勝利の女神NIKKE 希望のカフェ   作:スウェーデンクラス

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第2話 黄金の貴婦人

 

昼下がりのアーク――

ガラス張りのビル群が、人工太陽の光を受けて鈍く輝いていた。

昼休憩を終えた会社員たちは、早足でオフィスへと戻っていく。

街の喧騒は一瞬だけ遠ざかり、まるで都市全体がひと呼吸ついたかのように、わずかな静けさが訪れていた。

 

そんな中、ビジネス街の一角に、古びた木の扉を構える小さなカフェがある。

名を「ルポ」。

看板には手書きの筆記体でその名が記され、木漏れ日のような照明がガラス越しに温かな光を漏らしていた。

 

昼どきはOLや会社員が、ここのサンドイッチやビーフシチューなどを目当てに来店する。

だが今は客の姿もなく、店内にはコーヒーの香りと穏やかなジャズだけが満ちている。

カウンターの奥で、マスターが黙々と食器を磨いていた。

厚い手のひらが白い布でガラスを拭くたび、鈍い光が反射し、静寂に小さなリズムが刻まれる。

 

――チリン。

入り口の鈴が柔らかく鳴った。

 

「うん?……久しぶりだね、ルドミラさん」

 

低く響く声。

マスターは手を止め、振り返って微笑む。

その表情は、屈強な体格からは想像もつかぬほど優しく、穏やかだった。

 

扉をくぐったのは、金の髪を緩く結い上げた女性。

白いコートを翻しながら、気品ある仕草でカウンター席へ腰を下ろす。

 

「えぇ。たまたま本社に戻る用事があったのよ。……マスター、いつものをお願いできるかしら?」

 

「はいよ、ちょっと待ってな」

 

マスターが答える声には、不思議な温もりがあった。

彼が豆を挽く音が響くたび、ルドミラは視線を離せなくなる。

一挙手一投足に宿る無駄のない動き。

しかし、その動きを静かに包み込む優しさがあった。

 

――この時間が好きだった。

 

マスターが、自分のためだけにコーヒーを淹れる。

その短い間だけ、世界のどんな喧騒も遠ざかる。

 

「そういえば、今日はピンクのうさぎさんは来てないんだね」

 

不意に、彼が口を開いた。

その穏やかな声が、ルドミラの胸の奥で柔らかく響く。

久しく忘れていた“女としての鼓動”が、かすかに疼いた。

 

「……え、えぇ。彼女は今日はお留守番よ。なに?そんなに彼女に会いたかったの?」

 

ほんの僅か、嫉妬が滲む声。

マスターは苦笑して、首を横に振った。

 

「いいや。今日はルドミラさんだけだから、ゆっくり話ができると思ってね」

 

その瞬間、胸が跳ねた。

彼の声が、温度を持って心を揺らす。

「そ、そう……」

と返すのがやっとだった。

冷静沈着を装う自分が、たった一言で崩れていく――。

 

マスターは静かにカウンターの向こうで動き、やがて一枚の皿と二つのカップを置いた。

皿の上には、チョコレートマフィンにホイップを添えたものが。

カップのひとつには深煎りのコーヒー。

もうひとつは、琥珀色の液体が小さなカップに注がれている。

 

「はい。またせたね。……試してみたんだ。初めて来た時、『紅茶はないのかしら?』って言ってただろう?あれが気になってね」

 

ルドミラは小さく目を見開く。

 

「これ……紅茶?」

 

「そう。初めて淹れてみた。味の保証はできないけど」

 

照れたように笑うその顔を見た瞬間、胸の奥が熱くなった。

彼の不器用な優しさが、真っすぐ心を打つ。

 

ルドミラは紅茶を手に取り、香りを確かめてから口をつけた。

 

「……とても、美味しいわ。でも、蒸らしが少し足りないわね」

 

穏やかに微笑みながらも、心は満ちていた。

――自分のために淹れてくれた。その事実だけで、世界が少し柔らかく見える。

 

マスターは肩をすくめ、

 

「手厳しいな。次はもう少し練習しておくよ」

 

と笑う。

 

「いいえ、このままでいいわ。私はこの紅茶が……すごく好きよ」

 

その微笑みに、マスターの動きが一瞬止まる。

 

二人の間に静寂が流れる。

ただカップを置く音と、遠くのBGMだけが空気を震わせる。

その沈黙すら、心地よい時間だった。

 

「……私は紅茶が好きなのだけれど、マスターの淹れるコーヒーなら、飲んでも良いわ」

 

ルドミラがそう言って笑うと、マスターは少し照れたように

「それは嬉しいね」

と返した。

 

やがて優雅な手つきでコーヒーとマフィンを平らげたルドミラは、肘をつき、頬杖をついてマスターを見つめる。

カウンター越しに立つその男――

スーツの上からでも分かる体躯、鋭い瞳の奥に宿る静かな闘志。

彼はただの喫茶店主ではない。

その“強者の気配”を、彼女は見逃さなかった。

 

「ねぇ、マスター」

 

「なんだい?」

 

「貴方は一体……何者なの? その気配、隠しても隠しきれていないわよ」

 

マスターは一瞬だけ目を細めたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。

 

「私はカフェのマスターだよ。それ以下でも、それ以上でもない」

 

真っすぐな声音。

虚飾も欺瞞もない言葉。

その静けさが、かえって何よりの“真実”に思えた。

 

しばし二人は視線を交わす。

やがてルドミラが先に視線を外し、ふっと笑う。

 

「わかったわ。そういうことにしておいてあげる。でも、いつか教えてもらうわよ」

 

「それはどうも」

 

会話はそれで終わった。だが、沈黙の奥に確かな火が灯っていた。

 

支払いを済ませ、扉へ向かうとき――

 

「ルドミラさん」

 

マスターが紙袋を手に呼び止めた。

 

「これをアリスさんに。前にうちのマフィンを気に入っていたからね。お土産に」

 

袋の中にはマフィンと、少量のコーヒー豆。

そして彼の優しい笑みがあった。

 

「コーヒーは淹れる人によって味が変わる。だから面白い。……もしよかったら、他の店も巡ってみるといい。いろんな香りに出会えるから」

 

その言葉に、ルドミラの胸がチクリと痛んだ。

――違う、そんな言葉じゃない。

欲しかったのは「また来てくれ」という一言なのに。

 

「……女心が分かってないわね」

 

そう呟いて紙袋を受け取り、扉に手をかける。

だが、出る前に一度だけ振り返り、静かに言葉を残した。

 

「また来るわ。……それと、私がコーヒーを飲むのは、"貴方が私のため"に淹れてくれる、この店だけよ」

 

そのまま、扉の鈴が再び鳴り、彼女は去っていった。

 

マスターは数秒間、立ち尽くしてから、頭をかきながら苦笑する。

 

「……なにか、まずったかな」

 

ーーーーーー

 

人工の空が夕焼けに染まる。

 

「ほんとうに、女心を分かってないわね」

 

ルドミラは先程のやり取りを思い出し、一人愚痴りながら、紙袋を見る。

そこでふと気付く。

マフィンとコーヒー豆だけにしてはやけに重いことを。

ルドミラは近くのベンチに腰掛けると、紙袋を覗く。

中にはマフィン、コーヒー豆――そして、ひとつのカップが入っていた。

白磁のそれには、金色の文字でこう刻まれていた。

 

『高貴なる貴方に、至福のひとときを』

 

その文字を見た瞬間、息が止まる。

まるで彼の声が耳元で囁いたかのように。

 

「……ふふ。訂正するわ」

 

唇に笑みを浮かべ、彼女はそっとカップを抱きしめた。

 

「女心を弄ぶのが……本当にお上手ね、マスター」

 

エターナルスカイの光が、彼女の頬を淡く照らしていた。

その頬には、紅茶のように温かな色が宿っていた――。

 

ーーーーーー

 

地上の北方。

この極寒の地の静謐な空気を破るように、ひときわ明るい声が響いた。

 

「おかえりなさい! 女王様!!」

 

基地の扉が開くと同時に、アリスの元気な声が弾む。

まるで長い旅から帰った家族を迎える子供のように、笑顔が溢れていた。

その声に、ルドミラは思わず小さく微笑む。

 

「帰ったわよ、アリス。……はい、これ。マスターからのお土産よ」

 

柔らかく、けれど少しだけ誇らしげに言って、ルドミラは手にしていた紙袋を差し出した。

紙袋を受け取ったアリスの瞳が一瞬で輝き、まるで宝箱でも開けるかのように中を覗き込む。

 

「わぁーーー!! マスターのマフィン大好きですっ!」

 

アリスは嬉しさを隠せず、頬を紅潮させる。

 

「……でも、女王様? 次は私もマスターに会いたいです」

 

その声音には、子供のような純粋さと、少しの寂しさが滲んでいた。

ルドミラは一瞬だけ目を伏せ、すぐに柔らかい笑みを浮かべて応える。

 

「分かっているわ。今日は一人で行ってしまってごめんなさいね。次は……二人で行きましょう」

 

「やったーーー!! 絶対ですよ?」

 

アリスの顔がぱっと花のように咲く。

 

「じゃあ、このマフィンでお茶にしましょうか?」

 

「ええ、そうね。……お茶の時間にしましょう」

 

ルドミラが微笑みながら頷くと、アリスは小さく跳ねるようにしてキッチンへと向かった。

軽やかな足取り。

トレイの上に整然と並べられていくティーポットとカップ、皿。

いつもの光景だが、今日は少し違う。

ルドミラの胸の奥には、カフェ「ルポ」で過ごした静かな時間の余韻がまだ残っていた。

 

――あの紅茶の香り。

――あのマスターの微笑。

――そして、自分のために淹れてくれた、あの小さなカップ。

 

思い出すたびに、胸の奥がじんわりと熱を帯びる。

彼の低い声が、まだ耳の奥に残っている気がする。

 

「女王様! お茶の時間ができました! いまお淹れしますね!」

 

明るい声に思考が現実へと戻る。

アリスが嬉しそうにティーポットを持ち、ルドミラのもとへ歩み寄ってくる。

その姿にルドミラはふと微笑み、軽く手を挙げて彼女を制した。

 

「アリス? 申し訳ないのだけれど、このカップに入れてもらえるかしら?」

 

そう言って、そっと差し出したのは――あのカフェでもらった、白磁のカップだった。

取っ手の下に刻まれた一文。

 

『高貴なる貴方に至福のひとときを』

 

アリスはその文字を見つめ、きょとんとした表情を浮かべる。

 

「え? このカップ……新しいですね?」

 

ルドミラはただ静かに微笑んだだけで、何も言わなかった。

その微笑の奥には、ほんの少しの照れと、確かな温もりがあった。

 

「……わかりましたっ!」

 

アリスは小さく頷き、丁寧にポットを傾けた。

とく、とく、と、静かな音が響き、紅茶の琥珀色がゆっくりとカップを満たしていく。

立ちのぼる香気が、部屋いっぱいに広がった。

 

「どうぞ!」

 

アリスが両手で差し出したそのカップを、ルドミラは両手で受け取る。

ほんのり温かい陶器の感触が、掌から心へと伝わってくるようだった。

そして、そっと唇を寄せ、一口。

 

――驚くほどに、優しい味だった。

 

「……美味しいわ、アリス。とっても」

 

ルドミラは静かに微笑んだ。

紅茶の香りの奥に、かすかにカフェの記憶が重なる。

まるで、彼が隣で微笑みながら見守っているように感じた。

 

アリスは嬉しそうに笑いながら、向かいの席に座る。

 

「えへへっ、よかった! 女王様がそう言ってくれると嬉しいです!」

 

ルドミラはカップを見つめたまま、わずかに目を細めた。

その瞳の奥には、淡く切ない光が揺れている。

 

――彼が自分のためだけに淹れてくれた紅茶。

――そして、その心を写したかのように透き通る味。

 

それはもう、単なる紅茶ではなかった。

あの一杯には、彼の気遣いと優しさ、そして言葉にならない想いが込められていた。

 

ルドミラは胸の奥で小さく呟く。

 

(……このカップで紅茶を飲むたび、きっと思い出すのね。あの人の、あの微笑を)

 

彼女はカップを静かにテーブルに置き、穏やかに微笑んだ。

 

「アリス。……貴女のお茶、とても美味しいわ」

 

アリスは無邪気に笑いながら、マフィンをルドミラに差し出した。

その香ばしい甘さが部屋を満たしていく。

二人の午後は、穏やかに、そして温かく流れていった。

 

――紅茶の香りと、マスターの記憶が、静かに交わる午後。

それは、ルドミラにとって何よりも心休まる“至福のひととき”だった。

 




くそっ!!
まただ!!
他の作品があるのにこっちを書いてしまった!!
だが、悔いはない。
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