共食い資本主義論で読む女性首相 「99%のためのフェミニズムを」
私たちは今、カニバル(共食い)資本主義の中を生きている――。世界的に著名なフェミニズムの理論家として知られるナンシー・フレイザーさんは、ジェンダー不平等を含めた様々な社会の危機を資本主義論として捉え直す視点で現代社会を分析している。ジェンダー平等はどう資本主義の問題と関わるのか。史上初の女性首相が生まれた日本を訪れたフレイザーさんに聞いた。
ナンシー・フレイザーさん
1947年生まれ。米ニュースクール大名誉教授。専門はジェンダー論、批判理論。邦訳に「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」(ちくま新書)、共著に「99%のためのフェミニズム宣言」(人文書院)など。
――日本では、史上初の女性首相が誕生しました。画期的なことですか。
フェミニストとして私が言えるのは、女性が首相になったという事実だけをもって、フェミニズムが前進したとは言えないということです。英国のサッチャー元首相のケースを思い出して下さい。彼女は女性でしたが、労働者や福祉に厳しい政策を進め、多くの女性や弱い立場の人びとの生活を損なった。
象徴だけでは、人々の暮らしはよくならないのです。政治学者アン・フィリップスは、「誰がそこに『いる』か」を重視する「プレゼンスの政治」と、「どんな政策や価値を代表しているか」を重視する「アイデアの政治」を区別しました。
ジェンダーよりも経済、なのか
私は明確に、後者、つまりアイデアの政治を優先します。
日本の新しい首相は、非常に保守的な立場だと聞いています。私は、富の再分配、公共サービス、ケアの充実を重視します。もしそれを本気で進める男性政治家と、新自由主義的な女性政治家のどちらかを選べと言われれば、私は前者を選びます。
もちろん、政治の場に女性が少ないこと自体は深刻な問題です。しかし、例えばこう考えてみてください。ごく少数のエリート、いわば「上位1%」の世界だけで男女比を整えたとしましょう。そして残る99%の女性たちの賃金、働き方、ケア負担が変わらなければ、平等ではありません。いま必要なのは、「1%のためのフェミニズム」ではなく、「99%のためのフェミニズム」なのです。
――ジェンダーよりも経済的な問題の方が重要だ、ということですか。
まず断っておかないといけないのは、資本主義とは経済の仕組みを指すわけではありません。私たちの社会には、市場で値段がつかないものがたくさんあります。子育てや介護、地域での支え合い、公共サービス、法や民主主義、そして自然環境。こうしたものが土台となって、はじめて企業活動や利益が成り立ちます。
ところが現在の資本主義は、その土台をただで、あるいはきわめて安く使い潰してもよいものとして扱い、食い物にしている。だから私は、いまの体制を「カニバル」資本主義と呼んでいます。
様々な危機から見いだせる同じ論理とは
具体的な例を言いましょう。ケア労働は、低賃金か無償に押し込められ、人手不足で限界まで疲弊しています。企業は短期的な利益を優先し、環境コストを外部化することで気候危機を加速させていく。福祉や教育も私たちの社会に欠かせない土台ですが、これもまた公的支出が削られています。一方で金融市場や大企業は手厚い保護で守られています。
こうした様々な危機は、実は同じ論理から生じています。自分が生きるための土台を、内側からむさぼる。だからカニバル資本主義で、危機はつながっているのです。ジェンダーよりも経済という話ではありません。
――ジェンダー平等は十分ではないにせよ、近年前進させていくべきだという考え方が定着してきたように見えます。それでもカニバル資本主義は加速しているのでしょうか。
1990年代以降の欧米では、「多様性」「女性の登用」「LGBTQの権利」など、本来は重要な価値の言葉が、大企業やリベラル政党のブランド戦略と結びついてきました。私はこれを「進歩的ネオリベラリズム」と呼んでいます。
口では「インクルージョン(包摂)」を語りながら、実際には金融の自由化や労働規制の緩和を進め、労働組合を弱体化させ、格差を拡大させる。
その担い手となったのが、米国のクリントン元大統領、英国のブレア元首相、ドイツのシュレーダー元首相ら、かつて「中道」と呼ばれた指導者たちです。
彼らは、多様性のレトリックを掲げつつ、下層・中間層の生活基盤を切り崩しました。その結果、エリートに裏切られたと感じる人びとの怒りが行き場を失い、極右ポピュリズムや「トランプ主義」を押し上げたのです。
米国では、大口献金と企業ロビーが政治を深く支配し、民主党も共和党も「金に握られている」と多くの市民が感じています。本気で再分配やケア、公教育を立て直そうとする勢力は、しばしば党内で周縁化されてきました。体制全体の正統性は揺らぎ、安定した「常識」が失われた状態になっているのが現在です。
イスラエル批判、ドイツの大学が招待を撤回 東京大学へ
――あなたは、イスラエルのパレスチナ自治区ガザへの攻撃に抗議する書簡に署名したところ、ドイツの大学からの招聘(しょうへい)を撤回されたと聞きました。
(戦闘が始まった直後の)2023年11月に公開された、イスラエルを批判し攻撃をやめるよう求めた書簡にサインしたところ、すでに講義することが決まっていた(ドイツの)ケルン大学から招聘しないとの連絡があったのです。イスラエルへの批判が、ユダヤ人という属性への批判になるというのはおかしな話です。実際に世界各地に離散しているユダヤ人コミュニティーは多様であり、イスラエルとイコールではありません。実際に世界各地で「この虐殺を私たちの名で行うな」と声を上げるユダヤ人たちがいます。
しかし現在、欧米の大学や文化機関では、イスラエル批判の声に対して、ポストや招待の取り消し、学生への処分など、過剰な制裁が加えられる事例が相次いでいます。これは学問の自由や表現の自由の観点から深刻な問題です。ケルン大学からの招聘の撤回を知った東京大学の斎藤幸平准教授と國分功一郎教授から招待を受け、今ここで授業をしています。
いま世界は、カニバル資本主義がもたらす総合危機のただ中にあります。ケアの危機、気候危機、格差拡大、民主主義の形骸化――これらは別々のニュースではなく、一つのシステムの矛盾がさまざまな場所で噴き出しているのです。
1947年生まれ。米ニュースクール大名誉教授。専門はジェンダー論、批判理論。邦訳に「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」(ちくま新書)、共著に「99%のためのフェミニズム宣言」(人文書院)など。
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- 【視点】
資本主義が共食いにより内部から崩壊していくことを食い止めようとするならば、「本気で再分配やケア、公教育を立て直そうとする」ことが何よりも重要であるとフレイザー氏は主張している。しかし現実には、国家間対立など「外部の敵」を作り上げて問題の所在をずらすとともに、殺傷能力のある武器の輸出などでいっそう強欲に政財界の一部で利得を独占しようとする動きばかりが目立つ。それを率先している高市首相に対して期待などできるわけがないだろう。「女性でさえあればどんな人物でもよい」などと考えることは、女性という属性に対する侮蔑に他ならない。
…続きを読む - 【視点】
ナンシー・フレイザー氏の言う通り、子育てや介護、つまりケアに価値が与えられない社会の構造こそが問題であることを踏まえ、その状況を変えていくための公共サービスの拡充、法改正や民主主義を推し進めていくことでしか、99%の人びとの生活は救われない。 高い役職に就き、責任も大きい働き手は自身で育児、介護や家事をすべてこなしてきたのだろうか。大抵は、専業主婦の配偶者がいたり、ベビーシッターやヘルパー、家事代行などの手を借りたりしながら、資本に頼っているのではないか。フェイスブック(現在はメタ・プラットフォームズ)社の元C00のシェリル・サンドバーグも「ガラスの天井を打ち破る」ことを唱えながら、社会経済的なしがらみに取り組むことを避け、ごく一部の特権ある女性のための「リーン・イン・フェミニズム」を擁護してきた。他方、ケア労働者たちは低賃金で育児、介護、家事といった社会的再生産に従事しながら、自身の家事や子育てを担うことになる。このような構造に目を向けない政治家が首相になったところで(それが女性であったとしても)この構造に変革はもたらされないだろう。 このように、けして平等とはいえない「能力主義」を問題視するフレイザー氏の『99%のためのフェミニズム宣言』*の議論は、ライフワークバランスをめぐるここ最近の高市早苗氏の発言とあまりに符合する。本書では、このような能力主義を求める「リベラル・フェミニズム」の問題点を明かにしている。 フレイザー氏は「富の再分配、公共サービス、ケアの充実を重視します」とはっきり主張する。99%のためのフェミニズムは、大多数の女性たちの要求と権利を擁護する。すなわち新しく首相に選ばれた高市氏が掲げる「能力主義」を核とした新自由主義に抵抗する立場だ。もし再分配やケア、公共サービスを重視する政策を「本気で進める男性政治家と、新自由主義的な女性政治家のどちらかを選べと言われれば、私は前者を選びます」と彼女は答えている。 市場で値段がつかない子育てや介護、ケア労働は、じっさいには、わたしたちの生活だけでなく、企業の活動をも支えてきた。このことを軽視し、食い物にする今の社会をフレーザー氏は「カニバル」資本主義と呼ぶ。まさに言い得て妙だ。 *『99%のためのフェミニズム宣言』はシンジア・アルッザ、ティティ・バタチャーラと共著、恵愛由訳、人文書院。
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