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「役者」にこだわった銀幕スター 「無名塾」に演劇の夢-仲代達矢さん〔評伝〕

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仲代達矢さん

仲代達矢さん

  • 文化勲章に選ばれ記者会見する俳優の仲代達矢さん=2015年10月

 精かんなマスクと入念な役作りで、硬派な二枚目から悪役、軽妙な三枚目までを演じた仲代達矢さん。映画史に残る名作の数々で強烈な存在感を示す一方で、舞台役者としてのこだわりを貫いた。

仲代達矢さん死去、92歳 俳優「影武者」「人間の條件」

 8歳で父を亡くし、戦中戦後は極貧生活。鬱屈(うっくつ)した心でむさぼるように本を読み、映画館に通い、新劇に魅せられ役者を目指した。俳優座養成所時代に映画「七人の侍」のオーディションを受けた。通り過ぎるだけの浪人役ながら、黒澤明監督に6時間以上、ダメ出しを受けた。その恨みで当初出演を断った「用心棒」は、ニヒルな敵役を魅力的にこなし代表作の一つとなった。

 黒澤作品には6本出演したが、メッセージ性の強い「人間の條件」や「切腹」の小林正樹監督への思いの方が深かった。「初めて私を見つけてくれて、映画に出るきっかけをつくってくれた。死ぬ時に1本挙げるなら『切腹』。脚本、演出、スタッフ、役者、あらゆる点で良かった」。映画会社の専属にならずフリーを貫いたのは、芝居を続けるため。「映画会社はスターにしてくれるが、僕はいろんな役をやりたかった」と語った。

 シェークスピアの「リチャード三世」「マクベス」をはじめ国内外の舞台では、迫力ある演技の中にも軽やかな愛嬌(あいきょう)がにじんだ。こわもてだが、幼い頃からのあだ名は「モヤ」。「本当にモヤッとして、養成所時代まではぼんやりしていた」と振り返った。

 私塾「無名塾」からは役所広司さん、若村麻由美さんら実力派が巣立った。「若い頃からいい役者を見るのが好きだった。自分の周りからそういう役者が1人でも出たらすてきだろうな」と創立時の夢を口にした。

 共に指導した妻の宮崎恭子さんには先立たれた。稽古場では塾生を見守るように、宮崎さんの遺影と愛用の椅子が置かれていた。テレビ時代に育った若手の演技に不満を漏らすこともあったが、「役者の技で、映像とは違うライブの良さを示していけば芝居は残る。そこに希望を託している」。演劇の力を信じ続けた人生だった。(時事通信社・中村正子)。

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