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ふくらく通信

東北人が記す、東北の良さや震災の事、日々のなんだりかんだり。
他所で見る東北の足跡や繋がり、町の今昔や輝きを発信。

震災後の宮戸、里浦周辺:2012年2月7日の記録

2017-10-01 15:40:56 | 東北被災地の歩み:塩釜・松島

以前、ここに来たのは2010年の9月だった。

その時は水と緑と空が輝き、まことに長閑であった。


貞山堀を渡って宮戸島に入ると、あんなに青々と、海を覆い隠すように続いていた松林が消えていた。 

工事車両が入って、道や土地を、懸命に片付けて整える様子が目に入る。


大高森近くまで来ると、かつて歩いた沼を渡る遊歩道も壊れ、その日そこに立ち寄るのはアオサギやコサギたちだけだった。

 

大高森を左手に見て、右手が里浦で、海辺に大高森観光ホテルという宿が見える。

その脇に、民家や田んぼの間を、森に向かって細く曲がりくねった道が続いている。

それが「薬師堂」の入り口だ。


この土地の人々は、自分たちの町や、古い祠も自然も大切にしているのが分る。


宮戸の中で、この辺りが比較的被害の小さかった場所とはいえ、地盤沈下や破損が所々に見られる。

それでも、残った場所は元のようになっていて、手をかけ過ぎることなく、程よく片付いているのだ。

震災直後は、漂流物がたくさんあったという里浦も、今は綺麗になっている。



さて、薬師堂に参る。

森の入り口には、雪が残り、タヌキだろうか草むらに入っていく足跡があった。

「ちょいとお邪魔しますよ。」


季節による違いはあれど、かつてと変わらぬ道と洞窟があり、石段の上にお堂が見えた。

さすがは、霊験あらたかな伝説の薬師堂だ。

お堂の脇の石灯籠は倒れていたが、頂に伊達藩の家紋が刻まれたお堂は、そのままじっと見守るように、里浦と集落の里浜を見下ろしている。 


薬師堂から、穏やかな里浦と、向かいあう里浜の集落が見える。



お堂に手を合わせ、頭を下げ下げ石段を下り、来た道を戻った。


里浜の方へ回ると、縄文村歴史資料館がある。

津波により、今は休館しているが、3月には再開したいと準備に奮闘している。

一見、穏やかだが、敷地内には給水タンクがひっくり返っていた。


縄文村を囲むように道がある。

里浜の桜井酒店さんを左手に見て右に曲がり、湾を渡る道を通って大通りへ出ようとしたが、その道は、途中で浸水していたので引き返した。


壊れた所を見かければ、切ない。


それでも今、宮戸は動いている。

漂流物を片付けて道を直し、宮戸の良さを大切にしている人々が、再び輝かせようと進んでいることも伝わってきた。


続・千賀の浦の町(塩竈):2011年7月の記録

2017-10-01 12:49:18 | 東北被災地の歩み:塩釜・松島

塩竈の本町、造り酒屋の佐浦を過ぎて、道を左に折れると、一番館がある。(←佐浦)


(←壱番館)

一番館から少し戻り、辻に出る。

まるで、道の真ん中にあるように見えるお肉屋さんを右手に見て、辻を渡ろうとすると、ここは信号が点いていない。

神奈川だったか、他所の県警の方が交通整理をしてくれていた。

猛暑の中、本当に大変だろうに、ありがたいと思って頭を下げて渡ったら、笑顔を返してくださった。



渡った先には、やみ市と呼ばれる鮮魚店の並ぶ路地がある。

震災の影響で、建物が破損している所があり、路地を除くがかつての市の姿はない。


通り過ぎて、本塩釜駅前に出る。

駅の向かいから見て、右手に店がある。


その日は休みだったが、以前に見かけた猫が、ちゃんとそこにいた。

お昼寝中だった。


一応声をかけてみると、やはり眠り猫のままだが、耳だけちょっと動かしてくれた。

夢の中で挨拶は交わせたかな。



駅はまだ、修復中だった。

 

駅前のビルは、地盤が沈んだか、建物との間に隙間が出来ている。

ぐるりと廻って、柳の揺らぐ涼しげな様を見ながら、街道沿いを進み、丹六園の前に出る。


丹六園の裏手に回ると、崖の上に、かつての法蓮寺跡で唯一残った書院が見える。

どうやら、震災にも耐えたようだ。


宮町から坂を上り、塩竈神社へと戻る。


この日、千賀の浦は青く穏やかであった。

風が爽やかに、町を木々を人を撫でていく。

修理に励む人々や、明るく挨拶を返してくれる人々に会い、ほっとしたひと時だった。


千賀の浦の町(塩竈):2011年7月の記録

2017-10-01 12:14:57 | 東北被災地の歩み:塩釜・松島

土用の丑の日に、千賀の浦の町、塩竈を訪ねた。

この夏の「土用の丑」は21日で、その明後日が「大暑」と暦は示すが、その通り、日差しがとても強い。

暑いが、この日は吹く風が涼しくて助かった。


思えば、今年(2011年)の杜の都は、文月の11日目には梅雨明けと告げられ、随分早くに梅雨明けしたものだ。

確かに、暦は7日が「小暑」で、そろそろ各地で梅雨の明ける目安の頃だが、東北は普通、小暑から2週間以上経ってから明けるものであった。


けれど、外を歩けば「なるほど」と思う。

何しろ、梅雨明け前の5日には聞かれなかったのに、梅雨明け後の13日には、街路樹から蝉の声が聞こえ、勢いを増していたものだ。



さて、まずは塩釜神社に参る。

そして塩竈神社の坂を下り、本町通りへと出た。


震災と津波の爪跡も所々に見えるが、以前に寄った御釜神社近くの魚屋さんも、お茶屋さんも、とすけ屋さんも再開していた。

(←本町:もとまち)


(←御釜神社傍)


 (←御釜神社向かい)


よかった、本当にほっとした。

 


本町を、御釜神社から東へ進み、造り酒屋の前を通って左へ曲がると、一番館がある。

一番館では、建物の外にも中にも、風に揺れる旗が見える。

近づいて見ると、旗と思ったものは、色とりどりのハンカチを連ねたものだった。

このハンカチには、様々な人々の励ましが書かれていた。

思いやりが嬉しい。 

 

松島の一歩:2011年5月の記録

2017-10-01 11:36:40 | 東北被災地の歩み:塩釜・松島

皐月の2日目、松島へ行く。

桜の散った仙台から、利府街道を通って行くと、利府では梨の花が満開だった。 

秋には、旨い利府梨を、また食べたいと楽しみに思う。


梨の花と、所々に代掻きのなされた田んぼに、コサギが来ていたのを眺めながら、東へと進んだ。

やがて、坂道を上り詰めると、道の向こうに松島の海が見えてくる。

       
町営駐車場に車を停め、松島の海を眺めながら坂道を下っていくと、松島水族館の前に出た。


水族館では、ペンギンの赤ちゃんが津波にも負けず、ちゃんと生まれ育っていたというし、先日はマンボウも運ばれ、水族館にマンボウが帰って来たという話もある。

まさに、公共広告の『あいさつの魔法』に出てくる「ただいマンボウ」だ。


水族館を前に、後ろは松島駅で、そこを左へ道なりに進むと瑞巌寺の入り口を通り、やがて五大堂へとたどり着く。

(五大堂向かい側辺り。店舗のシャッターが津波でひしゃげている。間の柱の下部で、茶色が少し剥げたように白っぽくなっているのが浸水した痕。松島の商店街も、至る処でこうした破損や修復中の姿が見られた。)



五大堂の向かいには、昨年に出来たばかりの干支記念館と松島観光物産館がある。

松島観光物産館の2階は、「浪漫亭」という食事処となっている。

ここも、営業を再開したというので寄ってみた。


昼餉は、浪漫亭で松島湾を眺めながら海鮮丼を食べる。


連れ合いは、よくばり十二種海鮮丼を、


自分はミニ3色丼を味わった。


やはり旨い。

アナゴは、とろけるように柔らかであった。


津波で、再開も大変だったろう、今の営業も何かと大変で疲れもあるだろうと察せられる。

けれども、声を掛けると、お店の方は笑顔を見せて応じてくれ、あったかく穏やかな空気が流れた。          



満腹で満足して階下へと降り、みやげ物を見て回る。

そこで見つけて、最も気に入ったのは、やはり松島の海苔である。


東松島の矢本地区は、「皇室献上海苔」として知られる、良質の海苔の産地だった。


3・11大地震の津波被災で、海苔の養殖や生産に必要な機材が流され、当面の生産は困難と思われる。

しかし、海苔の生産を地元の人々は諦めてはいない。

いつかきっと、皇室献上海苔を復活させると心に決めていることが、東松島町の広報誌に記されていた。



その松島の海苔を、気軽に食べやすく加工した味海苔もある。 

今、店で販売されているのは、被災前の在庫品だ。

この味を、しっかりと記憶し、復活へと踏ん張る生産者の気持ちを共有したい。


生まれ変わる被災地:南三陸町志津川中心部2016年12月の記録

2017-09-30 14:11:24 | 東北被災地の歩み:南三陸・石巻

町中が、地形から変わる大工事が続く志津川。
粒粒辛苦して、生まれ変わる町。

 


現在の志津川は、嵩上げ工事の真っ最中。

まるで町中が、大古墳群のようだ。

↓2016年12月30日の志津川にて

 

 ↓2011年の志津川の中心部 

左(東)側に魚市場や工場跡など。右(西)側に旧防災対策庁舎。

(さらに西方面に、志津川病院やサンポート、高野会館があった。)

中央(南)は、八幡川が志津川湾に注ぎいる。

かつては、八幡川と旧国道398が並行して通っていたが、道路は現在経路変更。


 

2016年暮の旧防災対策庁舎は、シートで覆われて盛土に囲まれていた。

 ↓2016年12月の旧防災庁舎

 

道路が経路変更し、いたる所で工事中のため、この時は以前と同じ角度で見るのは難しかった。

そこで、西側(高野会館の方角)から東方面(八幡川)を向いて眺める。

 

旧防災庁舎の向こう、川を挟んだ向かい側に、新しい「さんさん商店街」が見える。↓

             

 

 ↓以前(2011年)の防災庁舎

(北東から南西方向。左に八幡川、正面に志津川湾、右に高野会館という位置。)

(以前の道路は庁舎と並行して見えているが、現在では庁舎手前を横切る形で通っている。)


 

高野会館も、盛土に囲まれて残っている。

↓2016年12月30日の高野会館

 

↓2011年の様子

高野会館と志津川病院が並んで見えた。(後ろにサンポートの印がある天辺が覗く。)

 

↓2013年5月の様子

防災庁舎と高野会館が見え、病院は解体されている。

 

↓2016年、西側から見た高野会館。

周辺は嵩上げ工事中。


 

こうした嵩上げ工事のさなか、住宅はまだまだ再建できないが、人々は生業に励み、商店では仮設から新店舗へと移行して力強く一歩踏み出す。

 


さて、2016年末の思い出だ。

新しい始まりの前に、年越し準備も重なって、期待を胸に働く人々の笑顔がそこにあった。

 

↓2016年12月30日、閉鎖目前の旧さんさん商店街にて

志津川名物のタコ。


 

寒風の中、元気でめんこい店員さんが、釜揚げタコを一度干していた。