ヨーダについての人気記事を以下に転載
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わたしは「スター・ウォーズ」を見るたびにストーリーに集中できなくなって困ってしまう。
ヨーダが出てくると親戚の依田家の人たちを思い出してしまうのだ。
世間で噂されているようにジェダイ・マスター、ヨーダのモデルは脚本家、依田義賢氏である。
70年代、依田の娘さんはサンフランシスコ近郊バークレーのカレッジに留学していた。
ある映画関係者にシナリオライター、Yoshikata Yodaの娘である、とうち明けると、依田のサンフランシスコでのフィルムアーカイブ講演会の企画がもち挙がった。そして開催された講演会の場にフランシス・フォード・コッポラ監督も出席した。それで友達のジョージ・ルーカスを招んだのであった。
ルーカスは依田の風貌、動作、耳の形や話しぶり、機知に富んだ表現に感銘を受けた。それがあのヨーダの立ち居振る舞い、言動に結晶したのだ。
その依田義賢(よだ よしかた)の経歴は
1909年4月14日/京都市生まれ平成3年(1991)11月14日に永眠。
京都市立第二商を27年に卒業後家の事情で銀行へ勤めるが左翼運動に傾倒し、退社。文芸の道に進むことを決心し、30年日活入社。31年処女作「競馬と女房」を書く。36年「浪華悲歌」以来溝口健二監督とコンビを組み、「残菊物語」、「元禄忠臣蔵」などを書く。戦後は「女優須磨子の恋」、「雨月物語」、「近松物語」「悪名シリーズ」などなど。海外のサイトを検索すると膨大な作品群とその好評価に出会う。
日本では忘れられていても海外で、より有名な人なのである。
大阪芸術大学映像学科の名物教授として活躍していたこともあって
依田の薫陶を受けた生徒達はヨーダの出演場面を眼にするとかつての授業が甦るだろう。
わたしは平成十四年8月19日に京都の依田家の菩提寺に行って母の妹が入った依田家の墓にお参りした。
ルーカス監督は世界中のあらゆる神話伝説を元にして壮大なストーリーを作り上げたというが
C3POとR2D2は「隠し砦の三悪人」の千秋実と藤原鎌足だしダース・ベーダーは三船敏郎だし、
ルーク・スカイウォーカーは同じ黒澤監督の「姿三四郎」の三四郎でヨーダは矢野師範であるという説が海外のウェブサイトでも定説になっている。
黒澤監督はジョン・フォード監督の影響を受け、コッポラやルーカス監督は黒澤や依田の影響を受け、
手塚治虫はウォルト・ディズニーに影響され、世界のアニメ界は手塚に影響されと芸術界は常に回転している。
fumio
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