絶滅の倫理
同性婚について議論するとき、どうしても避けられないのはゲイカップルが利用する代理出産についての問題だ。
「同性婚によって異性愛者と同じように結婚できるのなら、同性愛者は彼らと同じように血の繋がりのある子どもを持てて当然だ」との声がゲイから上がってくるのは目に見えている。
現に日本でも、少なくないゲイが海外で代理出産を行い、子どもをもうけている。
インスタにはゴージャスな彼らの生活がアップされていたりする。
国会でも生殖医療法案を審議する過程で代理出産の話題が出たという。
2024〜2025年に行われた厚労省、法務省の合同検討会が代理出産の論点整理をしており、生殖医療法案とは別に進めていくことになりそうだ。
だが代理出産は、女性搾取だとの批判も多い。
200〜300万円という端金で、命懸けの出産を強いる貧困ビジネスだからである。
ここにコンフリクトがある。
ゲイが子どもを持つことを阻止する女性は差別主義者なのか?
それとも女性の体を物として扱うゲイこそ差別主義者なのか?
クィア理論家のリー・エーデルマンは生殖=再生産と結びついた形での「再生産的未来主義」を批判し、「絶滅の倫理」を説いた。
自分も含めた同性愛者は一代で絶滅することこそ倫理である、と。
しかし、LGBT活動家はこれに猛反発。
同性婚を推進するLGBT活動家と代理出産を推進するLGBT活動家は、ほぼ重なる。
「同性婚は認めるけど、あなたたちが代理出産で子どもを持つ権利までは認めない」といえば、必ず「差別だ〜!」と攻撃される。
それでも国会議員は、悪者になる覚悟があるだろうか。
同性婚を導入するということは、つまりそういうことだ。
リベラルとは、個人の権利を際限なく拡張していく思想。
保守とは、共同体の歴史伝統文化を意識しながら、どこまでなら線引きを許容できるかを考える思想。
そのせめぎ合いが、LGBT問題でも起こっていると見るべきだろう。
さて、LGBTを切り口に社会を分析する私のニュースレターが始まりました。
こんな感じで頑張っていますので、ぜひ一度目を通してみてください。


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