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ズルされたくなさすぎて、みんなで地獄へ:正義中毒の国、日本へようこそ

誰かがルールを破った。すると、なぜか全員が同じペナルティを受ける。違反した当人だけに責任を問えばいいはずなのに、「もうみんな使えません」「全体の利用を中止します」「制度自体を撤廃して規制します」と、巻き込まれた側まで不利益を被る。

この「集団罰ゲーム」のような構造に、どこか見覚えがある人は多いはずだ。学校でも、会社でも、役所でも、街中でも、日本という社会はなぜこうも「一部の違反者の存在」を理由に「全体の自由や機能」を排除するという選択を取りがちなのか。

もっと言えば、なぜそれが「仕方ない」「当然」として受け入れられ、むしろ歓迎すらされてしまうのか。

この問いの奥には、日本人に特有の「正しさ」に対する過剰な信仰と、その裏に潜む「ズルされたくない」「損したくない」「出る杭は叩け」という根深い心理がある。

この記事では、その背景を、徹底的に言葉にしていきたい。

「全員で損すれば平等」:なぜそんな論理が受け入れられてしまうのか

まず前提として、日本では「誰かがルールを破る」ことよりも、「誰かだけが得をする」ことの方が強く嫌われる傾向がある。

たとえばNEXCO中日本がパーキングエリアのゴミ箱を撤去した件。理由は「不審物が投棄されたため」「持ち込みゴミが多すぎるため」だった。これに対してSNSでは、「もっとやってほしい」「罰則を強化してほしい」「他のパーキングエリアも全部撤去すべき」という声が多数寄せられた。

しかし冷静に考えてみてほしい。問題を起こしたのは、ほんの一部の利用者だ。にも関わらず、なぜか「全員が不便になる」という対応が正当化され、その不便さを甘んじて受け入れる側までが、それを「正義」として称賛している。

この一連の流れには、単なる公共マナー意識の高さや秩序志向では説明しきれない、もっと深く、もっと感情的な「出し抜かれたくない」という本能的な拒否感がある。

「誰かが得をするくらいなら、みんなで損した方がマシ」:その感情の正体

大阪大学社会経済研究所で行われた社会経済実験に、興味深い結果がある。参加者同士がペアになり、それぞれが自由に金額を出資し合う。出した金額は1.5倍になって均等に配分されるというルールだ。

最も合理的なのは、双方が全額出資して、協力して利益を最大化する戦略。だが日本人の被験者は、自分が損をしないように出資額を抑えたり、相手に多く得させたくないがためにゼロ出資を選ぶケースが非常に多かったという。

つまり、「自分が損をすること」よりも、「相手だけが得をすること」に耐えられない。「ズルをされるくらいなら、自分も損してやる」そんな心理が、合理性や協調よりも優先されてしまう。

この思考パターンは、まさに集団罰の受容と同根だ。「誰かだけが得をする」ことへの異常なまでの嫌悪と、「みんなで苦しめばフェア」という倒錯した平等主義が、僕たちの公共空間を、静かに蝕んでいる。

「正しさ」の名のもとに、共生の余地が消えていく

ベンチが傾斜をつけられ、寝転べないように設計される。公園からホームレスが姿を消す。学校のルールは年々細かくなり、違反すれば連帯責任。駅には「迷惑行為を発見したら通報を」と書かれたポスター。住民説明会では「騒ぐ子供がいるので広場を閉鎖してほしい」という声が採用される。

ーーこうした風景は、何を意味しているのか。

それは、「誰かが自由に振る舞える余地」を削り取ることで、全体の「正しさ」と「安心」を保とうとする解決策だ。日本では「自由」とは何かを問う前に、「迷惑にならないこと」が最優先される。そして、何が迷惑かは制度ではなく、場の空気が決める。その空気の正体は、「多数派の感情」であり、「黙っている者の暗黙の同意」だ。

つまり、日本における「正しさ」とは、理性によって決まるものではなく、同調圧力の強さによって可視化される感情の形なのだ。

日本社会は「違反者を処罰すること」より、「不公平感を潰すこと」を優先する

たとえば、学校でひとりが校則を破ったら、その子を叱る代わりに「じゃあ、もうこのルール自体やめよう」とか、「みんな一緒に自粛しよう」となる。制度の側が、個別に指摘して角を立てるより、全体を巻き込んで「丸く収める」ことを選びがちなのだ。

でもそれは、違反そのものが問題だというより、「誰かが得をする」ことへの苛立ちが出発点になっている。ズルを許したくない。抜け駆けは見逃したくない。だから「みんな損をしてでも、平等にしよう」という方向へ舵が切られる。結果、違反者に厳しくするより、「全員が損する仕組み」に落ち着いてしまう。冷静に考えれば、それは罰じゃない。ただの巻き添えだ。

しかも不思議なのは、こうした判断が「冷酷」や「不合理」とは受け取られず、むしろ「公平」で「やさしさ」すら感じさせてしまう。ルールを守った人も、破った人も、同じように不便になるなら、それでいいじゃないか、と。

だが、そのやさしさの裏で、自由や柔軟さや倫理はそっと排除されていく。誰も責めない代わりに、誰も得しない世界。そうやって、首を締めているのは他でもない、僕たち自身かもしれない。

正義が社会をダメにする瞬間

正義とは本来、「何が正しいかを問う」ためのものだった。だが現代の日本では、正義は「何が迷惑かを裁く」ための物差しに変質してしまった。そしてその物差しは、本質からズレていても問われず、更新もされない。

むしろ、「誰かが不快に思った時点で、それは迷惑になる」ーーそういう無言の了解が、公共のルールを作っていく。

このとき、正義は不寛容さに姿を変える。

「マナーを守らない人がいるから、サービスを終了します」
「長時間座る人がいたから、ベンチを撤去します」
「不審物の恐れがあるから、ゴミ箱を廃止します」

ーーそれは、はたして本当に正義だろうか?

「誰もズルできない社会」が息苦しい理由:正義という名の意地悪に気づくとき

この国では、突出した者は目立ちすぎると潰される。ルール違反を犯した者は、処罰される前にノリと空気で排除される。問題提起をする者は、「場を乱した」として距離を置かれる。

正しさとは何かを問う前に、「誰かが迷惑しているから」「そういう声があるから」と、空気が先に判断を下す。

僕たちは、そんな社会の中で、「誰も困らない」ために、「誰も自由でいられない」仕組みを、自ら望んで作ってしまっている。

「ズルされたくない」という怒りを、正しさで誤魔化さない

違反を見たとき、多くの人が腹を立てるのは「ルールが破られたこと」そのものじゃない。本音では、「自分は我慢したのに、なんであいつは得してるんだ?」という感情が先に立っている。

それを正面から言うのは大人げない気がするから、代わりに「ルール違反はよくないよね」「みんなに迷惑がかかるよね」と、もっともらしい言葉で包む。けれどその包み紙の下にあるのは、「損した自分」の悔しさと、「ズルした他人」への妬みだ。

そして恐ろしいのは、この怒りが、当の違反者ではなく、制度や仕組みそのものを壊す方向に向かうことだ。

「こんな自由があるから悪用されるんだ」
「こんな抜け道があるのが悪い」

そうして、ひとつの自由が消え、ひとつの余白が塗りつぶされる。その結果、誰もズルできなくなる。でも同時に、誰も快適に過ごせなくなる。それなのに、「誰かが得をするくらいなら、誰も得しない方がいい」と思ってしまう。その判断は果たして、「正しさ」と呼べるのか?

僕たちはしばしば、感情の奥にある嫉妬や敗北感を、「正義」という名で言い訳する。まず問うべきなのは、「その怒りは、誰に向けているのか」だ。違反者なのか、自分を抑えつけた社会なのか。それとも、自分自身の我慢なのか。怒りの正体を見失えば、守るべきものすら見えなくなる。

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コメント

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papatanaka

共感します!言葉にしてくださって、ありがとうございます!

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歴史と野球

これを自分事として捉えず、「あー、○○みたいなやつらの事ね!分かる!」と日頃から嫌っている人々へのレッテル張りに使ってしまう人が多そうです。 日々、自省しなければなりませんね。

証拠記事なんでも大辞典のプロフィールへのリンク

創価学会の人向けだと考えるとちょぅどいい記事が多いですね。

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toshi

例えば 川で誰かが溺れた時に、「川に入れる様にしていた」自治体に責任がある。なんてなるのは日本だけですよネ。

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ズルされたくなさすぎて、みんなで地獄へ:正義中毒の国、日本へようこそ|ハトリコ
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