なぜ高市首相はフェミニストから受け入れられないのか:リーン・イン・フェミニズムの限界から考える
女性初の総理大臣に高市早苗が就任した。しかしながら、("愛国的な"人を除き)女性からの支持は芳しくない。
アンチ・フェミニストは頭が悪いので「フェミニストなのに女性首相を支持しないのはおかしい」などという愚論を展開しているが、もちろんそんなルールはどこにも存在しない。彼らが同じ男である鳩山由紀夫を支持しなくても別におかしくないように、フェミニストだからといって女性首相を支持しなければいけない理由はない。
高市がフェミニストから支持されない理由は無数にある。最も大きな要因は、高市が女性の権利の擁護や男女平等に真っ向から反する思想を持つ人物であるということだ。選択的夫婦別姓にすら賛同できない人物であり、女性蔑視的な要素を含む歴史修正主義を推し進めた安倍晋三とも思想的な距離が近い。同じ属性を持つことはその属性のためになる政策を進めるということを保障しない。アンフェたちは同じ男をときに「チン騎士」などと言って罵倒しているから、当然理解できる理屈のはずだ。
もっとも、そうした側面からの批判は既に言い尽くされてきたし、言わずもがなということもある。今回の記事では、もう少し違う角度で高市首相が支持されない、支持できない理由を掘り下げていきたい。
リーン・イン・フェミニズム
今回、高市批判の補助線として導入する概念はリーン・イン・フェミニズムである。
リーン・イン・フェミニズムないしはLEAN INをざっくり説明すると、企業や社会の中でバリバリ働くことで出世して女性の地位を向上させようという考え方と言える。つまり、男が中心的な企業などで男たちと対等に、ときには凌駕しながら活躍することで女性の地位をあげていくという発想だ。
こうした発想は自己啓発と結びついて一時の流行を見せたようだ。同時に厳しい批判にも晒された。批判の要点の1つは、リーン・イン・フェミニズムは企業で働く女性、しかも大企業の正規雇用でばりばり働くような女性しか視野に入れていない思想だというものだった。
フェミニズムの歴史を紐解くと、フェミニズムを最も批判しているのはフェミニストだということがわかる(アンフェの戯言は批判に含まれないので)。その批判は主に、フェミニズムが想定する女性の範囲の狭さに向いていた。初期のフェミニズムは白人女性のみを想定していたと批判され、そこからブラック・フェミニズムやその他の人種、民族も射程に入れるフェミニズムの思想が生まれてきた。現在フェミニストに分断をもたらしているトランスヘイトも、トランスジェンダー女性を女性に含めるか否かという範囲の争いだと解釈することができる(そして、歴史が繰り返されるならトランス女性を女性と見なす側が主流になるだろう)。
リーン・イン・フェミニズムへの批判も同じ文脈で考えることができるだろう。女性の社会進出が進んだとはいえ、女性の多くは非正規雇用であったり専業主婦だったりする。非正規雇用の女性は「企業でバリバリ働い」たところで出世の機会が得られるわけでもなく、企業に搾取されるのがせいぜいだ。専業主婦であれば「企業でバリバリ働く」ことすら叶わない。リーン・イン・フェミニズムはそうした立場の女性をまったく考えていない思想だと批判できる。
これは個人的な解釈を多分に含むものだが、リーン・イン・フェミニズムへの批判の要点として、それが結局のところ男性優位の社会を自明視し肯定する格好になってしまうということもあると思われる。
企業でバリバリ働いて出世をするということは、その社会にあるルールに則った競争で勝利するということである。それはつまり、ルールを変えるのではなくルールにどう適応するのかという問題に話がすり替わってしまう。
しかし、そもそもそのルールが男性中心的、男性優位的なのがおかしいのではないか、という点こそをフェミニズムは批判してしかるべきだ。女性の多くが非正規雇用に追い込まれるのは、女性にやる気がないからでもそのことを望んでいるからでもなく、女性を非正規雇用に誘導する社会的な構造が存在するからに他ならない。家事や子育て、介護が女性の仕事だという風潮が強ければ、結婚した女性は仕事をやめてそれらに専念することが求められる。女性の賃金が低ければ男性よりも女性が仕事を辞めることが「合理的」になり、その風潮はますます加速する。そして、非正規雇用に女性が多ければ「女の仕事の賃金は安い」という風潮が生まれ、ますます女性の賃金は安くなる。
フェミニズムはこうしたルール、社会構造こそ批判し変えていくことが期待されている。少々露悪的な表現をするならば、リーン・イン・フェミニズムは、「たまたま」男性優位社会のルールで戦える機会を得た女性がそのようにしただけのことに過ぎず、フェミニズムに期待されることはあまりしていない。
リーン・インと高市批判
高市と新自由主義の親和性
こうした背景から高市の言動を捉えると、彼女があくまでリーン・イン・フェミニズムの考える理想像に過ぎないことが伺える。
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