皐月の伊里前川には、ぎざぎざに折れ曲がる形に、石が積まれている。
「ざわ」と呼ばれる、漁の仕掛けだ。
↓2013年のざわ漁
春から初夏にかけて、この仕掛けで、シロウオを獲っている。
歌津のシロウオは、ハゼの仲間で、産卵のために遡上するもの。
海でも獲れるが、伊里前川に遡上したのを「ざわ」で捕まえるのが、いわば名物。
この伊里前川も、震災後に堤防工事が行われ、川岸の堤は、ぐんと高くなった。
↓2016年12月の伊里前川
だが、水際に礫が置かれたり、覆土がなされたりと、生物の環境を確保するための工夫が施されている。
川の中も、みお筋を確保しているため、ざわ漁も可能となっている。
伊里前川は、昔から洪水の度に改修しつつ、地域の人々が自然の恵みを受け、親しみ守ってきた川である。
そして今も、これからも、人々はそれを守り続けていこうとしている。
南三陸町歌津の伊里前湾は今、町の方を向いて立つモアイが、みんなを見守っている。
(↓2016年12月伊里前湾)
震災翌年の伊里前湾は、湾のふちに壊れた橋脚が残されていた。
(↓2012年6月の伊里前湾)
これは、国道45号の高架橋で、「歌津大橋」と呼ばれていたものである。
これを破壊して津波は町へと押し寄せた。
以前は、湾から道を挟んだ奥にあった仮設の伊里前福幸商店街が、この時は湾のすぐそばに移転していた。
実は、盛土の最中だった。
そのために、商店街が移転したのである。
数か月後には、再度元の位置に戻る予定だという。
湾を右手に見て、道の正面に三嶋神社がある。
震災翌年のこの場所は、基礎だけが残されて建物の消えた町の跡地が広がっていた。
(↓2012年6月 三嶋神社前)
現在は、三嶋神社を正面に見て、右の湾側に福幸商店街、左に盛土が見える。
2002年に、子アザラシが来て賑わった歌津の伊里前川。
アザラシは「うたちゃん」と名付けられ、伊里前川に架かる汐見橋も、「うたちゃん橋」と呼ばれた。
この橋は今も、損傷しながらも残っているが、周辺は堤防工事などで変化しつつある。
(↓2012年うたちゃん橋)
(↓2016年12月うたちゃん橋)
復興はまだ道半ば。
忌まわしいと思う遺族の気持ちも、痛いほどわかる。
でも、他の人の助けになるかもしれない。
その道を見ることで、自分たちの痛みが和らぐこともある。
原爆ドームは、今なお後遺症に苦しむ人もいる中、未来のために残された。
二度と繰り返さぬために、切なる思いを世界中に知らしめるために。
遺構は、未経験者に気づきを与えると同時に、傷ついた人々の心を汲み取ることにもつながる。
他所の人とかけ離れてしまわずに、共に思いあう場を残せないだろうか。
宮城県の有識者会議が、昨日(2014/12/8)最終会合を開いたという報道があった。
その見解には共感している。
ただし、南三陸町では、遺族の間でも防災庁舎の保存と解体とで意見が分かれている中、町は解体を表明している。
↓南三陸町の旧防災庁舎(手前右、鉄骨の建物):2013年当時。
2014年12月も同様の状態で残っている。
犠牲者という一括りの中にも、本当は一人一人の苦楽と明日への思いがあった。
それを思うと、どうにも涙が出てしかたがない。
だが、それだからこそ、あの日を風化させぬよう、目を背けることもできない。
↓保存を決めた女川交番(横倒し状態):2013年当時。
現在、周辺の解体や整備が進む中で残っている。
↓県南では、山元町の中浜小学校が保存の方向にある:2012年当時。
2014年現在、道路側の体育館は解体され、左側の校舎のみ残っている。