勝利の女神NIKKE 希望のカフェ   作:スウェーデンクラス

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ちなみにこの短編集は、マスターとニケの物語で、そのうち、ヒロインをルート分けして進めようかなって考えてたりします。


第3話 名無し

――アーク

 

人工の夜が訪れ、街のネオンがまるで地上に残された星々のように輝く時刻。

午後九時。

人々が一日の終わりに安堵し、あるいは新たな夜に心を躍らせる時間。

その喧噪のただなかを、ひとりの男が紙袋を片手に抱え、静かに歩いていた。

 

彼の名を知る者は少ない。

ただ、街の片隅で「ルポ」という小さなカフェを営む男。

その大柄な体躯と無骨な風貌からは想像もつかぬほど、彼が丁寧に豆を挽き、繊細な味を作り出すことを数少ない人物、ニケは知っている。

 

カフェ「ルポ」は朝六時から夕方四時までしか開かない。

それはマスターの信条だった。

 

――喫茶店とは、戦うためでも、酔うためでもない。

――心を休め、思考を静めるためにある。

 

だから彼は、夜の帳が下りるころには店を閉め、黙々と掃除をし、翌日の仕込みを行い、そして足りない材料を補うために街へ出る。

 

今夜もそうだった。

仕込みを終えた後、マーケットで材料を買い込み、袋が思いのほか重くなってしまったのだ。

 

「……流石に買いすぎたか」

 

そう小さく嘆息しながら、彼はひとりごちた。

筋肉の浮き上がる腕でも、持ち帰るには骨の折れる重さだった。

 

マーケットを抜けると、いつものように帰り道を選んだ――が、その道は、アークでも特に騒がしい地区へと続く。

歓楽街。

そこは、仕事帰りの人々が鬱憤を晴らし、酒と欲望の渦に身を委ねる場所。

 

「クソッ!なんなんだよ、あの上司!」

「はぁーあ……なんで俺じゃなくてアイツなんだよ……」

「お姉さん、ひとり? 一杯どう?」

「えぇ?どうしよっかなー?」

 

酔いと笑いと怒声が入り混じる。

明滅するホログラム広告の光が人々の顔を青や赤に染める。

その喧騒を、マスターは目を細めて見つめた。

 

――くだらん。

 

心の奥で、短く吐き捨てる。

 

『外の世界を知らぬ者たちの集まり……戦いを知らぬ、ぬるま湯の中の人間どもか』

 

そんな呟きが、ふと胸の奥に沈殿する。

それは怒りでもあり、諦めでもあった。

 

だが、すぐに自嘲するように小さく笑う。

 

「……いかんな。この通りを通ると、いつもイライラしているな」

 

苦笑しながら、彼は歩を進める。

それでも、通りの喧騒を抜けたときには、わずかに息を吐き、安堵の色を浮かべた。

 

だが、その瞬間――。

 

「や、やめてください! 離れてください!」

 

「なんだよ、いいだろうが! 人間様の言うことを聞けねぇのか!」

 

耳に飛び込んできたのは、あまりに異様な声。

マスターは即座に足を止めた。

声の方向――薄暗い路地裏。

街のネオンも届かぬ陰の中に、数人の影が蠢いている。

 

静かに覗き込む。

そこには、軍用ボディを持つニケの女性と、それを囲む三人の男たち。

 

「助けを求めている女性はどこにいるのですか?!」

 

ニケは真剣な眼差しで問いかけていた。

しかし、男たちは下卑た笑みを浮かべる。

 

「そんな奴、はなからいねぇよ。」

「のこのこ付いてきやがって……」

「ちょっとは期待してたんじゃねーのか?どうせ男も作れねぇんだろ? ブリキの身体じゃ、気持ちわりーもんな?」

 

笑い声がこだまする。

その下劣さに、マスターの眉間に皺が刻まれた。

 

「だ、騙したのですね!」

 

ニケは叫ぶ。

 

「もう一度言います! 離れなさい!」

 

だが、男たちは止まらない。

彼らは知っている――ニケが人間に危害を加えることは、システム上できないことを。

 

「はっ! 逆らえねぇんだろ? だったらおとなしく俺たちの相手をしろよ!」

「俺たち、さっきから女の子ナンパしても無視されまくってんだよ。"相手"してくれよ」

「体の構造は女と同じなんだろ? だったら“使える”はずだ」

 

ニケの瞳が揺れた。

怒りと屈辱、そして恐怖がないまぜになった光。

 

「あなたたちは……私たちを、なんだと思ってるんです!」

 

「うるせぇんだよ!」

 

乾いた音が響く――平手打ち。

ニケの顔がわずかに揺れ、唇から血が滲む。

 

その瞬間だった。

 

「――おい。そこまでにしておけ」

 

低く、鋭く、まるで刃のような声が路地裏を裂いた。

男たちが振り向く。

そこに立っていたのは、紙袋を片手にした大柄な男――マスターだった。

街灯の下、その影が伸び、三人を圧する。

 

「なんだよ、テメェ……邪魔すんなよ。これから楽しいとこなんだよ」

「そうだそうだ。ニケの一体くらい使い潰したって、誰も文句言わねぇよ」

「それとも……仲間に入りてぇのか? 俺たちの使った後の“中古品”で良けりゃ、なぁ?」

 

笑い声。

それは、酔いと傲慢の混じった汚らしい音。

だが、マスターは首を小さく横に振る。

 

「……あんたら、そんな態度だから女の子が寄ってこないんだよ」

 

静かに言葉を放つ。

 

「改めたらどうだ? ……いや、無理か。抵抗できない相手を狙う時点で、もう終わってる」

 

その声に、空気が変わった。

男たちは顔を歪め、怒号を上げる。

 

「テメェ、調子乗ってんじゃねぇぞ!」

「帰れよ! 怪我したくなかったらな!」

 

ナイフの銀が、路地の光を反射する。

ニケは慌てて声を上げた。

 

「そちらの方! 私はニケです! あとのことは大丈夫です! だから、早く逃げてください!」

 

――逃げろ、と。

だが、マスターは笑っていた。

 

「目の前で助けを求めてる子がいるんだ。……放っておけるかよ」

 

その微笑に、ニケは息を呑んだ。

次の瞬間、マスターが一歩、踏み出す。

 

「テメェぇ!」

 

ナイフを構え、男の一人が突進する。

素人の突き。

マスターは左手の紙袋を投げつけた。

 

ドッ――。

重い音と共に、袋が男の顔面を直撃。

瓶や缶詰が詰まった袋の衝撃で、男は一瞬のけぞる。

 

その隙を逃さず、マスターの膝が男の股間を蹴り上げた。

呻き声を上げ、前屈みになった男の腕を捻り上げ、小手返し――。

鈍い音と共に、男の身体が地面に叩きつけられる。

 

続けざまに、腹部へ一撃。

 

「ぐっ……!」

 

男が昏倒する。

 

「一人目」

 

マスターは無造作に言い放ち、次の男を見据えた。

 

「この野郎!」

 

もう一人が叫びながら突進してくる。

振り上げられたナイフを、マスターは前腕で受け止め、肘で相手の顎を跳ね上げる。

ガツン――鈍い音。

相手の身体が浮き、次の瞬間には路面へ叩きつけられた。

 

「二人目。……で、次は?」

 

静かに問いかける声に、最後の男の顔から血の気が引いた。

 

「い、いや! 俺は違うんだ! コイツらが勝手にやってただけで、俺は……!」

 

マスターの眼光が、鋭く射抜く。

 

「なら、こいつらを連れて消えろ。……さもないと、今度は意識じゃなくて命を刈り取るぞ」

 

低く、抑えた声。

それは怒鳴り声よりも遥かに重い。

 

「ひ、ひぃーーーっ!」

 

男は泣きそうな声を上げ、倒れている二人を引きずりながら逃げ出した。

 

静寂が戻る。

 

マスターは、その静寂のなかにひとり立ち尽くしていた。

息を乱すこともなく、ただ、さっきまでの暴力の余韻だけが彼の眼差しに僅かに残っている。

そしてその後には、膝をつき、うつむいたままのニケ——。

 

「怪我はないか?」

 

低く、しかし優しさに満ちた声が、夜の空気をやわらかく震わせた。

その声を聞いた瞬間、ニケの身体に走っていた緊張が少しずつほどけていく。

彼女の前に差し出されたマスターの手には、先程までの剣呑さは微塵もなく、ただ純粋な「気遣い」だけが宿っていた。

 

けれど、ニケはその手を取ることを躊躇した。

彼女は知っている——自分の身体は、見た目に反して重い。

この手を取れば、人間である彼に無理な力を強いることになる。

そして何より、彼が「触れる」ことで、自分が機械であることを思い知ってしまうのが怖かった。

 

マスターは、その逡巡を察したのか、穏やかに微笑んで言った。

 

「……あぁ、そうか。さっきまでクズみたいな男に言い寄られていたんだったな。男の手なんか、もう見たくもないか」

 

少し違った解釈をしたマスターは、そう言って、ゆっくりと差し出していた手を引こうとする。

だが、その瞬間——ニケは反射的に、その手を掴んでいた。

 

「い、いえ!そういうことではなくて!」

 

慌てて声を上げるニケの手を、マスターは包み込むように握り返す。

そして、何事もないかのように軽く腕を引いた。

 

「そうか。それはよかった」

 

わずかに力が込められたその手は、驚くほどに強く、そして温かかった。

機械の身体を持つニケが、そのまま軽やかに立ち上がる。

彼の力だけで。

 

「……え?」

 

ニケは、自分が今、何をされたのか理解できず、呆然と彼を見上げた。

彼の表情は、まるで子供を安心させる父親のように柔らかく笑っていた。

 

「怪我は……ないようだな」

 

マスターは散らばった紙袋を見つめる。中身の一部は地面に転がり、果物や野菜が無惨に散乱していた。

 

「こりゃあ、買い直しだな」

 

と苦笑する彼の姿に、ニケは思わず頭を下げた。

 

「あ、あの……!その、私のせいで荷物がダメになってしまいました。本当に申し訳ありません。弁償しますので、金額を教えていただけませんか?」

 

真っすぐな謝罪の言葉に、マスターは肩をすくめて微笑む。

 

「いいんだ。君を助けられた、それで十分さ。安い買い物だった」

 

その言葉とともに、マスターは踵を返し、再び夜の街へと歩き出す。

しかし、ニケの心には、言葉では表せない衝動が生まれていた。

 

「ま、待ってください!」

 

必死に声を張り上げる。

マスターが振り返る。街灯の明かりが彼の輪郭を照らし、柔らかな笑みが浮かぶ。

 

「……せめて、何かお礼をさせてください!」

 

ニケのその真剣な瞳に、マスターは少し考える素振りをしてから言った。

 

「……じゃあ、今度ウチの店に来てくれないか?お礼なんていらない。ただ、うちでゆっくりコーヒーでも飲んでいけばいい」

 

まるで、彼女を客として自然に招くような口調だった。

それがかえって、ニケの胸を熱くさせる。

 

「そ、そんなのはお礼になりません!」

 

慌てて言い返すニケに、マスターはふっと笑った。

 

「大丈夫、大丈夫。……あ、そうだ。君の名前を教えてくれるかい?常連さんの名前は覚えておく主義なんだ」

 

「……私みたいな“量産型”には、名前はありません。型式であるイーグルと呼ばれています」

 

その言葉は、どこか寂しげに響いた。

まるで「名を持たぬこと」が、彼女自身の存在を薄くしてしまうかのように。

 

『あぁ、私が量産型じゃなかったら、ちゃんと名前を教えれたのにな』

 

マスターは少しだけ視線を落とし、考え込む。

そして、ゆっくりと顔を上げて言った。

 

「じゃあ——“アイラ”さん、ってのはどうかな?」

 

「……え?」

 

「イーグルって、つまり“鷲”のことだろう?ラテン語では“アクイラ”と言う。でもそれだと、少し堅苦しいから“ク”を抜いて“アイラ”。どう?君にぴったりだと思うけど」

 

その瞬間、ニケ——いや、“イーグル”の胸に、今までにない熱が走った。

冷たいはずの胸の奥で、確かに何かが鼓動した気がした。

 

「アイラ……アイラ。はい!私はこれから“アイラ”と名乗ります!」

 

何度も噛み締めるように呟き、そう言ってマスクの下で笑う彼女の顔を、マスターは静かに見つめ、満足げにうなずく。

 

「じゃあ、店で待ってるよ、“アイラ”さん。これは名刺だ。慌てなくていい、時間ができたときにおいで」

 

夜風が二人の間をすり抜け、マスターのコートの裾を揺らした。

彼は振り返らず、ゆっくりと通りの先へと歩き去る。

 

その背中を、“アイラ”は目を離せずに見つめ続けた。

名前を与えられた喜びと、もう一度会いたいという淡い想いが、胸の奥で静かに燃えていた。

 

やがてその姿が完全に見えなくなっても、アイラは小さく呟いた。

 

「……マスター。必ず、会いに行きます」

 

その言葉は、夜の闇の中へ溶けていったが、確かに彼女の心の奥で輝き続けていた。

ヒロインは?

  • D
  • ルドミラ
  • イーグル"アイラ"
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