③:精神的に向上心のない者はばかだ
場面が変わります。そんなある日、私が大学の図書館で調べ物をしていると、Kが現れ、散歩に誘われます。誘われるままに二人で上野公園辺りを歩くことになりますが、妙な感じです。
Kが私を散歩に連れだしたのは、お嬢さんへの恋に陥っている自分に対して私の批判を求めるためでした。「一言で言うと、彼は現在の自分について、私の批判を求めたいようなのです」と書かれています。Kは自分について人の意見を求めるような人間ではないわけですから、これは私にとって思ってもみないことでした。
Kの現在を考えてみましょう。
何故私の批評が必要なのかと尋ねると、「彼はいつもにも似ない悄然とした口調で、自分の弱い人間であるのが実際恥ずかしいと言いました。そうして迷っているから自分で自分がわからなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるよりほかにしかたがない」と言い、「迷うとはどういうことか」と質されると「進んでいいか退いていいか、それに迷うのだと説明しました」。そして更に、「退こうと思えば退けるのか」という問に対しては「彼はただ苦しいと言っただけでした」と応答しています。
悄然とした口調、自分の弱さが恥ずかしい、迷う、苦しい・・Kの苦しみがよく伝わってきますが、Kはどうしてこんなに苦しいのかというと、自分の理想と自分の現実が矛盾してしまっているからです。もう一度整理してみますが、平生のKは「道のためにはすべてを犠牲にする」という理想に基づいて生きています。求道者とも言えるような強い生き方を貫いてきたわけです。ところが現在のKはお嬢さんへの恋心を抱いてしまった。Kの中でこの二つは両立させることはできない。しかも、どちらも捨てきれない。そういう理想と現実の狭間に立って立ち往生していることになります。
適当にやればいいじゃないのって思いませんか?でも、それもKには許されないことなんです。
一方、私はここでKの真意をつかむことになります。「迷う」というKの言葉を聞いてしまった・・。「私はすかさず迷うという意味を聞きただしました」「私はすぐ一歩先へ出ました」とか、今まで「魔物」として恐れていたKに向かって攻める姿勢に転じていることがうかがえます。
お嬢さんという利害の衝突がなかったら、「私はどんなに彼に都合のいい返事を、その渇ききった顔の上に慈雨のごとく注いでやったかわかりません。私はそのくらいの美しい同情を持って生まれてきた人間と自分ながら信じています」。実際に私は神経衰弱に陥っているKを下宿に連れてきています、その友情からKに柔軟な生き方を示唆したりもしているわけです。今、悩んでいるKに同情を禁じ得ない友情も持ち合わせているわけです。「しかしそのときの私は違っていました」。どう違っていたのか。
「他流試合でもする人のようにKを注意して見ていた」「すべて私という名のつくものを五分の隙間もないように用意して、Kに向かったのです」。私の、はやる気持がよく伝わってきます。
私はどう変化したのでしょうか。今までの私を整理してみましょう。平生のKに対して私は劣等感を持っていました。何をしてもKには及ばないという感じですね。そういうベースがあったところへ、お嬢さんへの恋を告白され、そのKの重々しい真剣な口調にとてもこいつを動かすことはできない恐怖を感じました。お嬢さんを奪われてしまうという強い恐れです。と同時に、平生のKと今お嬢さんへの恋を口にするKのギャップが理解できず、Kを「一種の魔物」のように感じていました。
ところが、今、Kが「自分の弱さが恥ずかしい」「迷っている」「自分で自分がわからない」「苦しい」と、言ってみれば自分の弱さを私の前に向こうから、全く無防備にさらけ出してきました。ですからここで私は初めて「Kは弱い」ということをはっきり認識したわけです。
理解できないものは「魔物」ですが、理解できてしまえば、もう魔物でも何でもない、ただの恋に迷う男に過ぎません。私は完全にKより優位に立ったことを自覚します。その気持が「私は彼自身の手から、彼の保管している要塞の地図を受け取って、彼の目の前でゆっくりそれを眺めることができたも同じでした」という表現に表れています。
どんなに堅固な要塞もその図面があれば弱点を探し出すことができます。スターウォーズのデススターを破壊するシーン。(もう古い?)図面を手に入れて、原子炉の熱排気口が外に通じていることを発見し、そこから爆薬を原子炉に落とした。いかなる要塞も弱点を持っています。
しかも、その地図を相手の「目の前でゆっくり眺める」と書いてあります。例えば敵将の目の前で彼が持っていた城の図面を広げて弱点を探るとしたら敵将としてはこれ以上ない屈辱、断腸の思いです。勿論Kはそういう私には全く気づいていないわけですが、この表現はそれほどに優勢に立ったことを明確に意識した私の得意げな余裕を表しています。「もう一撃与えればKを倒すことができる」。私はそう考え、Kにあることばを浴びせかけます。それが「精神的に向上心のない者はばかだ」という言葉でした。
Kが「理想と現実の間に彷徨している」のを私は発見してしまう。「彷徨」は「さまよう」こと。Kが理想と現実の間でにっちもさっちもいかず立ち往生しているのを発見して、私は攻めに出ます。「虚につけ込む」の「虚」は文脈からすれば、「すき」「油断」くらいになるでしょう。全く無防備に友を信頼して自分の弱さをさらけ出しているKの傷口に、私は塩をなすり込もうとしているわけです。
そこで「精神的に向上心のない者はばかだ」ということばをKに浴びせかけたわけですが、ちょっと隣の人とジャンケンをして、勝った人が負けた人に向かって、この言葉を、相手をいかにも蔑んだような口調で言ってみてください。どうですか。嫌な気持になりましたか。そんなでもない?確かに「ばかだ」と言われれば腹が立ちますが、このことば自体がそれほどの打撃になるかというと疑問です。
私がこの言葉を使ったのは、単にKを罵倒するためではありません。
この言葉は、実は、かつてKが私に対して使ったK自身の言葉です。「これは二人で房州を旅行している際、Kが私に向かって使った言葉です。私は彼の使ったとおりを、彼と同じような口調で、再び彼に投げ返したのです」と書かれています。テキストには採り上げられていない部分には「Kは昨日自分の方から話しかけた日蓮のことについて私が取り合わなかったことを快く思っていなかったのです。精神的に向上心のない者はばかだと云って、何だか私をさも軽薄もののように遣り込めるのです」と書かれています。ですから「同じような口調」というのは、いかにも軽蔑した口調ということになりますが、この言葉はKの生き方を表している言葉であるわけです。
厳しいKの生き方。「精進」ということばを愛し、「禁欲」を励行し、「道のためにすべてを犠牲にする」のがKの第一信条です。そのためにはピュアな愛でさえ否定されなければならない。皆さんはこういうKについていけますか?
Kにとっては何よりも、高く、美しい「精神」が大切なのであって、それを磨くために自分が存在しています。それこそが「自分」の存在そのものであり、そういう理想から私を侮蔑し発したことばが「精神的に向上心のない者はばかだ」という言葉であり、だから、Kにとっては打撃であったわけです。自分がこれまで大切にしてきたものを、今、自分が汚していることに気づかされたからです。
しかし、私がこの言葉を使ったのにはもう少し複雑な理由があります。
策略と言っていいと思いますが、こう説明されています。「しかし決して復讐ではありません。私は復讐以上に残酷な意味を持っていたということを自白します。私はその一言でKの前に横たわる恋の行く手をふさごうとしたのです」。
復讐ではなく、復讐以上に残酷な意味を持っていた・・この言葉によってKのお嬢さんへの愛を諦めさせようとした、ということになるでしょう。「私はこの一言で、彼がせっかく積み上げた過去を蹴散らしたつもりではありません。かえってそれを今までどおり積み重ねてゆかせようとしたのです」とありますが、でも、何故、この言葉によってKがお嬢さんへの恋を諦めることになるのでしょうか。
私はKの内部矛盾をKに気づかせることで、Kに今まで通りの道を行かせようとしたわけです。純粋な恋愛をも否定する硬質な生き方をKが貫こうとすれば、自然、Kはお嬢さんへの恋を諦めるしかありません。それを狙った言葉。卑劣な感じがしますか?
勿論、苦しんでいるKにとってそれはひとつの解決策ではあるのですが、私はそんな友情を考えていません。「道に達しようが、天に届こうが」構わない、「私の利害と衝突」しない、すなわちKがお嬢さんを諦め、自分がお嬢さんを得られればそれでいいのです。こう書かれています。「要するに私の言葉は単なる利己心の発現でした」。「利己心」、エゴイズムです。
更に私はKを追いつめていきます。「精神的に向上心のない者は、ばかだ」と再度同じ言葉を浴びせかける。Kの反応を待ちますが、それは「待ち伏せ」と表現され、Kを「だまし討ち」にしても構わない、そしてKの正直な善良さに敬意を払わず、「かえってそこにつけ込んだ」「そこを利用してうち倒そうとした」、あるいは「狼のごとき心を罪のない羊に向けた」「狼がすきをみて羊の咽喉笛へ食らいつくように」というふうに悩むKの心に土足で踏み込んでいきます。
これに対し、Kは「ばかだ」「僕はばかだ」という言葉を発します。これは私が意図したように、Kは自己の矛盾していることに気づき、その愚かな自分を責めていると受け取ることができます。
ところが、私はこの言葉に思わず「ぎょっと」します。「居直り強盗のごとく感じられた」・・つまり、Kが開き直ってお嬢さんへの恋に向かっていくのではないかと一瞬の疑念が脳裏によぎります。
しかし、Kには全くそんな気はありません。理想と共に歩んできた自分が、その理想に反していたことを率直に羞じているのだと考えられます。
この辺りから、いや、ずっと前からといってもいいですが、私とKの内面は微妙に、いや完全にずれていきます。それが結局は悲劇の要因になるのですが、今は私にその自覚はありません。
Kは続けて「もうその話はやめよう」「やめてくれ」と言います。悲痛な哀願です。自己矛盾を指摘されて平静でいられるほどKは策士ではありません。そして「覚悟はあるのか」という私の問に対して「覚悟?」「覚悟ならないこともない」と返答しています。
私の問の「覚悟はあるのか」の「覚悟」が意味しているのは、お嬢さんを諦める「覚悟」ですが、では、Kの言った「覚悟」は何でしょうか?最後まで読むと分るかもしれません。いや、最後まで読んでも分らないかもしれません。自分を責める思いから自己否定に向かっていくニュアンスが感じられますが、Kの「覚悟」が何であるのか、頭の隅にとどめておきながら先を読み進めたいと思います。
④:覚悟
二人は上野公園から下宿に戻ってきます。
Kに打撃を与えた後の私はKを打ちのめした得意、満ち足りた気持の中にいます。Kが部屋に入ったのを追いかけて、わざと世間話をしむけたりもします。打ちのめされているKは無論誰とも口を利きたくないはずです。それが分っていて、わざと私はKの部屋に座り込み、話しかけるのです。「私の目には勝利の色が多少輝いていたでしょう。私の声にはたしかに得意の響きがあったのです」。嫌な感じですね。
「ほかのことにかけては何をしても彼に及ばなかった私も、そのときだけは恐るるに足りないという自覚を彼に対して持っていたのです」。優越感、自分がKの上に立っているという自覚です。私はずっとKに対して劣等感を持ち続けてきたわけですから、完全に今、私の中では立場が逆転したことになります。「安静な夜」とありますが、Kの告白を聞いてから寝られない日が続いていたかもしれません。
ところで、こうした私の満足感を支えていた理由は「双方の点においてよく彼の心を見抜いていたつもり」、すなわち二つの点でKの心を見抜いていたからだということになります。
二つの点、そのひとつは「彼には投げ出すことのできないほど尊い過去があった」ということです。つまり、Kには理想を積み重ねてきた尊い過去があり、それを決して捨てられないということです。Kの理想とお嬢さんへの恋は相容れないものですから、その尊い過去を捨てられない以上、Kはお嬢さんに向かっていくことはないわけです。
それからもうひとつはKには「現代人の持たない強情と我慢」があったということです。恋を諦めなければならないという困難もKならその意志を曲げることなくやり切るであろうという推測は容易に可能です。Kについてこの二点を私は確信していて、そうであれば、Kはお嬢さんへの恋を諦めるはずだという安心感がこの満ち足りた気持を支えているわけです。
しかし、注意しておきたいのは「私はこの双方の点においてよく彼の心を見抜いていたつもりなのです」の「つもり」ということばです。「自分ではそう思っていたが、実は・・」というニュアンスが感じられます。小さな言葉ですが、次の展開を暗示する微妙な表現でもあります。事実、私の確信が次の場面では見事にガラガラと崩れていきます。
その夜、奇妙なことが起こります。
Kが夜中に二人の部屋を隔てている襖を開けて立っています。襖が微妙な役割を果たしています。「何か用か」と尋ねると「たいした用でもない」と答えるだけです。私は「不思議」に感じ、翌日それを確かめようとしますが、まともな返事が返ってきません。私は「変」だと思います。
Kは何故襖を開けて私を呼んだのでしょうか。何か話したいことがあったのかもしれませんが、Kの真意は書かれていないので分りません。でも、そのまま気にかけなければそのまま流してしまえることだったのかもしれません。しかし私は気になります。更にKを追求すると、今度は強い調子で拒否されることになります。その強さにあって、私は再び揺らぎます。再びKが理解しがたい魔物に思えてきたと言ってもいいでしょう。
その時、上野公園でのKの言葉が思い出されます。「ふとそこに気のついた私は突然彼の用いた「覚悟」という言葉を連想し出しました。すると今までまるで気にならなかったその二字が妙な力で私の頭を押さえ始めたのです」とありますが、私が「(お嬢さんを諦める)覚悟はあるのか」と尋ねたときに、「覚悟?」「覚悟ならないこともない」と答えたあの言葉。その直前に「ばかだ」「僕はばかだ」と言ったKの言葉に対しても、一瞬「居直り強盗」のように感じられたとありましたが、ここで私はKの使ったこの「覚悟」ということばが妙に気になり出します。
引っかかってしまうんですね。KはKのまま何も変化していません。ただ、私はうろたえ、ここからひとりで空回りしていきます。
「私はただKがお嬢さんに対して進んでゆくという意味にその言葉を解釈しました。果断に富んだ彼の性格が、恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうといちずに思い込んでしまったのです」。「思いこんでしまったのです」とあるように、実際にはKはそんなことを考えてはいません。Kは既にそういうことと別の次元にいると言っていいでしょう。私だけが勝手に妄想を広げてKを曲解していきます。
私は考えます。「私は一般を心得たうえで、例外の場合をしっかり捕まえたつもりで得意だった」。「一般」は「果断に富んだKの平生の在り方」です。「果断に富む」は「優れた決断力があること」です。「例外」は「信条との矛盾からお嬢さんへの恋にのみ優柔なKの現在の姿」ということになるでしょう。つまり、平生は強いが、恋と理想の狭間で揺れる現在は弱いと私はKを分析していたわけです。ここでも「つもり」と書かれていますが、この分析は基本的には正しかったのです。
しかし、私の中でそれが勝手に崩れていきます。Kは強いという平生からの思いが、Kの不審な行動と強い拒絶によってよみがえって来ます。疑いの心が(暗闇の中にありもしない鬼の姿を見させる)何でもないことでも恐ろしく疑わしいものに思わせる、そう「疑心暗鬼」です。まさに私は疑心暗鬼に陥って、正しい現実を見誤ってしまいます。