えぇー、この度新作を書くことにしました。
前作の『かつて凡人だった男の成り上がり生活』に関しては、自分自身ちょっと納得いっていない部分もあったため、こちらに切り替えました。
前作を楽しみにされていた方は申し訳ありません!
反省はしてますが、悔いはありません!
ということで、楽しんで見てください。
——知らない天井。
淡く漂う木の香りと、ほのかな空気の揺らぎが、まだ朧げな意識の縁をくすぐる。瞼を持ち上げると、視界に飛び込んできたのは節の残る梁が交差する温もりある木造の天井。
......自分の部屋の天井ではない。
その事実に行き着いた俺は、無意識に身体を起こし、視線を巡らせる。
淡い日差しが窓の隙間から差し込み、床板に細い光の帯を描いている。そんな静謐な光景の中、一人の少年がこちらを見つめていた。
「——あ、目が覚めたんだ! よかった!」
安心したように息を吐くその少年は、年の頃は俺と同じくらいだろうか。華奢な体格と整った中性的な顔立ち。そして何よりも目を引いたのは、処女雪のように白く澄んだ髪と、兎を思わせる深紅の瞳だった。
(......アルビノか?初めて見た)
まるで幻想から切り出されたかのような外見に、一瞬だけ時が止まる。
現実味のない容姿に目を奪われつつ、頭の中で無数の疑問が弾ける。
気づけば、言葉が零れていた。
「......えっと、きみは?」
かつて感じたことのない情報の奔流に一抹の不安を感じる。しかし、現状を正確に理解するために、一番状況を理解しているであろう人物に声をかける。
「あ、はい! 僕はベル・クラネルって言います!」
ベル・クラネル............ベル・クラネルっ?!
心臓が跳ねる。聞き覚えがあるどころじゃない。あまりにも馴染みのある名前に、反射的に確認してしまう。
「それは......本名ですか?」
「あ、はい。そうですけど......僕の名前が何か......?」
不安げに眉を下げ、瞳に心配の色を宿すベル。
俺の狼狽を見て戸惑っているらしい。慌てて言葉を続ける。
「あ、いや、知り合いに似たような名前の人が居たから、つい。急に変なことを聞いてすみません」
頭を下げると、ベルはすぐさま慌ててそれを止めに入る。
「あっ、そんな! 僕は全然気にしてないので、頭を上げてください!」
その言葉に促され、頭を上げる。
改めて見つめ直したベルは、やはり俺の知っている——いや、画面の向こうで見てきた“ベル・クラネル”にそっくりだった。
ベル・クラネル——それは、『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』という作品に登場する主人公の名前だ。その主人公の容姿は、彼同様に中性的な顔立ちに華奢な体格、処女雪のように白く澄んだ髪に、兎のような深紅の瞳をした少年の姿をしている。
——偶然?
いや、それはない。同姓同名なだけでなく、容姿までもが全く一緒。それも、創作世界の架空の人物となんて、ありえない。
なら、彼が嘘をついている可能性は?
それも、限りなく低い。目の前の少年はどう見ても嘘がつける人間ではない。関わってまだ数十分にも満たないが、それでも目の前の少年がみせる瞳には、俺がよく知っている嘘つき特有の色は見受けられない。
これでもし、その立ち居振る舞いが演技ならば、大俳優も夢ではないだろう。
ならば............
「そういえば、そっちにだけ自己紹介をさせて俺はまだしてなかったな。
俺は月詠夜(つくよみよる)。歳は、13だ」
現状を理解するために、いくつか質問をしようと思ったが、自己紹介するのを忘れていたことを思いだした俺は、とりあえず名前と歳を告げる。
「あっ、僕も13です!」
自身の年齢を告げてくるベルの表情は、先ほどまでの少し緊張した面持ちではなく、年相応の柔らかい笑顔をしている。
どうやら、同い年と分かって緊張が解れたようだ。
「同い年か。なら、お互い敬語はなしでいいか。それと、お前のことはベルって呼ばせてもらうが、いいか?」
「うん! 僕は大丈夫だよ。それじゃ、僕は夜って呼ばせてもらうね!」
「ああ、よろしく、ベル」
「うん! よろしく、夜!」
二人はどちらからともなく自然と右手を差し出し、握手を交わした。
その際、ベルの顔を伺うと、穢れを知らない、初めてほしいものが手に入った子供のような純粋な笑顔がそこにはあった。
*
「なぁ、ベル。お前に聞きたいことがあるんだが......いいか?」
声に少しばかりの躊躇いの色が混ざる。これから聞く内容が自分の核心に触れるため、どうしても緊張気味になってしまう。
「うん、どうしたの?」
こちらの心情が伝わったのか、ベルは姿勢を正し、表情を引き締める。
先ほどまでの和やかな空気とは一転。
窓の隙間から吹きぬく風の囁きが二人の間を通り抜ける。
「それじゃ、一つ目の質問なんだが......まず、ここってベルの家だよな?」
「うん、そうだけど」
「だよな......なら、俺はどうしてベルの家のベッドで寝ていたんだ?」
——そう、これが一番知りたかったことだ。
『目が覚めた』ということは、それ以前は意識を手放していたということだ。なら、意識を手放す前はどうしていたのか。俺は、直近の記憶を思い出してみる。
ぼんやりとした闇の中から、徐々に浮かび上がってくる映像。それは......廃ビルから飛び降りた記憶だ。
高所から飛び降りる理由なんて一つしかない。
——自殺。
そう、俺は自殺しようとしていた。いや、実際に飛び降りたわけだから、自殺はしたわけなんだが、成功したかどうかは分からない。
だが、それは今生きているから成功したか分からない、というわけではない。
あの日、廃ビルから飛び降りた日。天候は大きく荒れた日だった。視界を遮るほどの大雨に、天空を支配せんとするような雷の轟音が鳴り響く空。
そんな悪天候の中、飛び降りた。
だが、飛び降りた最中、天を仰いだ俺の視界には光が広がっていた。積乱雲が空を支配し、一切の光を遮断していたにもかかわらず、空は光で俺を照らした。
——いや、照らした、というのは間違いだ。あの光は、そんな美しいものではなかった。
光が視界いっぱいに広がった瞬間、身体に今までに感じたことのない衝撃が襲ってきた。抵抗はできなかった。いや、抵抗しようとするその考え自体が浅はかだろう。何しろ、その光が俺を射定めた時には、俺の死は確定していたのだから。
——身体に衝撃が走ったそのコンマ数秒後、辺りは轟音で震えた。
光——その正体は“雷”。人間では、到底太刀打ちできない天災。その天災によって俺の身体は機能を停止し、俺の記憶もそこで途絶えた。
故に、自殺が成功したかは分からない。だが、少なくとも、転落死、感電死、焼死......死因は定かではないが、あの時、俺が死んだのは確実なはずだ。
......はずなんだが、なぜか俺は今生きている。
理由は分からない。だが、理由が判明する鍵はベルが握っている可能性が高い。故に、この質問をする必要があった。
「夜が僕のベッドで寝ていたのは、気絶していた夜を僕がベッドまで運んだからだよ」
「......気絶していた?」
「うん、少し前に家の近くの森に雷が落ちたんだ。空は晴れていたのに、雷が落ちるなんて不思議だなって思って見に行ってみたら、そこに夜が気を失った状態で倒れてて」
「......森の中で気を失った俺が倒れていた、か。その時の俺は気を失っていただけで、生きていたんだな?」
「うん、ちゃんと息はしていたよ」
「......そうか」
息をしていたということは、間違いなく生きていたということだ。だが、仮にあの状況で生き延びたとしても身体は無事ではなかったはずだ。
その証拠に、俺が今着ている服は焼き焦げて原形を失っていて、衣服としての役割を果たせていない。だが、身体の方は外傷が見当たらない。
——服は焼き焦げて原形すら失っているのにもかかわらず、だ。
「......ちなみに、ベルが俺を見つけた時、俺の身体の状態はどうだった?」
疑問を解消するために、ベルに質問を投げかける。
「んー、夜の身体は特に傷とかは見当たらなかったかな。あ、でも、所々にちょっとした火傷痕はあったよ」
火傷痕......。
今一度、自分の身体を確認してみる。すると、たしかにベルの言うように、微かな火傷痕が何ヵ所か見受けられる。だが、いずれの火傷痕も雷に打たれたことによるものにしては軽傷すぎる。
考えられるとしたら、誰かが治療を施してくれたということくらいだが、ベルが発見した時点で、火傷痕はちょっとした程度のものだった。なら、ベル以外の第三者によるものだと考えるのが普通だ。だが、それ以上は分からない。
「ベル、お前はさっき俺を森の中で見つけたって言ってたよな。もしよかったら、俺を見つけた場所まで案内してくれないか」
「うん、いいよ!」
俺のお願いを快く受け入れてくれたベルは、早速外へとつながる扉へと向かう。遠ざかっていくベルの背中を追うように、俺も後に続いた。
*
——ベルに続いて、家の扉を潜って外へと出る。
すると、目の前に広がっていたのは人工物がほとんどない緑一色の景色だった。
「......ベル。もしかしてだが、ここって結構な田舎だったりするのか......?」
「そうだね。僕が住んでるこの村は地図にも載ってないくらいだしね」
なるほど。地図にも載らないほどか............ん?
「地図にも載らないほど?」
「うん。ここはオラリオやそれ以外の国からも距離が離れているし、産地商品とかもないし、有名になるものが何もないからね」
............こいつ、今なんて言った? オラリオって言ったか?
「......なぁ、ベル。オラリオって、ひょっとして『世界の中心』とか何とか呼ばれている『迷宮都市オラリオ』のことか......?」
いきなり出てきた超重要な情報に一瞬思考が停止しかける。しかし、すぐに気を取り戻し、ベルが口にした単語を頭の中で反芻し、聞き間違いではないかをベルに確認する。
「うん! 『世界の中心』、『英雄の都』とも呼ばれている、世界で唯一『ダンジョン』と呼ばれる地下迷宮を保有する迷宮都市オラリオ! 夜もオラリオに興味があるの?」
「......まぁな」
『世界の中心』、『英雄の都』、世界で唯一『ダンジョン』を有する都市——迷宮都市オラリオ......。
これだけの単語を現住民である彼の口から聞いては、もはや確定的だ。
......どうやら、俺は——『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』という創作作品の世界に転移したらしい——。
「そうなんだ! 実は僕も興味あるんだぁ!」
「......ほーん」
まさか本当に『ダンまち』の世界だったとは......。
異世界転移——言葉通り、異なる世界へ転移するという意味だが、一般的に異世界転移は漫画や小説など、いわゆる『創作作品』上で扱われる設定によく用いられる概念であり、実際にそのような現象が起こり得ることなどありえない......と考えていたんだが......。
先ほど、ベルの口から出てきた単語。
そして何より......瞳を煌めかせ、純粋無垢な表情でこちらを見てくる少年——ベル・クラネルという存在が、この世界が『ダンまち』の世界であることを証明している。
——あり得ない、非現実的すぎると理性が現状を否定する。しかし、それと同時にこの未知なる体験が、これまで何十、何百、何千回と妄想してきた展開が実際に引き起り、その当事者が自分である。その事実に、この現実に形容しがたい感情が胸中を支配する。
——ずっと憧れていた。剣と魔法が存在する異世界に転移し、そこで敵を剣で斬り伏せ、強力な魔法で数多の敵を屠る物語の主人公たちを......。
何度妄想したか分からない。自分をその物語に登場させ、現実の自分自身では決して為すことのできない、理想の自分が描く最高の物語を妄想したことなんて数えきれない。
だが、それらは決して現実に価値が見出されることはない、独りよがりの空想物語。
バカだと思われるかもしれない。そんな妄想に何の価値があるのだと、妄想するだけ時間の無駄だと罵られるかもしれない。
社会一般的観点からすれば、確かにそうだろう。妄想という名の非現実に憧憬し、期待し、羨望する。そのような人間は、社会からしてみれば、間違いなく“異端”であり、社会の“不適合者”であろう。その解釈自体を俺は否定しない。
だが、そんな異端なる不適合者は地球には多く存在した。そして、彼らはそろって、異世界転移という非現実を夢想する。
——だが、今、そんな異端児たる彼等彼女等が憧れるであろう展開が俺の身に起きている。
その事実から導き出される答えは一つ——それは、これまでは妄想する事しかできなかった空しい理想が、この世界でなら現実のものにできるかもしれない、ということだ。
............なら、やるしかないだろう。
俺は主人公(ベル・クラネル)みたいな豪運の持ち主でなければ、主人公補正がかかっているわけでもない。才禍の怪物(アルフィア)のような才能はないし、剣姫(アイズ・ヴァレンシュタイン)や九魔姫(リヴェリア・リヨス・アールヴ)のような血統に恵まれた者でもない。はたまた、よくある神様転生によって齎される転生特典(チート)なんてものも持ってはいない。俺は、彼等とは違い“凡人”だ。
凡人である俺は、いつだって理想を抱く。それは、現実から目を背ける為でもあるし、単純に理想を愛しているからでもある。だが、いくら理想を抱いても、その理想に酔ったりはしない。
理想は、所詮理想である。凡人である俺が努力をしたからと言って、その理想を叶えることができるなど、微塵たりとも思ってはいない。
よく、努力をすれば、凡人でも才人に勝つことができると宣う輩がいるが、俺は凡人が努力をすることで、才人に勝ることができるなどとは露ほどにも思わない。
どれだけ努力をしても才人には勝てない、だからこそ人はその者を凡人と呼ぶ。仮に、勝つことができれば、そいつは凡人などではない。
凡人である俺は、才人との差を明確に理解している。だからこそ、自分が凡人側であることを理解しているし、納得もしている。
だが、凡人であることが夢を諦める理由にはならない。
目の前に夢を叶えられる機会が転がっている。なら、例え、力がなくとも掴み取らなくてはならない。それがどれほど難しいことであったとしても、限りなく不可能に近いことだとしても、どうしても叶えたい願いであるのならば、俺は俺の手で掴み取ってみせる——。
そう心に誓い、拳を握り締める。
「......る......よ...る......夜——っ!!」
「うぉっ——!」
思考の渦に耽っていた俺は、ベルからの呼びかけに反応が遅れ、驚きの声を上げてしまう。
「......びっくりしたぁ」
「それはこっちのセリフだよ! 何回呼んでも反応しないし、心配したんだよ!」
どうやら、ベルは何度も俺の名前を読んでくれていたらしい。
思考に意識を持っていかれていたため、今の今まで気づくことができなかった。
「......悪い。ちょっと考え事をしていてな」
「そっか。それならいいけど......。それより、目的地に着いたよ」
ベルに謝罪をすると、納得はいっていなさそうだが、何とか受け入れてもらえたらしい。そのことに安堵の息を漏らす。
そして、どうやら目的地に到着したようだ。俺は、周囲へと目を向ける。
そこには、おそらく枝や葉は全て燃え尽きたのだろう、幹だけが何とか耐え忍んだと見受けられる痛々しい姿の樹木に、その周囲は焼け焦げ、下草ははげて地面は黒く変色していた。
「......ここで俺は倒れていたんだな?」
「うん。間違いないよ」
ベルの返答に「......そうか」と軽く返事を返した俺は、周囲をよく観察する。
ベルは雷が落ちたと言っていた。そして、ここで俺が倒れていたとも。
ベルの言葉、そして目の前の焼け尽きた惨状を見るに整合性は取れている。ということは、間違いなく、俺はあの日——飛び降り自殺の最中、雷に打たれ、そして、ここで気絶していた。
ベルの証言と俺の記憶から、俺がこっちの世界に来たのは雷に打たれた時点であると推察できる。しかし、雷に撃たれただけで異世界へ転移できるとは考えにくい。となれば、雷とは別の要因があるのか、はたまた偶々奇跡的な確率で雷に打たれたことをトリガーとして異世界転移という事象が引き起ったのか。
情報不足な現状では、すぐに結論を出すことはできない。だが、別にこの問題に関してはどんな結論でも構わない。
結果、こうして『ダンまち』という俺の大好きな作品の世界へ転移できたのだから、転移したきっかけなど些細なことだ。
ついでに言えば、どうして、雷に打たれ、衣服は焼け焦げて炭と化しているにもかかわらず、俺の肉体は無事なのかに関しても気にはなるし、この問題に関してはいくつかの答えは出ている。しかし、正解を確かめるすべが現状ない以上、これ以上考えることは無駄だろう。
よって、今考えるべきは、今後どうするか、ということだが............。
「ベル。ここまで連れてきてくれてありがとう。おかげで、色々考えを整理することができた」
「そっか、役に立てたならよかったよ!」
俺の感謝の言葉に、ベルは笑顔で返答してくる。
この純粋無垢な笑顔が数多の女性を魅了し、堕としてしまうのだろう。さすがハーレム主人公。俺では、決して真似することはできない。と、現状とは全く関係のない感想を抱きながらも口には出さない。
「それじゃ、ひとまずベルの家に戻ろう」
「そうだね」
この場での用事を終えた俺たちは、来た道を辿ってベルの家まで引き返した。
*
ベルの家へと帰還して、現在俺たちは机間に挟んで向かい合うようにしながら座っている。机の上には、ベルがお茶を入れてくれたコップがそれぞれの前に置かれている。そのコップに入った温かいお茶を啜り、一息ついてからベルへと顔を向ける。
俺の真剣な表情を見て、ベルもまた表情を引き締める。
「ベル」
「な、なに」
俺の呼びかけに、言葉詰まらせながら緊張気味に答えるベル。
「——ふっ、ベル。別に大した話はしない。ただ、ベルにちょっとしたお願いがあるだけだから、そんなに緊張しなくていい」
緊張気味のベルに対し、俺は吐息交じりの笑みを零しながら、緊張を解くように促す。
「そ、そっか。ごめん。雰囲気があまりにも真剣だったからつい」
そう言い、ベルは頬を掻きながら苦笑いを浮かべる。
そして、次第に雰囲気が和らいでいき、先ほどまでの緊張もある程度消えたところで、俺はさっそく本題に入ることにした。
「ベル。お前に二つ、お願いがある」
「お願いが二つ?」
「あぁ、まず一つ目だが、俺を少しの間ここに居候させてほしい」
「......居候?」
俺の一つ目のお願いに対し、ベルは一度驚きで目を見開く。そして、俺の意図を計りかねてか、首を傾けながら問いかけてくる。
驚くのも無理はない。急に現れて、介抱までしてやった人間が今度は居候させてくれなんて、烏滸がましいにもほどがある。だが、現状伝手がない以上、俺の中で今の段階で一番信用でき、尚且つ俺のお願いを聞いてくれそうで、さらには俺がこれからやりたいことをできる場所といえば、ここしかない。
「あぁ、今の俺には帰る場所がない。だから、ここに居候させてほしい。もちろん、居候させてもらっている間は、俺にできる事なら何でもする」
利己的で、傲慢なお願い。普通の人間ならば、まず断るだろう。
俺は名前と年齢以外の素性に関しては、“ここから東にずっと行った先の小さな村出身で、親に家を追い出され、何とか今まで生き延びてきたが、道中でモンスターに襲われてしまう。何とかモンスター共から逃げ延びたが、そこで雷に打たれた”なんて出まかせで誤魔化した。そんなよく知りもしない人間など、近くに置いておきたくはないだろう。
そもそも、俺とベルは出会ってまだ数時間と経っておらず、信頼関係もまだ築けていない。そんな相手を自分の家に居候させる人間がいるとすれば、それは相当なバカか、あるいは超がつくほどのお人好しくらいだ。
そして、俺の知っているベル・クラネルは............
「うん、僕は別にいいよ!」
「......そうか、ありがとう。正直とても助かる」
ベルならば受け入れてくれると、何となく分かっていたとはいえ、ベルの善意を利用していることに少しばかり罪悪感もあったため、しっかりと感謝を告げておく。すると、俺の感謝を受け取ったベルは、少し言葉にすることに躊躇いの様子をみせながらも、言葉を紡ぐ。
「............実は僕、おじいちゃんが死んでからはずっと一人だったから寂しかったんだ。でも、同年代の夜とこうして知り合うことができて、僕とてもうれしいんだ! だから、夜とはもっと仲良くなりたい!」
少しだけ頬を赤く染めて照れながらも、こちらに曇り一つない目を向けながら花が咲くような笑顔を向けてくる。
そんな、どう見ても女みたいな表情に、性別偽装の疑いをベルに向けながらも、ベルのどうしようもないほどの善性に心が痛む。
「......そうか、実は俺もベルとは仲良くなりたいって思っていたんだ」
これほどの純粋な少年を騙していることに若干の心苦しさを感じながら、しかし生きるために仕方のないことだと割り切る。
そして本心でもある仲良くなりたいという思いと感謝を告げた。
「そっかっ、夜もそう思ってくれていたなんて嬉しいよ!」
「まぁ、俺はあっちじゃ同年代の友達とかはほとんどいなかったからな」
「そうなんだ。実は僕も同年代の知り合いは夜が初めてなんだっ!」
友達がいなかったという自虐ネタを挟むと、ベルが俺を超えるエピソードを告げてくる。
「......まじか。このあたりに住んでるのはベルだけじゃないんだろ?」
「うん。けど、僕はほとんどの時間をおじいちゃんと過ごしていたから、村まで行って遊んだりはしなかったんだ」
衝撃の新事実。どうやらベルは、相当なおじいちゃんっ子だったらしい。
「そっか。なら、これからは俺といっぱい遊ぼうぜ」
「——っ!......うんっ!いっぱい遊ぼう——っ!!」
俺の言葉に、ベルは感動によってか目に涙を浮かべながら、これまでで一番の笑顔を向けてくる。その笑顔を見た俺は、今までに感じたことのない温かい何かを胸中に抱いた。
俺とベルの間に流れた温かく、心地の良い空気に新鮮さを覚える。
俺は二つ目のお願いをするために名残惜しいと感じながらも願い事を口にする。
「............おう。それじゃ、もう一つのお願いなんだが、俺に文字の読み書きを教えてくれないか?」
「文字の読み書き?」
「あぁ、実は故郷じゃ文字の読み書きを習えなくてな。見たところ、ベルは文字の読み書きをできそうだし、この機会に習えればなと思って」
森から帰ってきた後、ベルがお茶を用意してくれている時に机の上に置かれている本を手に取って読もうとしたが、表紙の文字が読めなかったため何の題名の本か解らず、中身も見てみたが、やはり文字が読めなかったので本の内容を理解できなかった。
しかし、この世界で生きていく上で、文字が読めないと困る場面は確実に出てくるだろう。
ベルの家である程度生活した後、俺はオラリオに向かおうと思っている。時系列的に見て、タイミングはおそらくベルと同じになるだろう。そうなってくると、当然文字の読み書きはできた方がいい。なぜなら、文字の読み書きができないと、騙される可能性があるからだ。ましてや、俺が向かおうとしているオラリオは荒くれ者の冒険者が多く、一般人に関してもそんな冒険者の相手をしているため民度は決して高くはない。そんな場所で文字の読み書きができないともなれば、格好の的となるだろう。
そうならないためにも、文字の読み書きの習得は絶対に為しえなければならない課題だ。
「わかった! 僕でよければ、教えるよ!」
「ほんとか。さんきゅ。まじで助かる」
「さんきゅ?」
二つ目のお願いも聞き入れてくれたベルに対し、お礼の言葉を告げると、聞きなれた単語ではなかったのか、首を傾げながら問いかけてくる。
「あぁ......さんきゅっていうのは、ありがとうって意味だ」
「そうなんだ。僕、そんな言葉初めて聞いたよ」
俺の説明を聞いたベルは、意味を理解したことで納得し、初めて聞く言葉に感心している様子だ。
まぁ、たしかに『さんきゅ』は英語の“Thank you”を日本語風に発音したカタカナ英語だからな。この世界じゃ馴染みがないのだろう。
だが、もしかしたら神々ならば、こういった言葉は知っているかもしれない。となれば、迂闊に地球の言葉を発すれば、最悪俺の正体がバレる可能性だってある。
言動にはなるべく気を付けた方がいいな......。
「そっか。まぁ、世界にはいろんな言葉があるからな。それよりも、改めて、二つもお願いを聞いてくれてありがとう。この借りは、必ず返す」
「ううん。気にしないで。僕がやりたくてやったことだし」
「......そうか。まぁ、ベルも何か困ったことがあったら言ってくれ。俺にできる事なら力になるから」
「うん! ありがとう、夜!」
「こちらこそ」
俺がベルに対して一方的に頼りきりになるのは情けないので、俺自身も何かあれば力になる事をベルに伝える。
俺の言葉に対し、ベルは笑顔でお礼を伝えてくる。それに対し、俺もまた感謝の念を伝えると、どちらからともなく笑い出す。
互いに笑顔を浮かべて対話する。そのような経験をしてこなかった俺は、この日初めて対話をすることの楽しさというものを感じた。
対話が楽しいと感じたのは、おそらくはベルが発する柔らかく、優しい雰囲気のおかげだろう。
さすが、ハーレム作品の主人公。嫉妬を通り越して、尊敬する。
そんな、場違いの感想を抱きながら、この穏やかな雰囲気を楽しんだ——。