「上級国民」裁判が我々に問い掛けるものとは

飯塚幸三被告に禁錮5年の実刑判決

 東京・池袋で2019年4月に9人が重軽傷を負い、道路を横断歩行中だった31歳の母親と3歳の娘がはねられて死亡した乗用車の暴走事故。自動車運転処罰法違反(過失運転致死傷)罪に問われた旧通産省工業技術院の元院長、飯塚幸三被告(90)に、東京地裁は禁錮5年の実刑判決(求刑禁錮7年)を言い渡した。この事故をめぐっては、発生直後からネット上に「上級国民」という言葉が飛び交い、若くして妻子を失った夫に同情するように、被告を執拗(しつよう)に非難する言葉がSNS上に乱舞し、メディアもこぞって取り上げるという異様な展開を見せていた。この「上級国民」が裁判を通じて投げ掛けたものは何か。(作家・ジャーナリスト 青沼陽一郎)

◇「特別扱い」の大合唱

 事故を起こしたのが元高級官僚であって、退官後も業界団体の会長や大手機械メーカーの副社長などを歴任し、事故の4年前には瑞宝重光章の叙勲を受けていた経歴に、まず注目が集まった。この事故の2日後、今度は神戸市中央区のJR三ノ宮駅前で、市営バスが横断歩道に突っ込み、20代の男女2人が死亡、4人が負傷するという事故が発生する。当時64歳の市営バス運転手はその場で現行犯逮捕された。こちらも自動車運転処罰法違反(過失致死傷)罪に問われ、禁錮3年6月の実刑判決を受け、神戸市を懲戒免職処分になっている。

 ところが、池袋の飯塚被告の場合は逮捕もされずに、その後もメディアが「元院長」「元官僚」と呼び、「容疑者」と呼称しなかったことから、「上級国民だから特別扱いを受けて不当に免責されているのだ」という意見がネットを中心に拡散していく。逮捕されなかったのは、事故による骨折やけがで入院治療が必要であったことや、「容疑者」という呼称も逮捕や指名手配がされてからでないとメディアは使わないことが伝えられても、「上級国民」という言葉がネットで沈静化することはなかった。

 やがて裁判が始まり、飯塚被告が「ブレーキを踏んだが利かなかった」などと車の不具合による無罪を主張すると非難が集中。捜査当局の調べで車には異常がなかったことが報じられると、罪を認めない被告に対する批判はさらに勢いを増し、誹謗(ひぼう)にも似た言葉がネット上で飛び交って、これに同調するテレビ出演者、コメンテーターの声も少なくなかった。「上級国民」としての特別扱いから、被告の人格攻撃にまで矛先が広がっていった。

◇もう一人の「上級国民」

 この一連の流れを見て、私の脳裏にはこれにまったくそっくりな事件が二つ浮かんだ。

 一つは、元東京地検特捜部長のレクサス暴走事故だ。石川達紘元検事(82)といえば、法曹界で知らない人間はいない存在だ。ロッキード事件や撚糸(ねんし)工連事件などの捜査に携わり、1989年には東京地検特捜部長に就任。ゼネコン汚職など数多くの有名事件を手掛けて、名古屋高検検事長を最後に退官。2001年に弁護士登録すると、さまざまな企業の取締役や監査役を務めてきた。

 ところが2018年2月、東京都渋谷区の路上でゴルフに向かう女性と待ち合わせをしていたところ、運転していたレクサスが急発進して、歩道にいた自営業の男性=当時(37)=をはねて死亡させた上、店舗兼住宅に突っ込み、やはり自動車運転処罰法違反(過失運転致死)などの罪に問われて、在宅起訴された。

 しかも、こちらも「誤ってアクセルペダルを踏み続けた」とする検察側の主張に対し、「天地神明に誓って踏んでいない」として、車の不具合による無罪を主張。裁判では、自動車事故の専門家やトヨタ関係者らが証人として出廷し、車に不具合はなかったことを証言している。飯塚被告が運転していたのはプリウスで、こちらもトヨタ関係者が証人出廷して車の不具合を否定している。石川被告は今年2月15日に東京地裁で禁錮3年、執行猶予5年(求刑禁錮3年)を言い渡されて、即日控訴している。

 まったく同じ事故の展開において二人の「上級国民」、というより特捜部長や工業技術院院長まで務めた「高級官僚」に見て取れることは、自分の過ちを絶対に認めようとしないところだ。自分の操作が間違ったのではない、機械が壊れていたのだ、と主張する。

 ここから分析するに、ネット上で「上級国民」と揶揄(やゆ)される「高級官僚」は、誰かしらのせいにする傾向が顕著であると推認することができる。出世に影響するからマイナスに加算されることを極端に嫌う官僚体質にあって、組織の頂点にまで上り詰めるにはそうした処世術も必要だったのだろう。だから、自分以外のもののせいにする。そう考えれば、飯塚被告の無罪主張も分かりやすい。裁判での自己優先の態度も「高級官僚」だったからと、鼻で笑ってさげすんでおけば済む話だ。

 ところが現実には、飯塚被告のケースではそうした来歴や立場は考慮もされず、人格そのものまで否定されている。刑事裁判で無罪を主張することは、裁判を受けることと同時に被告に認められた権利であって、誰からも非難されるべきことではない。罪を認めないことがネット上で批判を呼び、その影響を受けたようにメディアにまで伝播(でんぱ)して熱がこもる。

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