルム事情、その処理技術も十分でなかった時代、画面も相当粗い白黒映画である。

映画はインドの貧しい人々の生活を背景に、姉と弟の幼児期の思い出につながる感慨を主題にしているが、決して、貧困をエキゾチックな好奇心の対象とした安物ではない。

姉に連れられて遠い原野の彼方に汽車を見に行く不安と心の高揚、背丈を覆う草草。大雨が降る直前の沼の静寂、水面を走る水すましと波紋。

死んだ姉が金持ちの子から盗んだ首飾りを幼い弟が見つけ、姉の名誉のために葬儀の直前、それを沼に捨てる。水面を覆っていた水草が丸く輪を開き、ゆっくりと静かに環を閉じる。風景がそのまま人物の心理を描写する圧巻のシーン、白黒のなかに眩いばかりの色彩が乱舞するシーンである。

色彩という感覚を排除するからこそ到達できる表現であり、故に、白黒のなかにこそ真の色彩があると。カラーでは撮れない、白黒でしか撮れない色彩を私たちに示してくれるのだ。同じアジアの同胞として、サタジット・レイ監督に心からの敬意を表したいのである。

 1956年第9回カンヌ映画祭特別賞(人間的記録映画賞)受賞作品 劇場公開(東和=ATG)1966年10月11日
 脚本:サタジット・レイ、撮影:スブラタ・ミットラ、 音楽:ラビ・シャンカール

 日時:4月20日(日) 17:40開場 18:00上映開始 
 場所:神保町区民館(千代田区神田神保町2-40 03-3263-0741)

地図:http://www.city.chiyoda.lg.jp/shisetsu/kuyakusho/007.html
アクセス:JR都営三田線水道橋駅から徒歩10分、東京メトロ半蔵門線・都営三田線・新宿線神保町駅から徒歩5分

会場負担金:500円(任意)
主催:主権回復を目指す会 ◆連絡:西村(090-2756-8794)


森麻季に感動

2014年02月02日 | 芸術・表現

報告や紹介が色々あるのですが、ハードスケジュールなので今夜は一服。

私の善き助言者が、森麻季というソプラノ歌手の歌に感動したと教えてくれました。聞いて本当に癒されたので紹介します。北原白秋作詞・山田耕筰作曲の「からたちの花」です。

http://www.youtube.com/watch?v=nC9-40wKDfM

声楽の世界ではよく「体が楽器」といいます。日本人でよくぞここまで体を美しい楽器に仕上げたものだと感動しました。まるで透明なガラスの筒に潤いのある言葉が響いているかのようで、聞いていて鳥肌が立ちます。

マリア・カラスの「夜の女王のアリア」も確かに凄いです。http://www.youtube.com/watch?v=6KxgRb8P88I この超絶技法は圧倒的ですが、日本人も潤いや艶めきでは負けていませんね。

20代に音大の声楽科に通っていた恋人と銀座の「銀巴里」で三輪明宏のシャンソンを聞いた時もショックを受けました。何度も通いましたが、一番感動したのは「ボン・ボワイヤージュ」です。検索してみると版権の関係でしょうか、youtubeを見ても、台詞の部分だけで削除されています。よくあることですね。

ではこれで失礼します。

 

 

 


競馬の話+世界観を詠む歌について

2014年01月26日 | 芸術・表現

このところ硬い話題が続いたので、今日は気楽に書きます。

医師から「ハードワークをしないように」と釘を刺されているのですが、せざるを得ない状況にあるため、週末は俗世を離れて競馬でもしようと2ヶ月ほど前から数年ぶりに再開し始めました。学生時代から続け、競馬攻略本に分担執筆したこともあるぐらい熱中していたので、以前は競馬新聞を睨むと「荒れるか硬いか」ピンと来たのですが、ブランクがあったためにカンが鈍くなり、頭の中にデータが溢れ混乱しています。こんなことにもリハビリの時間が必要なんだなぁ、と実感しました。第一用事が多すぎて真剣に専門誌を読む時間が足りません。1レースを検討するのに最低2時間はかかりますが、その前にやるべきことを済ませていると真夜中になってしまいます。

今日は荒れそうな2レースを予想し、共に本命サイドが来て外しました。即パットを使っています。3百円だけ残っていたので今日はこれでお仕舞いにしようかと思いましたが、京都の最終レースまでに30分余裕があったので、見つめていると16頭立てで11番人気の馬(ゼッケン9番)に穴を開けるファクターが揃っていたため、そこから1,2番人気と、もう一頭さらに人気薄の14番人気の「穴の穴」に馬連の3点買いをしたら、久しぶりに会心の的中でした。結果は以下の通りです。

受付番号:0003 受付時刻:16:18 受付ベット数:3
受付内容
件数 場名 レース 式別 馬組 金額 的中
(1) 京都(日) 12R 馬 連 ながし 軸馬:09
相手:01,10,11
各100円(計300円)
的中
購入金額 300円 払戻金額 7,510円

2番人気→11番人気(⑩-⑨)で決まったわけです。首の差で3着に1番人気(⑪)が来ました。

穴のファクターとは何か?当然言いません。

様々な競馬に関するデータを探していたら、サイトを開くと情報が流れる仕組みがあるのでしょうね、次々と有料予想のメルマガが届くので送信停止の作業に追われています。当たり前のことですが、本当に予想が当たるなら馬券師で生活できるので、それを会員に教えてわざわざオッズを下げるようなことはしません。先物取引の情報を教える電話も時々掛かってくるので、経済の知識として雑談をすることがありますが、本当にその通りなら人に教えず自分が買うでしょう。

一つの喩として言えば、追い切りも競馬予想のファクターの一部ですが、美浦に8つ、栗東に7つ、合計15のコース(坂路を含む)があります。かりにフルゲートで18頭が出走するとして、18頭の馬が調教の段階でそれぞれどのコースでどの程度の力で(馬なり、一杯、強め、ゴール前だけ追う、など)、何月何日に何回調教し、そのときの馬場の状態(良、稍重、重)はどうだったか、などのファクターがあり、さらに坂路以外はトラックマンが手動で計るので0.2秒程度の誤差が出ます。これを比較しているだけでアッという間に時間が過ぎていきます。「調教の読み方」だけで一冊の本が書けるでしょう(血統重視のファンのために分厚くて高価な競走馬の血統事典が出版されていますから、実際にそういう本があるかもしれません)。

いうまでもなく追い切り情報は競馬予想のほんのごく一部です。タブロイド誌なら馬柱(出馬表)の一番下のほうにチラッと出ている程度で、普通は「キリが無いので無視する」部分です。その部分にすら無数と言っていいほどのファクターが隠れているのですから、競馬は奥が深く、単なるギャンブルではない「研究分野」だというのが私の持論です。

矛盾するようですが私はカジノ法案反対で、先日も「パチンコ廃止通信」の紹介をしたばかりです。知られている通りJRAはテラ銭を25%も取ります。さらに、仮に千円を即パット用にコンビニのATMからジャパンネット銀行に入金すると150円近い手数料を取られるので(自分の口座に自分が入金するのに何故手数料がかかるのか永遠の謎です)、800円の軍資金にしかなりません。ただ、パチンコと違って頭を使うから、年金暮らしのお年寄りの遊びとして私はお奨めしています。中央競馬は週末に限られ、いくら続けたくても12レースまでで普通は4時20分に終わりますから依存症が少ない健康的かつ知的な遊びだと思います。私のギャンブルは競馬だけなので競輪や競艇については全く分かりません。

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話題一転。

五行歌について以下のような文章を書いたので、一部編集して転載します。五行歌という文芸運動は草壁焔太先生が草案され、現在世界中に50万人の愛好者がいます。趣味、芸術を通して人柄を磨く、という強い信念があるために、平易な言葉で真実を詠む、という大前提があります。当然私もそれに共感して詠んでいるのですが、一つの壁にぶつかり、八王子五行歌会の掲示板に思っていることを投稿した次第です。以下、編集引用します。

2014/01/24 (Fri) 02:53:29

いま五行歌についてあれこれと考えていることがあります。

 一つは2月に題詠を決め4月号には月刊誌に載せたいのですが、子供から高齢者まで、というテーマに若干の懸念が。というのは今の子供たちは悪平等のために運動会でも全員一等賞になるぐらいだから、投稿して三席から漏れたときに傷つくのではないか、ということ。私は歌会を3回主催しながら毎回選外ですが、全く気にならないけど、子供の心を傷つけたら悪いし、といって同情(愛情)票が入るのも不自然だし・・・これが悩みの一つ。

次いで一首で「世界観」を詠みながら、かつ草壁先生のいう「自己神秘化」していない作品の模索です。私は今意識的に掟破りの仏教用語や観念語を使ってそういう歌を試作していますが、誰にでも分かる口語で世界観を表した歌を少し拾ってみました。

生まれ子がしだいしだいに知恵づきて仏に遠くなるぞ悲しき(一休禅師。後世の引用と少し違いますが、こっちのほうが一休らしい気がします)

心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん(伝・菅原道真)

我が我れと思う我が身は天の我れ我がものとては一物(いちもつ)もなし(黒住宗忠)

何事のおはしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる(西行)

心こそ心迷わす心なれ心に心心許すな(沢庵禅師)

かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂(吉田松陰)

次いで俳句ですが私の大好きな

鶏頭の十四五本もありぬべし(正岡子規)

普通の感性と知性だけでは徐々に訳が分からなくなります。「○○○○ その人と作品」といった解釈学の中で創造的批評により世界観の意味が明瞭になってくるものでしょう。
 普通は歌集や句集といった形で多数の作品を並べることにより言わばスナップショットを次々と見ているうちにその人の世界像や人生観や人柄が分かります。

しかし、一首、一句で世界観や人生観を一気に詠んだものの中にはどうしても謎が混じります。その謎を消そうと模索している訳です。

最後に解釈の仕方次第で意図が大きく変わる典型的作品を・・・と書いたところで夜中の2時半になりました。尻切れトンボですが後日にします。

 

2014/01/25 (Sat) 01:35:59

一首で世界を詠む歌について、凄いのを書き忘れていました。

あわ雪の中に顕(た)ちたる三千大千世界(みちおほち)またその中にあわ雪ぞ降る(良寛)

痺れますね。情景に込められた心境の高さは別格と思います。 また上に書いた

心こそ心迷わす心なれ心に心心許すな(沢庵禅師)

は、リズミカルな言葉遊びとお説教、と思われるかもしれません。しかしこの歌は知る人ぞ知る柳生但馬守宗矩に宛てた手紙(不動智神妙録と言われるが異説もある)に添えられた歌で、その手紙は『五輪書』『兵法家伝書』と並び剣道・武道の極意の書と言われています。これは斬り合いの最中の心の置き所を示したものです。

一首、一句の中に世界を詠み込む、という特殊な歌はどうしても禅など宗教に集中します。神道における言挙げと同様、禅も「言葉で真理は語れない」つまり不立文字の思想が根本にあります。尤も言葉を捨ててこそ言葉が自在になるという逆説が働くので禅者が書いた本は無数にあります。

ところで、辞世の歌も死ぬ間際に残すため思いのたけを詠み込みます。赤穂義士の辞世を紹介した通りです。この事件の発端になった浅野内匠頭の辞世の歌

風誘う花よりもなお我はまた春の名残をいかにとかせん

は凄まじい魂魄のようなものを感じます。

出だしの「風誘う花」は、伝統的には逆に「花誘う風」とされているようです。例えば

花誘ふ嵐の庭の雪ならで 降りゆく者は我が身なりけり(入道前太政大臣)

千萬の仇に迎えるもののふも 花誘う風はすべなかりけり(賀茂懸主季鷹)

という具合に「花誘う風」という言い回しは古くから「風が花(桜)を散らせる」場合に使われています。花が散るのを風が誘う、つまり花を風が連れ去っていく感覚でしょう。

「風誘う花」は詳しくは分かりませんがかなり珍しいのではないのでしょうか?花が子供のように風を慕って戯れている情景が浮かんできます。
 この歌を詠んだ旧暦の3月14日は現在の4月下旬で牡丹の花が咲く頃、風が吹いてもまだ散る桜の花が残っている時期と捉えてみます。当時浅野内匠頭は35歳だったことなど合わせると

風が吹いても未だ桜が散り、春の気配が残るこの季節、私はそれ以上にまだ青春の香りを残す年でありながら、お家断絶となって死んでいくこの思いをどのように表せばいいのだろう

という、言葉にならぬ思いを辛うじて言葉にした名歌だと思います。とにかく煩悶の深さが響いています。

ここに私の勝手な解釈を加えます。

春の名残をいかにとかせん、は「張るの名残をいかに解かせん」の掛詞で、「この張り裂けそうな遺恨をどうやって晴らせばいいのだろう」と解釈します。これはコジツケというほど突飛なものでは無く、短歌をかじった人なら普通に読み取る範囲でしょう。

そしてこの浅野内匠頭の魂魄を受けた義士たちが怨霊を鎮めるために討ち入りを決行したと考えます。

ストンと胸に入る歌、ズドンと胸を揺さぶる歌、また解釈の仕方によって益々想像が広がる歌、歌い手の背景を調べ読み手も経験を重ねるに連れてその奥行きの奥が体感できる歌もあります。

長くなりましたが、要するにいい歌を見つけたい、詠みたいものです。


山路越えて(主権回復を目指す会の紹介を兼ねて)

2014年01月21日 | 芸術・表現

西村修平さんの「主権回復を目指す会」のブログを紹介します。最新記事に感動的な動画がありました。


       韓国MBCに逆取材
MBCは朝鮮人婦女子20万人拉致・連行の根拠を示せ!

 youtube
 https://www.youtube.com/watch?v=PS6faJv-IpE
 ニコニコ動画
 http://www.nicovideo.jp/watch/sm22686777


ぜひご覧下さい。私は強く共感しました。

この頃の風潮として創価学会の裏組織への批判者の言説が韓国人や在日への非難と一体化しており、私は強い危惧を覚えていました。「博士の独り言Ⅱ」でさえそうです。が、この二つのテーマは、当然のこととして峻別すべきです。何度も繰返してきたので飽きていますが、政府見解と個人の思想は別、個人も十人十色です。悪い日本人もいれば善良な韓国人もいます。創価の裏組織であくどいことをやっている人々は国籍や生まれに全く関係なく、サイコパス的な「歪んだ心をもった人間」です。本当に批判すべき対象は創価の「批判者は地獄に落とせ。子孫まで祟れ」という宗教とは真逆の「教義」です。

西村さんは日本軍が20万人もの朝鮮人婦女子を強制的に拉致し従軍慰安婦にしたという捏造(すでに証明済み)を韓国のテレビに対して抗議する中で「朝鮮人は誇り高い民族だろ。私は朝鮮人を尊敬している」と明言し、「なのに同胞が目の前で拉致されたとしたら、なぜ男たちは黙っていたのか?」と詰め寄ります。また、日本人が韓国で「日本人を皆殺しにしろ」と言われたら怒るのが当たり前だ、と在特会を批判しつつ在日の心情に共感を示されています。

この咄嗟の言葉(心の力)により韓国のテレビ局と在日の青年は反論できず頭を下げて去りました。見事です。批判の仕方によってここまで相手の態度が変化するのかと感じ入りました。

西村さんは短歌、歌舞伎などの伝統文化にも造詣が深く、優れた歌を詠まれます。過去何度か紹介しました。


脈絡もなく、私の郷里と隣町の境界にある法華津峠の石碑を思い出しました。以下引用します。

 

  1. 山路こえて、ひとりゆけど、主の手にすがれる身はやすけし。
  2. 松のあらし、谷のながれ、みつかいの歌もかくやありなん。
  3. 峯の雪とこころきよく、雲なきみ空とむねは澄みぬ。
  4. みちけわしくゆくてとおし、こころざすかたにいつか着くらん。
  5. されども主よ、われいのらじ、旅路のおわりのちかかれとは。
  6. 日もくれなば、石のまくらかりねの夢にもみ国しのばん。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E8%B7%AF%E3%81%93%E3%81%88%E3%81%A6 には以下のような紹介があります。
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西村清雄が作詞した、もっとも有名な日本人の創作讃美歌の古典。

1903年(明治36年)2月上旬、宇和島教会で伝道を続けていたアメリカン・ボードの宣教師コーネリア・ジャドソンの応援の帰り、鉄道が開通していなかったので、法華津峠鳥坂峠で夜を迎えた。大洲まで五里もあると思うと心細かった西村は、三輪源造が新作讃美歌を見せてくれたことを思い出して、『ゴールデン・ヒル』(Golden Hill、作曲は一説にAmzi Chapinとも)の歌調にあわせて、一句一句作った。一節できるごとに歌ってみたら、寂しさがなくなり、山路を楽しむことができた。これが、「山路こえて」という讃美歌である。これが1903年の明治版讃美歌に採用されもっともポピュラーな讃美歌になり、今日も讃美歌の404番として有名になった。1952年(昭和27年)に、この曲を作った法華津峠に歌碑が立てられた。松山バンドの信徒たちは、自己の心情に福音の響きを反響させ、その信仰体験を詩歌として表明して、日本の文化的感受性をもて福音に応答するように勤めていた。この讃美歌はその信仰の姿勢の代表的な例である。

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曲と一緒に聞きたい方は http://www.youtube.com/watch?v=CByREWaFFrI をクリックして下さい。

この歌には次のような意外なエピソードがあります。

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信仰の明澄さを日本の原風景によって、詩情豊かに歌い上げたこの賛美歌は多くの人々に愛唱された。1つ例をあげる。作家三浦綾子に「母」という長編がある。戦争の時代に築地警察署で、特高警察の手によって拷問の果てに殺された作家小林多喜二の母の一生を描いている。
 多喜二の母は晩年キリスト教に近づき、自分の葬式はキリスト教でしてもらおうと思うようになった。その多喜二の母がその死の日まで、愛唱していたのがこの「山路越えて」であったという。
 「うたってみれってか。……ちょっとご詠歌に似てるどもね。6番まであるけど、3番までうたっているうちに神様の所さ着くべさ。……わだしね、この歌大好きなの。それはね、わだしの生まれた所秋田県だべし。ほら、大館って、忠犬ハチコーで有名な所ね。あそこの奧の田舎がわだしの生まれた故郷だども、この歌うたうと、あの辺りが何とも目に浮かぶのね……あの辺りの山ば、イエスさまの手にすがって歩いて行く自分の姿が、はっきり見えるみたいで、この歌うたうと、何とも言えず安らかな気分になるんだ」
(『母』三浦綾子 角川書店)
 
http://www.trancewave.tv/~iyosaiken/saiken/2001_09.php

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私は4番と5番の歌詞に激しい感動を覚えました。勝ち負けに関係なく、終わりの無い抵抗、終わりのない模索は、そのその行為そのものが尊いと知りました。4番から5番への逆説的な飛躍の意味を静かに味わいたいと思います。

 


尾崎豊が理解できない世代

2013年09月16日 | 芸術・表現

先ず、西村修平さんがブログを更新されました。(メルマガ受信前の報告です)

慰安婦強制連行の捏造・発信元は朝日新聞


レオン・ラッセルのことなど

2013年09月13日 | 芸術・表現

西村修平さんの『主権回復を目指す会』のメルマガを紹介します。

東京オリンピック一考
http://nipponism.net/wordpress/?p=24145

             東京オリンピックを歓迎する

    <日本と首都再生の好機  首都高速の改修で日本橋に大空を取り戻せ >

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色々と議論のあった五輪招致成功。決まった以上は日本再生のために役立って欲しいものです。

私は1956年生まれなので、小学生の時にビートルズの『抱きしめたい』が日本で大ヒットして衝撃を与え、騒音音楽だとか、不良の音楽だ、とか、高校の校則に「マッシュルームカット禁止」などと書かれていた、笑い話のような思い出があります。学生服のカラーから下に伸びた後ろ髪は、朝礼のときに風紀係りの教員がハサミで片っ端から切っていくのでムカッとして抗議した話は「父の思い出」にも書いたと思います。

中学2年か3年生のときにビートルズは解散し、丁度その頃からフォークギターを買ってもらって練習し、高校時代に下手糞なコピーバンドを作ったのでギリギリで間に合った最後のビートルズ世代、と言えるでしょう。これは自分の人生で本当にラッキーでした。思春期に本物を聴いた、しかも後期のビートルズの楽曲を聴いた、という幸運です。

昔のHPではよく音楽の話をしてyoububeで紹介し批評する、というスタイルをとっていましたので、たまには音楽の紹介をしたいと思います。今日はちょっとしたことからレオン・ラッセルの『マスカレード』を思い出したので紹介します。http://www.youtube.com/watch?v=WVtYNbFAxrY ついでに一番有名な『ソング・フォー・ユー」もhttp://www.youtube.com/watch?v=37dw2r45Xzg

wikiの解説を読むと

ソロ・アーティストとしては1968年から現在に至るまで数多くのアルバムを発表、ルーツ・ミュージックの色が濃い泥臭い音楽性は高い評価を受けている。それは、アメリカ南部出身のミュージシャンによって、ロサンゼルスで爆発した。ラッセルのロック・ミュージックはロサンゼルス産でありながら、”スワンプ・ロック”という呼称が与えられ、彼こそが、スワンプ・ロックのカリスマであった。彼の代表曲である『ソング・フォー・ユー』は1970年の作で、レイ・チャールズカーペンターズなどにカバーされた。この頃、スワンプ・ロックは、エリック・クラプトンにも大きな影響を与え、アルバムに参加したばかりではなく、彼のバンドから、ベースのカール・レイドルやドラムのジェイミー・オルティカー、その他、ディック・シムズマーシー・レヴィを引き抜いている。1979年の日本公演でアルバム化されたクラプトンの「ジャスト・ワン・ナイト」では、ラッセルの代表作『ソング・フォー・ユー』のピアノの降下音の完全コピーで演奏を開始して、その音楽的起源を披露している。他にも『タイト・ロープ』、『スーパースター』、『マスカレード』など、カバーされた作品は多い。

とあり、ベンチャーズの音楽性を高く評価したともあります。

この世代に評価されたミュージシャンは現在と比べるとレベルが違うから巧いのは当たり前ですが、レオンは歌声に色気があっていいですね。興味をもたれた方は英語の歌詞とその翻訳を比べるなどして楽しんで下さい。中学校の英語の授業にこういうのを取り入れると生徒は大喜びするのではないでしょうか?


日蓮聖人の和歌

2013年03月06日 | 芸術・表現
腱鞘炎でパソコンはなるべくやらないようにと言われているので簡単に。
以下は日蓮の歌。


おのづから
よこしまに降る
雨はあらじ
風こそ夜の
窓をうつらめ

ちりしはな
をちしこのみも
さきむすぶ
いかにこ人の
返らざるらむ
 
こぞもうく
ことしもつらき
月日かな
おもひはいつも
はれぬものゆへ


なにか適当な解説があれば貼り付けてお仕舞いにしようと思ったが、創価学会のものしか出て来ず、仕方が無いので解説する。解説する、と言ってもこれらの歌が出来た背景や遺文集は一切無視して、素朴な感想文に留める。

日蓮の和歌は非常に少ない。私の知っている限りはこの3首のみで、簡単に検索した結果でも他には出てこなかった。その理由を少し考えてみたい。

一番上の歌は、所謂「道歌」と呼ばれるもの。本覚思想(凡夫即仏)に基づいている。直訳すると、「雨は放っておけば真っ直ぐ降るものです。風のために雨が斜めに降って夜の窓を打つのです」となり、意訳すれば、人間は本来仏ですが、悪い縁に触れて心が曲がってしまうのでしょう(それを法華経の力でいい縁に変えましょう)というところだろう。     依正不ニ、つまり主体とそれを取り巻く環境は切っても切れない、という考え方にも基づいている。ここを突き詰めていくと一念三千論に至る。

その下の二つは、多分、夫か子供を無くした女性信徒の感情を酌みながら自分の心情を重ねたものだったように思う。二首とも非常に悲しい歌で無常観に溢れている。現代語に訳するまでもない、文字通りの歌だ。


最初の歌には技巧が少し見えるが、3首ともごく真面目な歌で、「日蓮文学」と言われるほど文学的素養も教養もあった日蓮にしては全く意外な感がする。当然日蓮は膨大な和歌を知っているので、もっと多数の多彩な歌が詠めるはずだが、まるで歌には興味がないかのようだ。
 これは想像に過ぎないが日蓮の場合は朝から晩まで読経、説法、書簡に費やす生活だったために、敢えて和歌に思いを込める意義が無かったのかもしれない。
 一見して、推敲を重ねず一気に読んだ歌だと感じる。

かなり前に、書体から人物の性格を読む書道家がテレビに出て、日蓮の書の筆使いを実際に真似て写しながら「情の人」と断定したのを覚えている。実際の日蓮は遺文を読めば分かるように学僧としても天才的(というか天才そのもの)で、兄弟子さえ自分の信徒にするほどの人物だった。同時に単なる学者と異なり、利他(人の幸せを願う菩薩の精神)の側面が非常に強く、知性、喜怒哀楽、大胆さと精妙さ、あらゆる面で桁違いの人物だった。

日蓮聖人の和歌をとりあえず「芸術・表現」のジャンルに入れたが、R・ブレッソンの映画を単なる技術論やテマティック批評で読んでも意味が無いように、日蓮の歌には全く別の入社角度が必要になるだろう。

夜中を過ぎたのでこれで失礼します。



意味・無意味・感動の話

2013年02月25日 | 芸術・表現
今日は久しぶりに病院で血液検査を受けてきた。
疲れが溜まっているのでサボりたかったが、薬も切れたので仕方ない。

そういう訳で、今日は無理したので、過去に書いた文章でも貼り付けて手抜きをしようと思ったが、どうも見つからないので、昔考えていた芸術論的な話を簡単に書く。

微笑禅の会でも私は「言葉やイメージに囚われているのが一番よくない。如来というものがあれば言葉を使っていない」等々と書いたり話したりしている。

朝、意識は覚めても目が開かず体が起き上がらないまでの一時、放っておくと大抵はネガティブな言葉が連鎖してフラッシュバックのようにイメージが蘇ってくる。そういう時は寝禅がいいと自分の心身を実験台にして様々な工夫を凝らしている。

極端な結論を出せば、人間はそういう言葉やイメージの、意味、に囚われているから対立や紛争が起きる、と言っても過言ではない。

雑談風に言えば、「満月」という言葉は夜の空に光る真ん丸いお月様のイメージを示す。普通はそうなるはずで、例えば書道の心得のある人なら「満月」という文字の形だけを見て「満月」との違いが気になるだろうが、それは例外だろう。例外と言っても、書道家の場合は意味以上に文字の形や筆勢の力が気になり、全体的な感動を重視するので、すでに結論が出たようなものだが、意味と感動の力は当然直結していない。

学校の先生が、満月をテーマに俳句を読みなさい、と言ったとする。普通の生徒は「満月や」から一捻りしようとする。そこで芸術的センスに飛び抜けた生徒が「新月の」と発表し始めると、教師も生徒もドッと引くだろう。所謂ky発言である。そこで「新月の頃より待ちし今宵かな」と締めくくると、教師は「参りました」となる。
 つまり、この生徒は「満月」という意味に単純に囚われず、逆転の発想で満月という言葉を使わずに満月が宿している隠れた感動を最大限に引き出した、つまり表現したわけだ。ここに芸術の力の大きなヒントがある。

禅僧はよく、○(円相図)を一気に描く。何の意味も見えてこないが、語りつくせないほどの意味と効果がこの、○、の中に秘められている。

最も純粋な芸術は音楽だと言われる。例えばモーツアルトのピアノ協奏曲には「意味」がなくて「感動」のみがある。こういう歌詞抜きの純粋な音楽でも社会参加、革命運動が出来る、とかなり無茶なことを主張した人がいるが、音楽は意味がないからこそ感動する。これは別の角度から見ると非常に危険な側面もあり、鬱病で滅入っている人間は感動しすぎてさらにダウンする場合も多く、おぼろげな記憶だがある種の宗教(原始仏教だったかも?)では歌舞音曲の類いは禁止されたと何かの本で読んだことがある。

禅の話題に戻れば、姿勢を整え、呼吸を整えて、無念無想の状態を続けるのが基本になっている。意味とイメージを一切払って、何も考えない。ナンセンス状態を維持する稽古だと思えばいい。そうすると、言語やイメージの組み立てではまず見えてこない豊かな世界が広がる。ゼロが最大限に突然に化けていくのだから面白い。

頭で考えて行動して疲れ果てたときは、何も考えず、物思いに浸る時間を消すこと、そうすると心身が蘇り、善と悪、黒と白との対立が乗り越えられるかもしれない。


眠っているときに赤ちゃんは時々ニコニコと微笑むときがあるが、あれは何を夢見ているのだろう、とフト思いました。赤ちゃんは無敵ですね。

アクエリアス連想

2013年02月09日 | 芸術・表現
今夜はスポーツドリンクのアクエリアスから連想が様々に飛んだ。

私は食欲が無いので主治医のアドバイスでスポーツドリンクとカロリーメイトを口に入れておけば一応の栄養が揃う教わった。それで今はアクエリアスビタミンガードを愛飲し、晩酌の焼酎の割り物にも利用している。
 ところが東洋医学のほうの先生からスポーツドリンクは合成甘味料が含まれているので若者に糖尿病が増えている。出来るなら野菜ジュースや日本茶を飲んだほうがいい、との助言をもらった。

そこから若い頃に見たミュージカル映画「ヘアー」で歌われた「アクエリアス」に連想が飛んだ。で検索をかけてみるとhttp://sanmarie.me/music_aquariusという素晴らしいHPを見つけた。おそらく相当人気のあるHPだろうと思う。作り方がしっかりしていて魅力的だ。私のHPもそこに入れているこのブログも「何でもあり」が特質だが、このサイトは映画、書籍批評、子育て、恋愛、に絞って実に几帳面に構成しているのでお奨めする。一部引用すれば
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ところで、私が「アクエリアス」という言葉を知ったのは、1960年代後半に制作されたミュージカルで、後に映画『アマデウス』の名監督ミロス・フォアマンらにより映画化された『ヘアー』の大ヒット曲『輝く星座~レット・ザ・サンシャイン・イン』がキッカケだ。

まだ歌謡番組というものがTVの花で、西条秀樹や郷ヒロミ、山口百恵やキャンディーズといったアイドルが全盛期だった頃、NHKが企画した「当時のアイドルたちが誕生日を元に春夏秋冬のチームに分かれ、歌唱を競い合う」という特番で、冬組が歌ったのがこの『輝く星座』だったのである。

サビの部分で繰り返される、「アクエリア~ス、ア~クエリア~ス」という言葉が非常に美しく、「何の意味だろう」と思い巡らしていたら、姉が「水瓶座の占星術用語である」ことを教えてくれたのである。

以来、私の中で、「アクエリアス」という言葉は特別な響きだったし、この曲を聴くと、未来に素晴らしい事が開けているような気がして幸せな気持ちになった。

それは単に個人の幸福にとどまらず、いつかきっと正しいものが報われ、誤ったものや悪しきものがこの世から駆逐される日が来ると未来に予感せずにいないのである。

それにしても、この『輝く星座』という曲は何と不思議なバイブレーションをもった曲なのだろう。(中学校の音楽の教科書にも載っていた)

ヒッピー文化を象徴するロック・ナンバーでありながら、まるで祈りのような厳かさを感じさせる。
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と書いてある。ヒッピー文化は、もう一つの生き方を求めた祈りの世界そのものだと思っていた私は、渡米体験のある作り手にしては変な文章だな、と思ったが、40代後半らしいので世代格差の問題だと思う。
 ともかく、上記のサイトで映像も元の歌詞と翻訳も見ることが出来る。お奨めします。

私は大学院で映画演劇を専修するまでは文学青年で、映画は所謂「名作」と言われるものしか見ていない、と思い込んでいたが、ロック大好きだったので、実際はこの手の映画は若い頃から見ていたことに今、気付いた。
 高校時代に「ジーザス・クライスト・スーパースター」(1973年、 ノーマン・ジュイソン)は何度も見ており、またこの作品に出てくる音楽のアルバムも持っていたと記憶する。これも同様ロックミュージカル映画の傑作で、真面目なクリスチャンからは上映会場爆破予告など過激なクレームがついたらしい。
 忘れられない場面がある。キリストに助けられた娼婦マグダラのマリアがキリストに恋をして、「どんなに誘っても振り向いてくれない、彼もただの男なのに」と切々と歌う場面である。(「I Don’t Know How To Love Him」http://www.youtube.com/watch?v=kXdNEh97478をぜひご覧下さい)

私はこの日系アメリカ人の歌手イヴォンヌ・エリマンを一発で好きになった。wikiによれば
「1974年、エリック・クラプトンの招きによりエリック・クラプトン・バンドで約5年間にわたってバック・ヴォーカルなどを担当した」とある。
 ここでまた思い出が蘇る。私が大学生時代、クラプトンの来日公演のときに見に行きたかったけれど、チケットが高すぎたか、何かの理由で見れなく残念な思いをした。高校時代にビートルズの「コピーバンドのようなもの」に入ってリードギターをかじり、浪人仲間にギターの名手がいてインプロビゼーションの基礎を教えてもらい、ブルースやジャズも聞きまくっていた私は、畏れ多いことにクラプトンよりもイヴォンヌ・エリマンの姿を見たくてそのチケットを買おうとしたのだった。見に行った知り合いの話では、エリマンは舞台で酔っ払って座って歌ってたらしい。

と、スポーツドリンクの話から連想は次々と進んでいった。フラワーチルドレンとも呼ばれたヒッピー文化のフリーセックスやコミューンの生き方は現在どう評価されるか、など連想は尽きないが、とりあえず今日はこれにて失礼します。


出版業界のこれから 電子書籍の問題

2013年02月05日 | 芸術・表現

連日多忙で時間が取れないので、面白いシンポジウムを紹介するだけに留める。

先日も書いたように出版会の不況は深刻で自費出版で鎬を削る状況。またベネッセコーポレーションのシェア率が異常に高く、ここは出版だけでなく教育産業にも手を伸ばし次々と傘下に巻き込んでいる。
 この不況下では独占、寡占化が進むのが資本主義経済の当然の流れで「この道はいつか来た道」の思いがよぎる。

また今の社会は言論の自由、思想の自由が実質的に奪われているため、昔の商店街のように個性をもった中小出版社が多数存在する必要があるが、現状ではお先真っ暗のように思える。
 
ともかく、大きな話題になっている電子書籍の問題についてこのシンポジウムの冒頭の一部のみをコピペする。(メモリが少ないのでなるべく画像やリンクは付けない様にしてきたが、今回は紹介だけなので例外的にリンクします)
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電子書籍時代に出版社は必要か――創造のサイクルと出版者の権利をめぐって (1/7)
7月上旬、「東京国際ブックフェア」の最終日、ある重要な議論の場が設けられた。出版業界の抱える課題が凝縮されたいわば「パンドラの箱」のようなこのシンポの様子を全文書き起こしでお届けする。


 7月上旬――「東京国際ブックフェア」「国際電子出版EXPO」など、国内の出版、電子書籍市場が活況になるこの時期。今年は楽天グループのKoboやAmazon.comのKindleがいよいよ国内でのサービスインかといった話題で持ちきりだったが、この時期、ある重要な議論の場が設けられた。

 それは、東京国際ブックフェアの最終日、急きょ追加されたシンポジウムだ。「電子書籍時代に出版社は必要か? -『創造のサイクル』と『出版者の権利』をめぐって」というこのシンポジウムは、当初の予定になかったこと、また、上述のkoboなどの話題にかき消される形で、あまり大きな話題にならなかった。

 しかし、このシンポジウムは、5人の識者――しかも、登壇した5人すべてが業界のキープレイヤーといってよい面々――が、出版業界の今後を議論した希有な場だった。彼らが論理的、分析的に激論を交わしたことで、現在の出版業界がどういった問題に直面しているのか、そして今後はどうなるのかという大局を示唆したという点で、非常に重要な内容だった。

 そこでeBook USERでは、シンポジウムを聴講した鷹野凌氏協力の下、その内容をここに書き起こし、広く一読いただきたいと思う。

 最初にお伝えしておくと、この記事はとても長い。90分の濃密な議論を書き起こしているからだ。読みやすいよう文意を損なわずに文字量を減らすなどの校正を加えたが、それでも数万文字レベルだ。ひいき目にもWeb向きではないし、分割しての掲載も考えたが、出版業界の抱える課題が凝縮されたいわば「パンドラの箱」のようなこのシンポは、かなり踏み込んだ発言が部分部分で登場するので、分割してしまうと前後関係を見失って読者をミスリードさせてしまうかもしれない。そのため、あえて1つの記事としてお届けする。

 この記事を読み終えたとき、そこに残っているのは出版業界にとっての「希望」なのか、それとも……。では、ご覧頂きたい。

明治天皇御製

2013年01月14日 | 芸術・表現
私は1月11生まれなので先日57歳の誕生日を迎えた。
占い師や霊夢などから、56歳のときにあることが起こる、と言われたことがあり、その報告をしようとしたら、あまりに長くなり、また個人的な話なので躊躇している。
 そこで、このところブログに時間を取りすぎて体調を壊しているので、今日は明治天皇御製とその解説を引用して早寝を試みる。
 こういう教えを受けていた明治の日本人は立派だったはずだとつくづく思う。「天」以外は初めて読んだが、駄作が無くて全て心に響くというのは普通ではない。

http://www2u.biglobe.ne.jp/%257egln/88/8801/880103.htm

「天」
 あさみどりすみわたりたる大空の ひろきをおのが心ともかな
 
 大意:浅緑色に澄み渡りたる此の大空の如く、宏々としたのを自分の心ともしたいも
のであるよ、の御意。
 
 「塵」
 つもりては払ふがかたくなりぬべし ちりばかりなることとおもへど
 
 大意:僅かなる塵ほどの事と思っても、打ち捨てゝ置くならば、時の経つに連れ、積
りに積りて、終には払ふ事も出来ぬやうになるだらう、よくよく注意して悪しきことの
塵積りて山となる様なおそれのなき様に心がけなければならぬ、の御意と拝す。
 
 「教育」
 いさをある人を教へのおやにして おほしたてなむやまとなでし子
 
 大意:国家に勲功ある人を、学校の教師にして我が国の青年子弟を教育せしめたきも
のである。
 
 「老人」
 つく杖にすがるともよし老人オイビトの 千年の坂をこえよとぞおもふ
 
 大意:老人は仮令杖に縋って歩いても宜しいから、どうか千年までも長寿してくれよ
と思ふぞ。
 
 「述懐」
 山の奥しまの果てまでたづねみむ 世に知られざる人もありやと
 
 大意:自分の治めて居る広いわが国には器量があり才能ある人が、其器量才能を現す
機会もなく、徒に埋れて居て、世に用ひられずに在らば、口惜しき事であるゆゑに、さ
ういふ人をば、如何なる山の奥までも、又は如何なる島の果てまでも尋ね求めようよ、
の御意。

今日は疲れていますが

2013年01月08日 | 芸術・表現
風邪を引けば疲れる、治りかけると用事が山のように待っている、話が間接的に伝わって誤解を受け面倒だけど説明して納得させる、などあり、本当はブログを休みたいのですが、簡単に。
 困ったときの明治天皇御製というのは畏れ多いですが、本当に天才がいるものだと思い引用します。明治天皇は非常に多彩な人で、歌を詠むのは娯楽というかタバコ休憩みたいなものだったようです。こうなるとレベルが違ってきます。
 御製の後に簡単に解説、感想を書きます。

 まごころを歌ひあげたる言の葉は ひとたびきけばわすれざりけり

 いい歌は一回聞くと忘れなかった。こういう能力があったから生涯に10万首近い歌を詠むことが出来たのでしょう。

 国のためあだなす仇はくだくとも いつくしむべき事なわすれそ
 
 日本を攻撃する敵は倒すが、その敵にも哀れみの心を忘れるな。博愛主義というか、怨念の感情が元々ない方だったのでしょう。だから明治大帝と呼ばれ世界中から絶賛されました。

たった二つの歌だけで、東郷平八郎や秋山兄弟、乃木希典の精神に通じるものが見えてきます。聖徳太子は伝説だった、などという歴史家がいますが、後世になったら明治天皇御製には代作者がいた、などという説が出てくるかもしれません。側近の人(御歌所寄人の千葉胤明)が「日露戦争のときでも一日に40首詠まれた」と証言しているので事実は揺るぎませんが。

ちなみに乃木希典の声を探してみました。一言だけですが張りのある声です。
http://www.youtube.com/watch?v=3LySDGi_E0g

では失礼します。

胸の振り子 続き

2012年12月15日 | 芸術・表現
色んな重要書類が山積みになってきたので、今日もごく簡単に書きます。

昨日の「胸の振り子」は隠れた名曲の典型で、まず知っている人がいない。

歌詞の部分に幾つか謎、というか「隠し味」がある。

柳にツバメはあなたと私

のところ。歌った後に横にいたホステスさんから、どういう意味ですか?と聞かれたので
「松に鶴」と同じようにワンセットの仲のいいカップルという意味じゃないの、と答えたところ、老齢のスナックのマスターからその通りだといわれた。

次いで「胸の振り子が鳴る鳴る」の部分。これは非常にマニアックな論争があり、なんの意味か諸説ある。簡単に言えば、ハートがドキドキする、というべきところを詩的に言い換えたもの。サトウハチローは、人生は豪胆で不良、中学を落第、退校、勘当、留置場入りを重ねているが、表現は繊細で「爪色の雨」が処女詩集、「ちいさい秋みつけた」という童謡も書いている。
 
「煙草の煙にもつれる思い」なんて表現も中々出てこない。西條八十に師事し、草野心平や宮沢賢治と同じ同人誌仲間だっただけのことはある。

これは石和温泉の知る人ぞ知るプロのジャズミュージシャン中川武先生(「ないとあんどでい」というスナック経営)に、畏れ多くも私が教えて感動され、今は中川先生の持ち歌になっている。一緒にスキャットしたり即興でメロディを変えたりして、さあ飲もうと座ったら、お客さんからアンコールが掛かって2度ステージに上がったこともあります。石和に遊びに行ったらぜひ寄ってください。

以下はwikiからサトウハチローの作詞した歌謡曲をコピーしたもの。案の定「胸の振り子」は抜けています。ではこの辺で失礼します。

リンゴの唄
麗人の唄(映画『麗人』の主題歌)
二人は若い(玉川映二 名義)
あゝそれなのに(星野貞志 名義)
うちの女房にゃ髭がある(同上)
花売り娘
ホームラン・ブギ
目ン無い千鳥
誰かさんと誰かさん
勝利の日まで
ずずんとずずんと(テレビ番組『坊やとママ』テーマソング)
黒いパイプ
夢淡き東京
浅草の唄
長崎の鐘
エンゼルはいつでも(森永製菓)
グラスをのぞくフラミンゴ(千福のテーマ)
悲しくてやりきれない
ありがとう(テレビドラマ「ありがとう」主題歌)
ほんとかしらほんとかしら(美空ひばり)
わが母の姿は(美空ひばり)
明日を祈る(堺正章)
なんでこんなに(堺正章)

胸の振り子

2012年12月14日 | 芸術・表現
今日も何時も通り忙しく、ブログを書いている時間がないので、娯楽タイムにします。

私は作曲家の服部良一の大ファンで、特にサトウハチローが作詞した「胸の振り子」については色んなエピソードもあり、語りたいことも多いのですが、それは後日に回します。

この歌は、プロのミュージシャンでも知らない人が多く、「本当にこれを日本人が作ったのか」とアメリカ人が驚いた逸話などあります。

では http://www.youtube.com/watch?v=QlJgCxFhkgY をお楽しみ下さい。
(youtubeはいい曲がどんどん消えていますね。一人で全コーラス歌ったものもあったのですが探した限り見つかりませんでした)