もしもバイト中、大きな熊が店に入ってきたとしたら。あなたはどうしますか? 猟銃などの対抗手段があるなら手に取る。武器が無ければ、相手を刺激しないよう背を向けずにゆっくりと離れる。電話やDMができる環境なら、対処できそうな所に連絡して大人しくしておく。やるべきことは多少なりともあると思う。
あ、ちなみに死んだふりってなんか逆効果らしいね。逆にしっかりとどめを刺されて捕食されちゃうってさ。怖いね。正しい知識を身につけてないと、非常時に身を守れなくなっちゃうから、何が正しいのかは精査しないといけない。これ大事だから覚えておきましょう。
正しい知識で楽しい常識ライフを!
……何でこんな話をし始めたのかっていうとね、実は俺が今その状況になっちゃったからなんですよ。
店の入り口にさ、左目の所に傷があって作業着を着た二足歩行の巨大熊が居るわけよ。これが絶望かって骨身にヒシヒシと感じてる。床掃除しようと思ってたのに、俺がこの世から掃除されちゃいそう。
どうやら俺の常識ライフはここまでのようだ。常識的な行動を心がけていても、こうした突然の非常識に命を散らされるというのは、現実が非情であると痛感させられるね。
俺が全力で現実逃避をしている所に、熊は無慈悲にものしのしと真っすぐレジで固まっている俺に近づいてくる。完全にロックオンされてるじゃないですかやだー。俺の死期も秒読みか……。
「ンナンナ!」
「……18号君はいつも元気があっていいな」
「ンナナ~」
ん? 何か今熊の方からとても優しい声が聞こえてきたんだけど。幻聴かな? そういえば熊のシリオンもいるんだったっけ。会った事が無かったから覚えてなかったわ。18号を撫でたあと、熊の視線がこちらに向いた。
「それと……君が、サク君で合っているかな?」
「……は、はい」
「……」
「あの、どうかしたんですか?」
あれ、なんかこの雰囲気前にも感じたような気がする。まるでこないだライカンさんが来た時みたいな、デジャブ?
「うちのグレースが貴方に失礼な言動を取ったと聞きました! 真に申し訳ありませんでしたぁっ!」
あぁ、あのグレースさんの関係者でしたか……。というかただのバイト相手なのに腰低っく……。さっきまでの威圧感は何だったの。
とりあえず、この熊さんが悪い人、もとい熊で無いことだけはハッキリした。とにかく熊に頭を下げられるのも敬語を使われるのも違和感が凄いから止めてもらおう。
一見おっかなそうに見えた熊のシリオンはベン・ビガーさんという名前で、白祇重工の会計を担当している。本当は社長であるクレタさんという人が行こうとしていたのだが、作業の予定が空けられなくて代わりにベンさんが来たとの事だった。
ちょうどバイトも終わる時間だったので、ベンさんがラーメンを奢ってくれた。ラッキー、一食分浮いたぜ。
それにしてもベンさん大きい熊の手にも関わらずめっちゃ行儀よく食べてる。器用に箸とレンゲでちまちまと食べてる姿がなんだか愛らしい。でもさっきお冷のコップは鋭い爪でヒビ入っちゃった。滾るパワーは万能じゃないんだね。
「いやあ、まさか君の名前を覚えない挙句、ボンプを盗み出そうとするとは……。能力は本当に優秀なんだが……」
「俺もグレースさんは会って数分で変人だとわかったほどですよ。大変そうですね……」
「ありがとう、君は歳の割に大人びているな……。グレースにはクレタ社長の命で『三日間仕事以外で機械に触れるの禁止』の刑を執行しているよ」
「それあの人にとっては拷問なのでは? 何らかの禁断症状出てそう……」
パエトーンの仕事材料が分解とか魔改造されたとあっては損害が計り知れない。あと人の名前を覚えなかったバチは当たってほしいとちょっと思っていた。しかし、機械狂いのグレースさんから機械を取り上げたらどうなってしまうのだろうか、ちょっと想像がつかない。
「犯罪一歩手前までいってたんだからな、寧ろ温いほうだ。しかしそうだな、初日の時点で既に夢遊病のようにうわ言をつぶやきながら空中を操作していたよ」
「初っ端から末期症状じゃないですか……、なんかもう悪い気がしてきたんですけど」
初日でそれだったら三日後にはどうなってしまうのか。逆にスッキリして真人間になる可能性も、無きにしにあらず。超絶真人間になったグレースさん、見てみたい。けど、いざそんなグレースさんを見たらそれはそれで物足りなくなったりするのだろうか。
先にラーメンを食べ終えていたベンさんは、カウンター席から俺に向き直った。目つきはちょっと怖いけど、人思いなのが伝わってくる目をしている。
「サクが良ければなんだが、良かったらグレースとも仲良くしてやってほしいんだ。あいつには少しでも人との繋がりの良さを知ってもらう必要があるからな」
「ベンさん……」
「出来たらでいい、よろしく頼む」
ちょっと、ベンさんいい人すぎない? 最初怖がっちゃってごめんなさい。ここまで真剣に頼まれたら断る理由もない。……でもグレースさんか……いやいや、ここまで誠実な態度を示してくれたベンさんの顔に泥を塗るわけには……でもなぁ……。
「……わかりました。ただグレースさん、結局俺の名前すら覚えてなさそうなんですけどねー」
「ああ、君の名前はクレタ社長がグレースの脳髄に叩き込んだ。次会うときは大丈夫だろう」
「いや何したんですか!?」
脳髄に叩き込んだ、が物理的な意味じゃないことを祈る。白祇重工の人って皆そんな感じなの? 物理的に叩き込まれる絵面を想像したら身震いしてしまった。……就職先、ちゃんと考えようかな。
浮かんだけど没になった案
・突撃!お前が晩御飯!
活動報告の通り、ここまでで一区切りかなと。
思いついたら続くかもです。