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元日に思うこと ―能登半島地震から一年―

 
●年越しの被災地の写真 
  
 大晦日と元旦には私は主な全国紙を買って来て、特に各紙のコラムを読み比べる習慣がある。読んでみた感想だが、元旦の今日が「能登半島地震から一年」だということと、今年が終戦からちょうど80年目の年にあたるということが、共通のテーマやモチーフになっていることが分かる。

 例えば前者の能登半島地震関連を取り上げていたのは、デーリー東北、読売新聞、朝日新聞である。後者の戦後80年関連では産経新聞、しんぶん赤旗、日本経済新聞である。毎日新聞は手に入らなかったので分からないが、ものの見事にちょうど5対5の割合の結果だった。

 新聞が「社会の木鐸」と言われた時代があったが、その中でも社説とコラムは各新聞社を代表するコーナーではないだろうか。そのコラムは社説と違い字数やテーマ、切り口などから親しみやすい存在である。それはともかく、本記事では前者の能登半島地震に焦点をしぼって少し紹介してみたい。

 「生まれ育った故郷での平穏な暮らし。そんなごく当たり前の願いのため、できる支援はないか」(デーリー東北)、「夜中に夫婦で助け出された。いまは蛸島の仮説住宅で暮らしている。娘のいる愛知県への移住も考えたが『人が減って寂しい』と友人に言われ、残ることにした」(朝日新聞)、「家族を亡くした人の悲しみの深さはうかがいしれない。家屋を失い、仮説住宅で年を越さざるをえなかった人の心細さはいかばかりか。災害関連死が増加の一途をたどる。住民が抱える重さを、少しでも取り除いていきたい。鎮魂の元日に」(読売新聞)

 昨日、私が書いた高浜虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」という俳句が教えるとおり、能登半島地震の被災地では、発災から一年になろうとしている現在でも、復旧・復興状況にかかわる課題は〝重い棒〟のごとく貫いているのだ。
 
 昼のニュースを見たら、インタビューに答えていたある石川県民が「平凡でもよいから平穏な日々の一年でありますように」というコメントが特に印象的だった。あらゆる災害や危機的状況に遭遇すると、人間はいかに平和や平穏な日々を欲するか、こうした心理は当事者でなければ理解出来ないだろうと思う。八戸に住む私たちも「東日本大震災」を経験しているから、被害状況の程度の差はあれ、想像はつく。

 「被災者が希望を持つためには『被災地を見捨てていない』という意志を国が行動で示すことが必要です。(中略) 震災以来、自公政権は予備費で場当たり的に対応してきましたが、総選挙後、初めて補正予算で対応しました。選挙で示された民意が反映したものです」というのだ。これはしんぶん赤旗の社説からの抜粋だが、大事な指摘だろう。
 
 元日の今日、私は地元の三嶋神社と洋野町の岡谷稲荷神社に行き、初詣をしてきたが、我が家と被災地の安寧を祈った。私は震災後に一度カンパをした限りだが、被災民に少しでも気持ちの上で寄り添い、一日も早い復旧・復興を願うばかりである。
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