これまで10回にわたって『ついに現われた幻の奉納文 伊勢神宮の古代文字』(丹代貞太郎・小島末喜:著、小島末喜:1977年刊)という本の内容をご紹介してきましたが、いかがだったでしょうか?
こういった貴重な資料を、内容を精査することなく頭からニセモノと決めつけてしまう人が多いことは残念ですが、これまでの調査によって、これらの「かみのみたから」が国宝級の文化財であることが明かになったのではないかと思います。
さて、この調査をあまり長く続けるのは読者の皆さんを退屈させてしまうと思われるので、この続きはまた別の機会に譲ることにして、今回は、「かみのみたから」に対する批判がどのようなものなのかご紹介したいと思います。
私が調べたところ、『典籍雜攷』(山田孝雄:著、宝文館:1956年刊)という本に掲載されている「神宮文庫に傳ふる神代文字」という論文が、「かみのみたから」に対する批判として最も有名なもののようで、その主張を要約すると以下の4点となります。
1.漢字伝来以前には文字がなかったとする文献が多数存在すること。
2.古くから言い伝えられている日文(ひふみ)四十七音について、無意味な音の羅列で荒唐無稽であること。
3.奈良朝頃までは日本語にア行のエとヤ行のエとが日常の語にも明かに区別されていて四十八音であったこと。
4.「かみのみたから」には、神代の記事や、神代の神々の書というものが無く、どう見ても明治時代の人の手に成ったものであること。
なお、日文四十七音とは、次の図に示すような、「ひふみよいむなやこともちろらねしきるゆゐつわぬそをたはくめかうおえにさりへてのますあせゑほれけ」という呪文のような文字列です。
この本の著者の山田孝雄氏は、文化勲章を受章した国語学者なので、これらの批判は一見もっともな指摘のように思われるかもしれませんが、実は独断と偏見に満ちた非常識な議論であって、とても学者が書いたものとは思われないのです。
私がそう考える理由を列挙すると、以下のようになります。
1に関しては、神代に文字があったと書かれている文献(釈日本紀、神代巻口訣)も存在するので、無意味な議論となっています。
2に関しては、日文四十七音の意味は、『五十音図説』(亀田鶯谷:著、一二三社:1878年刊)という本に説明されており、決して無意味な音の羅列ではありません。山田氏は、自身の不勉強や頭の悪さを棚に上げて、十分な調査もせずに荒唐無稽だと決めつけているのです。
3に関しては、このブログで論じてきたように、奈良時代初頭にはア行のエが存在しなかったことは明白ですから、奈良朝頃までは四十八音だったという山田氏の認識は根本的に間違っています。
4に関しては、紙が存在しなかった古い時代の記録が無いのは当たり前であり、しかも紙は劣化するため、模写を繰り返して後世に伝える必要があるので、明治時代に模写されたとしても何の不思議もありません。
ただし、この説明では納得できないという方もおられるでしょうから、次回以降、この問題をさらに詳しく論じていきたいと思います。
