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ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

生まれ変わる被災地:南三陸さんさん商店街

2017-09-30 13:47:28 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

前年末に一旦閉鎖し、翌年の2017年3月3日に、移転して新しくなった「さんさん商店街」が再開した。


2016年の暮れには、3月の開業を目指して工事中だったが、かなり嵩上げされているのが分かる。


↓河岸整備と盛土が施され、高い位置に作った新しい「さんさん商店街」(2016年12月30日)

 

↓かつての(2011年)この辺りが、生まれ変わった。


 

地形から変わる大工事。

約6年の、人々のたゆまぬ努力が察せられる。

 

新たな商店街は、町再生の希望だ。


生まれ変わる被災地:ざわ漁の伊里前川と堤防工事2016年12月の記録

2017-09-30 13:42:05 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

皐月の伊里前川には、ぎざぎざに折れ曲がる形に、石が積まれている。

        
「ざわ」と呼ばれる、漁の仕掛けだ。

↓2013年のざわ漁


 

春から初夏にかけて、この仕掛けで、シロウオを獲っている。 

歌津のシロウオは、ハゼの仲間で、産卵のために遡上するもの。
海でも獲れるが、伊里前川に遡上したのを「ざわ」で捕まえるのが、いわば名物。

 


この伊里前川も、震災後に堤防工事が行われ、川岸の堤は、ぐんと高くなった。

↓2016年12月の伊里前川

 

だが、水際に礫が置かれたり、覆土がなされたりと、生物の環境を確保するための工夫が施されている。

川の中も、みお筋を確保しているため、ざわ漁も可能となっている。

 

伊里前川は、昔から洪水の度に改修しつつ、地域の人々が自然の恵みを受け、親しみ守ってきた川である。

そして今も、これからも、人々はそれを守り続けていこうとしている。


生まれ変わる被災地~歌津伊里前2016年12月の記録~

2017-09-30 13:27:16 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

南三陸町歌津の伊里前湾は今、町の方を向いて立つモアイが、みんなを見守っている。

(↓2016年12月伊里前湾)

 

震災翌年の伊里前湾は、湾のふちに壊れた橋脚が残されていた。

(↓2012年6月の伊里前湾)

 

これは、国道45号の高架橋で、「歌津大橋」と呼ばれていたものである。

これを破壊して津波は町へと押し寄せた。

 

 

以前は、湾から道を挟んだ奥にあった仮設の伊里前福幸商店街が、この時は湾のすぐそばに移転していた。 

その伊里前福幸商店街の裏手に、高い壁が出来ている。

 

実は、盛土の最中だった。

 

そのために、商店街が移転したのである。

数か月後には、再度元の位置に戻る予定だという。

 

湾を右手に見て、道の正面に三嶋神社がある。

 

震災翌年のこの場所は、基礎だけが残されて建物の消えた町の跡地が広がっていた。

(↓2012年6月 三嶋神社前)

 

現在は、三嶋神社を正面に見て、右の湾側に福幸商店街、左に盛土が見える。

 

2002年に、子アザラシが来て賑わった歌津の伊里前川。 

アザラシは「うたちゃん」と名付けられ、伊里前川に架かる汐見橋も、「うたちゃん橋」と呼ばれた。

 

この橋は今も、損傷しながらも残っているが、周辺は堤防工事などで変化しつつある。

(↓2012年うたちゃん橋)

(↓2016年12月うたちゃん橋)


生まれ変わる被災地:女川2016年5月の記録

2017-09-30 12:59:52 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

復興はまだ道半ば。

でも、一歩一歩と動き出す。
雨の日も雪の日も
ありふれた日々の良さを思いながら・・・
 
 
↓2013年2月:女川病院下から女川駅方向の様子
 
津波で壊れた建物も無くなり、平らな土地と道路が広がっていたが・・・
 
 
今では、温泉併設の女川駅がある。
 
↓2016年5月 女川駅・ゆぽっぽ
 
 
そして、商業施設「シーパルピア」が出来て、心地よい場所となっている。(駅前には、足湯もある)
 
↓2016年5月:シーパルピア
 
駅建物の上階から、シーパルピアと港まで見える。
 
 
↓2012年7月の女川湾
 
傷んだ湾岸に、あふれ出てきそうな青い海。
それも今では・・・
 
↓2016年5月
 
道路が整備され、港の整備や建築も進められている。
 
 
↓2013年2月の女川病院

↓2016年5月
 
 

 
ふるさと慕い、できた名物また一つ。

 
 
たっぷりサンマが練り込まれているパン。
芳ばしくて姿もめんこい。
甘露煮のごとく甘く柔らかで美味しい。


震災遺構の保存に思うこと:2014年12月の記録

2017-09-29 21:14:53 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

忌まわしいと思う遺族の気持ちも、痛いほどわかる。
でも、他の人の助けになるかもしれない。

その道を見ることで、自分たちの痛みが和らぐこともある。



原爆ドームは、今なお後遺症に苦しむ人もいる中、未来のために残された。
二度と繰り返さぬために、切なる思いを世界中に知らしめるために。



遺構は、未経験者に気づきを与えると同時に、傷ついた人々の心を汲み取ることにもつながる。
他所の人とかけ離れてしまわずに、共に思いあう場を残せないだろうか。


宮城県の有識者会議が、昨日(2014/12/8)最終会合を開いたという報道があった。
その見解には共感している。

ただし、南三陸町では、遺族の間でも防災庁舎の保存と解体とで意見が分かれている中、町は解体を表明している。



↓南三陸町の旧防災庁舎(手前右、鉄骨の建物):2013年当時。

2014年12月も同様の状態で残っている。


 


犠牲者という一括りの中にも、本当は一人一人の苦楽と明日への思いがあった。

それを思うと、どうにも涙が出てしかたがない。


だが、それだからこそ、あの日を風化させぬよう、目を背けることもできない。

 

 


↓保存を決めた女川交番(横倒し状態):2013年当時。
現在、周辺の解体や整備が進む中で残っている。


↓県南では、山元町の中浜小学校が保存の方向にある:2012年当時。
 2014年現在、道路側の体育館は解体され、左側の校舎のみ残っている。