goo blog サービス終了のお知らせ 

あかりパパの鉄分日記+バス

鉄道ビギナーの何気ない日記
身近な阪神電車を中心に関西の鉄道やバスを見た、撮った事を載せています。

1992年頃の阪急電車 後編

2013年01月07日 | 阪急電鉄

こんばんは。

今回は前回の続きで1992年の正月に撮影した阪急電車の写真を紹介します。

前編では今津南線、伊丹線、甲陽園線の3路線を乗車したとこまで紹介しましたが、今回はその続きになります。

 

甲陽園線を乗車した後西宮北口まで戻り、今度は今津北線に乗車しました。

乗車したのは5200系です。初詣ヘッドマーク付きでした。

 

 

当時の宝塚駅です。まだ高架工事中で仮駅舎状態でした。

 

 

宝塚からは5100系の急行に乗車です。

行先表示幕改造車ですが、「急行」の表示幕が黒地です。

 

 

この急行で石橋駅まで行き、箕面線に乗り換えです。

 

 

箕面線では3100系に乗車したようです。

 

 

箕面駅です。この駅も現在とは雰囲気の変化は少ないようです。

 

 

箕面線を制覇した後は一気に大阪まで行き、京都線に乗り換えたようです。

 

この写真の駅だけは駅名が分かりません。十三駅でしょうか?

 

 

京都本線で淡路駅まで来ました。

現在高架化工事中のこの駅は今後大きく変わると思われます。完成時には京急の蒲田駅のような大規模な高架構造物ができて淡路要塞と言われるのではないでしょうか。

 

 

北千里駅です。

 

 

この駅はこの時初めて訪れた駅です。1日乗車券がないと訪れる用がありませんでしたので。

 

 

当時はまだ現役だった大阪市営地下鉄60系と阪急5300系看板車の並びです。

 

 

この後は京都河原町まで行ったようですが、なぜか嵐山線には乗車していませんでした。

 

 

当時の写真を見直してみると神戸線系統は変化が大きいですが、その他は宝塚駅以外の変化は少ないですね。

20年後同じ経路を訪ねるとどうなっているでしょうか。淡路駅以外でも大きく変化している駅があるでしょうか。

 

それでは、また。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 1992年頃の阪急電車 前編 | トップ | 阪神電車 5505LED試験編成の... »