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ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

石巻の光(2012年4月の記録)

2017-09-15 21:19:35 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

石ノ森漫画館の向かいに、国内最古の木造教会という、美しい八角形屋根のハリストス教会があった。

明治13年建築で、1978年の宮城県沖地震で損傷したが、その後に中瀬公園に移築されたという。
 (2011年10月6日撮影)
これが、東日本大震災の津波で、窓は割れ、白壁が所々剥がれて正面の扉が失われているが、かろうじて外観は残った。

2度の震災にも、この美しい建築物は、傷みながらも耐えて残っていたのであった。


               ※   ※   ※   ※   ※   ※


さて、震災から1年1ヶ月経った昨日から、このハリストス教会を照明で演出するという活動が、保存を望む人々によって行われていることが、新聞で報じられた。


現在の石巻は、商店街も津波被害で空っぽになった店が多い。

そうした中で仮設の商店街ができ、散り散りになった地元の人が時々顔をあわせたり、他所から来た人を迎え入れたりしている。


石巻駅から東に、旧北上川の河口辺りが見え、その中に、東西の内海橋が架かっている「中瀬」がある。

そして、この中瀬に、石ノ森漫画館とハリストス正教会がある。


昨年、私がこの場所を記事にしたのも、心のうちに2度の震災を乗り越えたこの史跡を、この見事な建築物を、どうか残してほしいと思う気持ちがあったからだ。


同じ思いを持っていた人が、方々にいたことを知って嬉しい。

しかも、小さな私の声と違い、大きく訴える力だ。

この素晴らしい建築物と、この度の活動を多くの人々に知ってほしい。

それはきっと、町の励ましになるだろう。



女川港(2012年2月の様子)

2017-09-15 20:36:45 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

港に近づくにつれ、津波の凄さが伝わってくる。


空き地が増えて、所々に、津波に破壊された建物が残っている。

かつては、たくさんの建物が港を取り囲んでいた。

その女川湾付近には、横倒しになった建物が残っている。 


女川港を右手に見て、左には山のように積んである、かつての町の破片の集まりがあった。



頑丈に建てたものでさえ、津波は破壊する。

堅固な堤防も、津波を制圧するのではなく、人に逃げる時間を与えるものなのだ。

自然の力は、それ程に大きい。


だが、人も自然の織り成すものの一つである。

自然の絶妙の均衡に沿って、工夫して生きることが大事なのだと、つくづく考えさせられる。


津波で、打撃を受けた港町。



それでも、女川の復興への歩みは力強かった。

豊かな海と共にある、ふるさとの物産品を再生産しようと尽力してきたのだ。


女川の魚市場は7月には再開したという。

港には、仮設事務所が置かれていた。


女川町の観光協会も動き、「おながわ再開情報」を発行している。

「おながわ再開情報」には、これまでの復興の歩みと、現状を分りやすく描いた地図も掲載されている。



女川の仮設商店(2012年2月28日の記録)

2017-09-15 17:20:21 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

東道路を使って石巻に入り、石巻の渡波から、万石浦に沿って女川に向かう。
渡波の津波被害も酷かった。
今は平常に戻っている道も、2m程の水が押し寄せたと聞いている。

東へと道なりに進めば、やがて万石浦が見えてくる。

(沢田折立入山辺りから見た万石浦)


石巻湾から、渡波港を通って続く、穏やかな内海だ。静かに輝く波に、養殖の竿が見える。

万石浦を右手に道を進めば、やがて石巻から女川に入る。


丁度、市の境辺りに、以前は女川港の近くにあった「マリンパル女川おさかな市場」がある。

津波で壊れた市場だが、移転して10月に再開した。

個人商店が寄り集まっての再開には、他県の工場の助けもあったという。


さらに、東へと女川湾の方へ向かうと、右手に看板が見え、土留の石垣の角に、青く描かれた案内も見える。

「コンテナ村商店街」であった。

入り口に花が飾られ、中央に薪ストーブがあり、和やかな空気が流れている。 


コンテナ村商店街の人々が、互いに声を掛け合っていて、恐ろしかったあの日からの日々を、隣近所で助け合って乗り越えてきたのだと実感した。


花屋さんや飲み食い処、洋品店と青果店がある。

奥で、陽気に荷解きしたり、品を並べたりするお父さんがいたのが青果店の「相喜フルーツ」さんだった。


真っ赤な粒が、綺麗に並んで箱に収まっているのが目に留まる。

一粒で、巨峰の3粒分はあろうかという大きさの、見事なイチゴだ。


宮城でイチゴといえば、近頃は沿岸南側の亘理と山元や、東松島の矢本などの品が多い。

相喜さんには、石巻産のイチゴがあって、さらに志津川産の物もあった。

女川は石巻の隣で、海沿いの道を北に進むと、町を3つ越えて志津川にたどり着く。


「志津川でイチゴという印象がなかったけれど」と聞くと、相喜さんは

「そう?結構作ってるんだよ」と教えてくれた。


志津川の大久保地区といえば、津波の被害を受けたところだ。それでも、周囲の力を借りて、何とか栽培を再開できたようだ。そういう所が、被災地にはいくつもある。

内外の多くの助けがあり、逆境の中で踏ん張る人々の今がある。


そして今、被災地の品々が仮設店舗に並んでいるのだ。

石巻産のイチゴも、志津川のイチゴも、香り豊かでとても甘い。 

仙台市内でも、被災地の産物が売られている。

それでも、現地を見て、現地の人と接して買うと、いっそう得るものがある。

その土地の風土と空気で、産物の良さもより輝きを増す。

しかも、人々のあったかさに触れ、自分の一日にも輝きがもたらされるのであった。

 

歌津(震災から約8ヶ月・2011年10月の様子)

2017-09-15 17:08:45 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

志津川から、気仙沼方面への道を進み、歌津を回った。

かつて、そこにある及新さんで うに味噌を買い、朝日堂で焼き菓子を買った。


あの時、飾らぬあったかさで迎え、送り出してくれたあの店は、どうなっているのかと、震災直後からずっと気がかりだった。


かつて寄った時は、すでに日が暮れて夜道だった。

夜道であったことと、道の両側に建物が並んでいて気がつかなかったが、ここは結構、海に近かったのだと実感する。

    



曲がりくねった道沿いに、並んでいたはずの店も家も、何も無い。

   



 

 


2002年に現れた珍客の、めんこいアザラシに「うたちゃん」と名付け、さらに汐見橋をも名前を変えて「うたちゃん橋」としたあの橋が、車窓から見えた。



この橋だけが、しっかりと残っている様は、寂しいけれど力強さもある。


         

この伊里前地区は、元禄の頃からの宿場町と言われていた。長い歴史を共にし、この辺りの人々のつながりは深いようだ。


歌津では、昭和30年から町民の生活改善を目指す協議会が発足しており、昭和50年に「すばらしい歌津をつくる協議会」となって活動を展開している。



被災した今も、この協議会によって『一燈』という会報が発行され、新たな町づくりを考えたり、町民が集まって思いを共有できる場をつくったりしている様子が記されていた。

 

素晴らしい、その名の通り素晴らしい。


かつての町はもう無いが、歌津の人々の温かさはそのままだった。

晴れた青空の下に、曲がりくねった道が続く。
その道は、明るさを自ら引き寄せる人々の、明日へと繋がっているように思った。


かつての歌津

2017-09-15 16:42:39 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

津波に消えた町の思い出。

町は、また作られていき、新たな暮らしと共に、以前の記憶も大切になるだろう。

かつて、そこにあって輝いていたことも、書き残しておきたい。

2008年3月の歌津の思い出。


   (以下、2008324日発信記事:再編集・再掲載)

 

すっかり日が暮れて、灯りなしでは、真っ暗な道であった。
本吉町から、そろそろ仙台に帰ろうと、国道45号線を通って石巻方面に向かった「ふくらく通信取材隊」(自分と連れ合い)である。


夜道で退屈しないよう、運転する隊員1号(連れ合い)に声を掛けていた、当の隊長(自分)のほうが、
「飽きた、飽きた」などと、騒ぎだす。
すると、静かな国道の右端に、手書きの案内板が見えた。

『歌津 伊里前商店街 こちら』との文字が、夜道に浮かんでいるではないか。
「商店街だってよ。行ってみようか。」と隊員1号が言い、
「7時だけど、お店やってるかな」と、ちょっと迷ったものの、やはり寄ってみることにした。


看板の方へと、わき道に入ると、直ぐにまた道が二又に分かれている。

「これ、右じゃないよな、こっちか」と、二又の道の左側を進むと、何だか暗い上り坂。
「トワイライトゾーンだったりして」


暗い山道に入り込んだような、静かな夜道で、

「商店街、ほんとにあるのか!?」まさか、狐に化かされたわけではあるまいが、一瞬不安になった。


曲がりくねった、ゆるい坂道を上っていく。すると、曲がって上ったその先で、正面に灯りが見えた。

「あ、着いたか?」さらに進むと、
「あっ、お店だ!」
あったあった、歌津の商店街だ。

正面に見えた、そのお店は、看板に「自家製うに味噌」とある。
これに惹かれて、お店に飛び込み、うに味噌を買った。 

乾物や海産物加工品のお店、「及新さん」のうに味噌。



さらに道を進むと、またしても、お菓子屋さんを発見。

「朝日堂」と店頭にある。
店内には、和菓子もケーキもあった。

ショートケーキは、都市部と違って、大きくて素朴で安いのがとても素敵だ。



練りきりの和菓子や、焼き菓子も色々あり、ばら売りの焼き菓子を見ると、「魚竜饅頭」というのがあった。
「魚竜饅頭って、面白いですね」と声を掛けたら、
「うん、普通の饅頭なんだけどね。」とまあ、飾らない答えが返ってきて、笑ってしまう。

この辺は、飾らない素直な人々の町らしく、なんとも、あったかい雰囲気だ。

「田束山(たつがねさん)ってこの辺ですもんね」と、同名の菓子を指して言うと、
「うん、それねコーヒー味」と教えてくれ、四季の実は、中にごろっと実が入っているとか、カボチャパイも美味しいとか教わったので、それらを買った。

帰り際は、一つオマケに「くるみどうなつ」を下さって、あったかい笑顔で
「おやすみなさい」と声を掛けてくれたのだった。



ここは昔の宿場町らしく、お茶屋さんや雑貨屋さんに旅館など、木造の建物も、夜道に灯る看板も、道に沿って立ち並ぶ様に風情があった。
「昼は、また違った表情なんだろうなぁ」と思いながら、お別れだ。

道は海沿いになり、湾の灯りでうっすらと見える、黒い夜の海を眺めつつ進む。
「今度は、昼間のうちに来たいな」と言いながら、飾らない港町の、あったかい雰囲気を味わってきた一日であった。

    


朝日堂さんの「四季の実」は、割ると本当にごろんと丸ごと入っていた。四角のは、「田束山」で、コーヒーの香りが広がる。


また、及新さんのうに味噌は、まろやかで香りよく、うにの旨みが活きた絶妙の味付けだ。このうに味噌を、長いもを輪切りにした上に乗せてみたら、それもまた旨かった。ぜひ、また食べたい。