落合ドラゴンズの名参謀・森繁和氏が明かす中日黄金期の幕開け 「10パーセントの底上げで優勝」の真意
【写真は共同】
森繁和は、すべてを任せられる参謀である。
私の中日ドラゴンズでの8年間、
勝負の本質は彼なくしては語れない。
「そろそろ当時のこと、話そうか?」
栄光も屈辱も経験 ドラゴンズでの14年間
すべてを知る男
14年間で四度のリーグ優勝と53年ぶりの日本一
それでも願わくば、もう一度強い中日を見せたかった
『回想 栄光も屈辱も経験 ドラゴンズでの14年間のすべてを知る男』(森繁和著)から一部抜粋して公開します。
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「来年からちょっと名古屋に行くよ」
「もう横浜終わりだろ? 辞めるんだろ?」
そんなことを言われた。この年の横浜は4月からずっと最下位に低迷していたし、私を呼んでくれた森祇晶さんも前年途中で解任されていた。私も次のことを考えないといけないから、球団にも来季のことを早く決めて欲しいと話しているところだった。そんな情報をどこからか耳にして電話をしてきたのかもしれない。
「辞めるんならちょっと手伝ってくれよ」と言う落合さんに「どこかで監督をやるんですか?」と聞いたが、そのときは球団名までは教えてくれなかった。ちょうど何日か前のスポーツ新聞に中日の次期監督候補として落合さんの名前が出ていたなぁとか、古巣のロッテという可能性もあるかなと思ったりもしたが、落合さんに誘われるならやってみたいという気持ちがあったから球団は正直どこでも良かった。私は明確に返事こそしなかったが、このとき既にコーチの要請を受けることはほぼ決めていた。
数日後にもう一度落合さんから電話があり「中日のこういう人間から電話がいくから話を聞いてほしい」と言われ、そこで初めて中日なのだと分かった。私は1978年のドラフト会議で四球団競合の末に西武に入団しているが、中日は私を1位指名してくれた球団の一つだった。あれから25年も経ってまさか中日のユニフォームを着ることになるとは思わなかった。
ちなみに同じ年にロッテに3位で指名されている落合さんも私とはプロ入り同期ということになる。その後に決まるコーチ陣も、高代延博、高橋三千丈、石嶺和彦、少し遅れて入ってくる高柳秀樹もみんなドラフト同期。不思議な縁を感じたものだった。
横浜のコーチ時代に敵として中日を2年間見てきて、面白いチームになってきているな、面白いピッチャーがいるなとは思っていた。だからコーチをするのも、落合さんと一緒にやるというのも楽しみだった。だからカミさんに相談することもなく「来年からちょっと名古屋に行くよ」と中日のコーチになることは事後報告だった。
開幕投手を決めた温泉旅行
野手総合チーフの高代、落合さんと私とは、同じ時代に社会人、パ・リーグでやっている間柄。打撃コーチの石嶺はパ・リーグ時代に戦っていて、「左ピッチャーを打つのが上手い」と落合さんがそのバッティング技術を認めていた男。打撃兼外野守備走塁コーチの長嶋清幸も中日時代に落合さんと一緒にやっているし、二軍監督の佐藤道郎さんは、ロッテ時代に選手、コーチとして一緒にやっていて「『(自分が)監督をやるときがあったらお願いします』って今まで言ったのは佐藤さん一人だけ」と落合さんから聞いていた。もちろん私も旧知の間柄だった。
コーチ陣には孝政の他にも宇野勝や仁村徹といった落合さんが中日時代に共に戦った仲間の名前もあった。だが彼らは落合さんがコーチ就任を依頼したわけではなく球団の方から「使ってくれ」とお願いされた人事だったと思う。逆に中日OB以外のコーチ陣は基本的には落合さんが自分で声をかけて連れてきたのだと思う。「思う」という言い方になってしまうのは、落合監督1年目のコーチ人事に私は全くタッチをしていないから。
コーチ人事が決まった後、監督とコーチ陣で温泉に行ったことがあった。このときのメンバーは私と高代、佐藤さん、石嶺など合計8人。そこに中日OBのコーチ陣は呼ばれなかった。それは落合さんが外部に情報が漏れることを嫌がっていたからだ。中日OBは口が軽い、信用できないとかそういうことではない。東海テレビやCBC、中日新聞も含めて地元メディアとの結びつきが強い人間が多かったので、自分が解説者時代にお世話になっていたメディアから「ちょっと教えてくださいよ」と言われれば「ここだけの話だぞ」とついつい喋りたくなってしまうもの。そういう光景を落合さんは中日時代に見てきていたのだろう。だから中日のOB陣は呼ばれなかったのだ。
開幕投手を決めたのもこのときだ。みんなで温泉に入っていて、たまたま落合さんと二人になったタイミングがあった。「開幕投手だけ俺が決めていいか?」と言うから、「まだ練習も見ていないのに何を言っているんだろう?」と思ったが(笑)。そうしたら「川崎(憲次郎)で行く」と言う。中日に移籍してから一試合も投げていなかった川崎をどこかで引退させなければいけない、見切りをつけなければいけない時期に来てはいた。かといって大事な終盤に一軍に上げて引退させるかどうかを決めるわけにはいかない。だから、それをするのであれば開幕戦が一番良いというのはある。開幕投手に任命して「ここで投げられないようだったら引退だぞ」ということを落合さんはしたかったのだろう。それは私もありだと思った。
もう一つ思ったのは「いきなり開幕戦で捨てゲームをやるんだな」ということ。開幕戦の相手は広島で、開幕投手は間違いなくエースの黒田博樹が来ることが予想できた。開幕投手が川崎なら黒田に川上憲伸や山本昌をぶつけなくて済む。一番計算できる憲伸を三戦目に持っていって最悪でも1勝2敗で終わりたいという計算もあったはずだ。
開幕投手・川崎。これはこの旅館に来ていたコーチ陣の中でも知らされたのは私だけ。もちろん「誰にも言うなよ」と釘を刺されたから川崎以外には一切話さなかった。今にして思えば、私も落合さんに試されていたのかもしれない。