桂木裕

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桂木裕
@mayakima
自他の線引きに関わる話題とすれ違い会話の話題をくりかえしする心理系クラスタ、本職は技術マニュアル屋。通称アップルパイの人、マヤさん。多趣味だが写真クラスタでもありOM-D E-M5 Mark II所有。
東京都港区南青山twilog.org/mayakimaJoined March 2010

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「ダイニングテーブルの上に美味しそうなアップルパイがあるね」 「あれは美味しいよ」 「私が美味しいと思うかどうかは、あの店のアップルパイは食べたことがないのでわからないですよ」 「食べたいってこと?」 「そんなこと言ってません」
  • 双方ケンカ腰に見える
    12.1%
  • 先の発信者だけがイライラしているように見える
    50%
  • 後の発信者だけがイライラしているように見える
    16.7%
  • 終始穏やかに行われた会話に見える
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「私は親に愛されたんだな」と「でもうちの親のアレだけは未だにゆるさない」は並立するし、「私は親に愛されなかった」と「でもうちの親のアレだけは感謝している」も並立するから、このあたり柔軟に認められないといろいろと拗らせる根になりがち。
「生理は、セックスを経験したから来る」や「生理用品は性行為に使う道具だ」と思っている底抜けのバカは本当にいるから困るんだよ。
しばらく前、若い人に「レコードに針を落とす」の意味がわからなくて「レコードに針を突き刺して思い出にとどめを刺すことの比喩ですか?」的なことを言われたので80年代の歌詞もすでに時代劇になっている一面がありそう。
定型/発達障害の軸ではなく親や攻撃的な大人からの体験の軸の問題で、ちょっとした質問や「なぜ、どうして」の言葉尻に相手の意図以上の過敏な反応をしてしまう人が少なからずいるのは事実でしょうね。往々にして、自分が叱責されていると無条件に取りがちでそこから相手との対話がズレていく。
嫌だと言っているのが相手なのに「私は嫌じゃないよ」と返してしまう人って、もうそれだけで自他の境界線に危うさがあるのがわかってしまう。相手の話なのに、そこで自分の話になってしまうんですよ。問題は「相手の話を相手の話として聞けない」ところで、他の話でもついてまわる。
見つかったのが手塚プロダクションの原画保管庫ならまず間違いのないものだと思うが、一瞬だけ脳裏をかすめた名前があるのは私だけじゃあるまい。
Quote
Yahoo!ニュース
@YahooNewsTopics
【手塚治虫ネーム3本発見 未発表も】 news.yahoo.co.jp/pickup/6554644
「実家にはなぜか常時あった食べ物」が高級品だと気づいただけでも一人暮らしって意義はあった気がする。
「きょうの富士山はキレイだね」や、「あそこの角のラーメン屋が改装されていたね」のように見たものを見たまんま報告する民はいるし、それを受けて「そうだね」で終わる民もいてそういう感慨なんですよ。それだけの話なんです。ところがコミュニケーションの型が違うとこれがひどく難しい。 x.com/mamechaaaaaaa/
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例のマフィンは「食品だから素人にもわかりやすく露骨に発覚した」のだけれど、知識や技術がまったくともなわない人がものを売っちゃうのは何も食品ばかりではなく、リフォーム業とかバイク修理などにもこの類の人がいるのじゃないか?
「『ママかわいいね』ではなく『おいババア』と言うような息子ができあがれば子育て正解」ってやつ、そもそもそこが2択になるのがおかしいし、子育てに正解も何もないんじゃね?になる。
「なんで?」を叱責でやられていた人、質問や聞き返しを直感的に叱責に結びつけて過剰防衛からの攻撃を発動しやすい。適当に弁当を買うのを頼まれて、買ってきた弁当を渡している際に「これは何?」と中身を確認されたのに大爆発してキレた人を目の前で見た時はかなり驚いた。
食べ物の好き嫌いがないって人は結構いるけれど、定食に入っていたら食べるし人の家で出されたら残さないけれど「自分では決して選ばないもの」は本来嫌いの方に入ってるんじゃないかと思うよ。
「ADHDのカバンはなぜにダンベルのように重いのか、我々はその謎を追ってアマゾンに向かいリスを見つけたために消息を絶った」
たとえば、はじめて遊びに行った家のリビングのテーブルにクッキー缶があっても、勝手にあけて食べたりしない人と勝手にあけて食べてしまう人との距離は果てしなく遠い。(場合によってはそれだけで縁を切られる可能性すらある)
くわしくは言及しないが八代亜紀クラスでも「こんなこと」が起きるのなら、実際には力がないタレントなどがどれだけ不本意な目にあってるんだろうね。
「キツい物言い」についてなんだけど、単に率直な答え、必要事項のみの返答が無条件でキツいとか冷たいと感じがちな人がいるので、その人の「印象」を採用すると話がどうにもおかしなズレ方をする事がある。要は、たいこ持ちの所作みたいに露骨に持ち上げられないと満足できない人がいるのだ。
昨日、21歳の人と話をしていたら歌の中の「レコードに針を落とす」がどんな状態なのかまったくわからず、「想い出に針を突き刺してとどめを刺したんだと思いました」そうです。
「女子供には手を上げない」ってわざわざ言う人、「女子供には手を上げないけれど、反論・反抗は許さない」と内心にある正確なところを自分でわかっていないので話し合いは成立しない確率が高い。
ストーカー問題で怖いのは、身の回りの人に相談すると「最悪のケースを引き起こす善意の人」がいるということ。ことに「人と人は仲直りできるはずだ」とか「話せばわかる」という人こそが要注意。ホント、これ、こちらのよけいな情報まで向こうにバラまいてくれたりするから。
あの赤毛のアン新作アニメ、決して適当に作ったんじゃないとは思うけれど、「一生懸命やってもああいうものしか出てこない」のがむしろもっと長い目での問題な気はするんだよね。
電車などで赤ちゃんが泣いてるのに対して「うるせーなと思う気持ち」自体はあって然るべきだし否定されるものでもないですが、これは「私は泣き声をうるさく思う」でしかない。ここを正当化するために「親には泣き止ます努力をする義務がある」に書き換えると屈折した表出になる。
いくら料理好きでも冷凍餃子をメインにする時はあるし、冷凍餃子を見て「これは冷凍」までならともかく「手抜き」と言われたら、おまえさんのさす目薬がすべてラー油になりますように!くらいは思いますよ。
自他境界が崩れた「心配」の仕方をする人って、「自分自身の中で消化すべき不安を他者へアウトソーシングしている」か「自分自身の価値観や見解の無条件の押しつけをしている」だけでもはやそれ、心配じゃないから。
いま70歳に近い人って「大卒で10年も働けば家を買うとっかかりくらいはできている」って感覚を「20代とは共有できないのがわからない」から、若い連中に信じられないくらい高飛車なことを言ってしまい「殺意すら抱かれている」のにびっくりするほど鈍感だよな。
「触ってもいいですか?」が怖いのは犬や赤ちゃんへの話だけじゃなく、大事にしている日本刀やカメラでもそうですよね。「実際に触られるまでその人間がどんな触り方をするかわからない」のはどの方向でもホント。
杏さんが離婚を決意したとされるニュースが流れていたが、その中で気になったのは「別居している東出昌大が事前連絡なく何度も帰宅した」とあったこと。その一方通行さはダメなやつじゃん。よく、DV加害での離婚話し合いの過程でも起きる典型的なパターン。
昭和の親の「子育てできていた」は言葉を飾らずハッキリ言っちゃうと「虐待ど真ん中案件」すらありますからね。
寒い、暑い、眠い、お腹が空いたを大切にね。自己肯定が機能するのってそういうところからだよ。
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桂木裕
@mayakima
セルフネグレクト、ちょっと寒いとかちょっと暑いを無視しちゃうから「あとでまとまったダメージ」になるんよ。他の人がたとえ反応していなくても「自分はどうなんだ?」がそこは先。
「ダイニングテーブルの上に美味しそうなアップルパイがあるね」などが、どうしても「おまえ、それをオレに食わせないつもりか!ふざけるな」にしか聞こえないんですよ。そうなると相手にはまったくその意図がないから、変なタイミングで揉め事が発生する。大概が相手のほんの一言で。
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桂木裕
@mayakima
定型/発達障害の軸ではなく親や攻撃的な大人からの体験の軸の問題で、ちょっとした質問や「なぜ、どうして」の言葉尻に相手の意図以上の過敏な反応をしてしまう人が少なからずいるのは事実でしょうね。往々にして、自分が叱責されていると無条件に取りがちでそこから相手との対話がズレていく。
「酷いことを言う人にも事情はある」のと「酷いことを言う人にも事情はあるから慮るべきだ」を一緒にする必要はないんですよ。酷いことを言う人にも事情はあろうが酷いことを言われた私の感情は別のものだから、知るかボケでいいんです。
おばあちゃんは言っていた。水が欲しければ「水が欲しいと言いなさい」と。その事と「相手がおまえに水をくれるかはまったく別の話」なんだと。これは今でも、自分と他者の明確な境界として私の心の中にある。実話だしねw。
セルフネグレクト、ちょっと寒いとかちょっと暑いを無視しちゃうから「あとでまとまったダメージ」になるんよ。他の人がたとえ反応していなくても「自分はどうなんだ?」がそこは先。
「他者からの発信にはかならず自分への要求が含まれている」が生育ベースにあると、なかなかその感覚は手放せないんでつねに他者の言葉の自分への意味を考えちゃうんです。そのため、無い意味を作り出す事が出てくる。
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桂木裕
@mayakima
「きょうの富士山はキレイだね」や、「あそこの角のラーメン屋が改装されていたね」のように見たものを見たまんま報告する民はいるし、それを受けて「そうだね」で終わる民もいてそういう感慨なんですよ。それだけの話なんです。ところがコミュニケーションの型が違うとこれがひどく難しい。 x.com/mamechaaaaaaa/…
「夢を与えたい」「ありがとうと言われたい」「笑顔を送りたい」「感動を届けたい」などがなんだかおかしいのはそこですでに自分と他者の境界線を侵食しているからです。他者が感じるものを自分のもののように話すからですね。
イーロン・マスク氏、あまり面白がっていちゃいけないタイプの人なんじゃないか? かつてプーチンを面白がっていたのと同じ感じの嫌な予感。もっとあちらこちらに災厄をばら撒く気がしている。
20代中頃、同級生の男性が「女の子が二人きりの食事にOKしてくれたんだけど、ヤッちゃっていいんだよね?」と言ってきて目が点になった事ならある。それは完全な事実誤認だって話はしたけれど、おおよそそうしたキャラじゃないヤツから出てきた発言なのでこの問題は根深いかもしれん。
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桂木裕
@mayakima
食事に誘うのは「その時間が美味しく楽しく過ごせるといいですね」であって、それ以上でも以下でもない。
これ、話を語っている夫の無自覚モラハラの蓄積の結果という読み方「も」できるからなあ。真相はいずれにせよ、妻が追い込まれている可能性は高い。
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わきたむ
@wakigababy
この怪談、38年生きてきた中で一番怖い。
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「水が欲しければ水が欲しいと言いなさい、それで相手が水をくれるかどうかはおまえの問題ではありません」とは、他者の掌握に長けた祖母の言葉です。これ、要は自他の境界線の話なんだよな。「私はあなたではないし、あなたも私ではない」ってだけのことで。
「親から得たかった事を私は永遠に親からは得られない」をどう処理しておくかは、特異な親を持ったものの宿題だと私は考えていてね。ここを気づかないままにしておくと、他者に自分の親である事を求めたりしちゃうんだな。
子どもが欲しいもの、好きなものを、なぜか「絶対与えるもんか」になる親や保護者ってどうやら一定数いるんだよな。そんな親や保護者なんていないと思っている人がいますが、います。自分の方が蔑ろにされるって被害妄想スイッチが入るんですよ。 t.co/oB8N0RoMJL
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セルフレジや飲食店備えつけタブレットでのオーダーはともかく、客が持っているスマホからオーダーさせる仕組みは本来店が持つ費用を客に負担させていておかしいとは思いますけどね。
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産経ニュース
@Sankei_news
「スマホが前提なんて…」行きつけ飲食店を失ったシニアも セルフレジに「戸惑う」 sankei.com/article/202510 大手シンクタンクの日本総合研究所でシニアの社会参加などを調査する高橋光進研究員は「企業は高齢者が慣れる前に、セルフレジなど非対面のサービスにかじを切ってしまった」と指摘する。
他者とトラブルになりやすい人って、他者が言った文言と会話するのではなく「他者が言った内容で自分が思ったこと」と会話をするので、たまたま当たったから成立する部分「も」できてしまうから根幹的な問題に気づきにくい。
これは大混乱する子供がいそうだし、大人の私もよくわからない。
Quote
オクシン
@OKU_MAYA
バスで小さな女の子がお母さんに「どうしてお年寄りに席を譲るの?」と質問してて、お母さんの回答が素晴らしかった。「あなたが今のってるバス、道路、着ている服、カバンとかあるでしょ。あなたが生まれて来た時のために準備して待っててくれたから、ありがとうの気持ちで席を譲るの」これ模範解答。
SNSで誰かが1500円のケーキを食べたとするじゃん。その人は違うところでは財布の紐をしめているかもしれないわけ。自分には買えないって比べ方をすると、病むよ。
ストーカー問題でとくに怖いのは、身の回りの人に相談すると「最悪のケースを引き起こす善意の人がいる」ということ。ことに「人と人は仲直りできるはずだ」とか「話せばわかる」という人こそが要注意。ホント、これ、こちらのよけいな情報まで向こうにバラまいてくれたりするから。
ADHDの「話変わるんだけど」のマジで話変わる率は異常って言うけどさ、「話変わるんだけど」が挟まるだけ素晴らしいよね。大概挟まらないでしょ?
人間関係をうまく継続できないの、「相手の立ち入ってはいけないところまでわかろうとして、切り裂いて掘り出してしまう」のと「自分のことを過度にわかってほしくて、相手が本来は違う考えのところを自分と同化しようとしてしまう」のをやるからじゃない?
恋人や配偶者でも、それはそう。いくら親愛の表現のつもりでも、常態が乱高下する感情のゴミ捨て場にされ続けたら近くにいる者は壊れる。
Quote
りー
@GDr1c
プロのカウンセラーさんでさえスーパーバイザーが必要なのだから、素人の子どもが親のグチを聞き続けてたら壊れるよな、それは
「シナモンの入ったアップルパイは嫌いだけど、この店のアップルパイはシナモンが入っているのにすべてのバランスが取れていてなぜか好きなんだよね」←こうした文章だとこの店のアップルパイが好きなのか嫌いなのかわからなくなる人がいるようだ。特定の文章構造が理解しにくい。
「スマートフォンを見ている=遊んでいる」と「しか」認識できない年配者は実はとんでもなく多いんですよ。これ、毎度毎度高齢者の集まりでは話すハメになっています。どうにもこうにも「自分より若い者が使っている」だけで羨望の感情も混ざるし頭が沸騰しちゃうようで。なかなか凶暴。ホント凶暴。
男性社員が給湯室に弁当箱を置いておくと「洗ってもらえる」となぜ思ってしまうのか。以前にもボタンが取れたワイシャツを黙って置いていってしまう男性社員の話題があったが彼等は頼み事をすると即死でもするのか?
「娘に嫌われるお父さん」の類は自己の客観視がどういうわけかできないようなので、たぶん嫌われている相手は娘だけじゃないですよ。
忘れ物はしないのに越したことはないが、忘れ物をしたらペナルティーって発想はもはや教育じゃないんよな。忘れ物をしました、じゃあ現状はどうリカバリーしますか? だよねえ。それとなるべく忘れ物をしない努力はまた別のもので。
機能不全家族の子、つい親の境遇に共感してしまい過剰に同情する場合があるけれど、それ、親やさらにその親の分の生き方まで背負う事になってしまったりする。そんな、親の後悔までは知ったこっちゃない。
上野千鶴子は支持できないところも多いが、ここに書いてある内容はとくに否定し得ない。この文章に限っては一言一句支持する。
Quote
神奈川
@gakugkk
なんでここまで酷いことが言えるんだろうか…
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「努力はかならず報われる」が好きな人、「子を愛さない親はいない」や「子は親を選んで生まれてくる」あたりもかなりの確率で好きだよね。何が影響するのかセットでインストールされた感じがある。
いわゆるストーカーが泥沼ストーカーにクラスチェンジするのって「誤解されているのを解きたい」なんだけれど、相手の認識を自分側で決めているのがおかしいのに気づかないからどうにもならないんですよ。
Quote
桂木裕
@mayakima
残念なことに、このジャンルでは「よくいる」パターン。 x.com/p_ka2295079/st…
素麺を茹でる事に対する感じ方の違いに、男女の体格差も関係ある。男性は鍋から顔が遠いから熱気を感じないが、女性は男性より鍋に顔が近い人が多いから作業中ずっと熱気を感じる事になる。とくにざるにあけるときなどが。
私は10代の頃から男女に垣根を作りたがる人と「男女間に性的なものしか規定できない人」が嫌いですね。 もっと砕いてハッキリ言おうか? 男女で仲良く話をしていると「セックスするつもりだ」にしかならない人がいるんだよ。