勝利の女神NIKKE 希望のカフェ   作:スウェーデンクラス

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第1話 フードの女

 

 

ラプチャーとの果てしない戦争に敗北した人類は、地上を捨てた。

焼け焦げた大地の下、無数の層を重ねて築かれた巨大避難都市《アーク》。

そこは、かつての空や風、そして太陽の代わりに、人工灯の光が昼夜を再現する世界だった。

 

人類は生き延びるために、自らを凌駕する存在を生み出した。

機械的な機能と強度を持ち、戦闘に特化した女性型ヒューマノイド――《ニケ》。

彼女たちは地上でラプチャーと戦い、人類に残された最後の希望として、その身を焦がしていた。

 

そんなアークの片隅。

ビジネスビルが立ち並ぶ無機質な街並みの一角に、ひっそりと佇む小さなカフェがあった。

その名は《ルポ》。

外装こそ古びたが、扉を開ければ、ほのかに焙煎豆の香りが鼻をくすぐる。

雑踏の喧騒から隔絶されたような静寂。

知る人ぞ知る名店として、ひそやかに人気を博していた。

 

――カラン。

 

扉の上に吊るされた小さな鈴が、微かに鳴る。

その音が店内の穏やかなBGMに溶けていく。

 

「……あぁ、いらっしゃい。いつものかい?」

 

カウンターの奥で食器を拭いていたマスターが、微笑みながら声を掛けた。

入り口に立つのは、フードを深く被った一人の女性。

その顔は影に隠れてよく見えない。

だが、その歩みにはどこか、戦場を渡り歩いた者の気配があった。

 

「……あぁ」

 

短く、それだけを答える。

その声には感情の起伏がほとんど感じられない。

だがマスターは、そんな彼女を責めるようなことは決してしなかった。

まるで、そこに居るだけで十分だと言わんばかりの、柔らかな眼差しで彼女を見つめていた。

 

一般的に、“カフェのマスター”といえば、老練な老人か、穏やかな青年を想像するものだろう。

だがこの店のマスターは、そのどちらにも当てはまらなかった。

 

身長は180センチを優に超え、鍛え抜かれた体格。

スーツの上からでも分かる筋肉の厚み。

鋭い眼光と引き締まった顔立ちは、むしろ“軍人”のそれに近かった。

 

しかし、その手つきは驚くほど繊細だった。

豆を挽く音は静かな旋律のように心地よく、蒸気が立ち上るカップに注がれる液体は、黒曜石のように深く艶やかだった。

 

「……またせたね。いつものコーヒーだよ」

 

コト、とマスターは一杯のコーヒーを置いた。

女性は無言でそれを手に取り、一口含む。

鼻腔を抜ける香ばしい香り、舌の上で広がる苦味と、かすかな甘み。

その瞬間、彼女の表情がふっと緩んだ。

 

「……美味い」

 

わずかに笑みを浮かべた唇から、その言葉が零れた。

 

マスターは頷きながら、静かに食器を磨き続ける。

店内には再び、コーヒーの香りと穏やかな音だけが流れていった。

 

しばらくの沈黙の後、マスターが不意に言葉を落とす。

 

「今日は仕事かい?」

 

女性の指が、カップの取っ手の上で止まった。

その瞳がわずかに揺らぐ。

この店で初めてだった。

彼が彼女の“外のこと”に触れたのは。

 

「……いや、今日は休みだ」

 

それだけを答えるのが精一杯だった。

 

「そうかい。それならゆっくりできるね。いつもは一杯飲んだらすぐに行ってしまうだろう?」

 

その柔らかな言葉に、女性の胸が一瞬きしむ。

――どうして、そんなに穏やかに微笑むんだ。

どうして、そんな目で見つめるんだ。

 

「そうだ、試作のガトーショコラがあるんだが。良ければ、試しに食べてみてくれないか?」

 

「い、いただく……」

 

咄嗟に答えた自分に、女性は戸惑う。

――なぜ私は、こんなにも動揺している。

ただ話しかけられただけだろう。

落ち着け。

任務中の尋問では、心が乱されることなんて無いではないか。

 

皿の上に静かに置かれたガトーショコラ。

淡い光を受けて、濃密な黒が艶めいている。

 

「はいよ、これが試作のガトーショコラだ。食べてみて」

 

微笑むマスター。

その笑顔を前に、女性の鼓動が速まっていく。

彼の瞳の奥に、なぜか温かさが宿っていた。

戦場では決して見たことのない、柔らかな光。

 

「い、いただきます……」

 

震える指でフォークを持ち、慎重に一口。

――その瞬間、世界が変わった。

 

口の中で溶けていく甘味。

苦味と香りが舌の上で調和し、胸の奥にまで染み渡る。

これまで“食事”とは、ただの栄養補給でしかなかった。

だが今、初めて理解する――これは、生きるための喜びだ、と。

 

「……」

 

何も言えずに俯く女性を見て、マスターは少し首を傾げた。

 

「口に合わなかったかい? 無理をすることはないよ」

 

皿を下げようとした瞬間――彼女の手が、その手を掴んだ。

 

自分でも驚くほど強く、そして熱く。

 

「い、いや! これは……その、とても美味しい……から、全部食べる……」

 

しどろもどろになりながらも、必死に言葉を繋ぐ。

マスターは優しく笑みを返した。

 

「それは良かった」

 

その微笑みは、なぜだか胸を痛くさせるほど優しかった。

 

コーヒーとケーキを平らげた後、女性は深く息を吐いた。

指先がまだ熱を帯びている。

――何をやっているんだ、私は。

たかが会話ひとつで、こんなにも心が乱れるなど。

任務で、どれほどの男を“演技”で落としてきたと思っている。

これはただの錯覚。

久しく他人とまともに言葉を交わしていなかっただけだ。

 

『……たるんでいるな。帰ったら訓練を増やそう。次からこの店は使えない。私を詮索し始めている』

 

そう言い聞かせながら、店を使わないと決めたことから感じる胸の微かな痛みを無視して、支払いを済ませようと立ち上がる。

その時、マスターが穏やかに声をかけた。

 

「もう帰るのかい? 今日は少し話ができて嬉しかったよ。また来てくれ。次は違うケーキを用意しておくよ」

 

その笑みを見た瞬間、胸の奥で何かが弾けた。

 

――あぁ、私は。

私は、この人を――。

 

顔が熱くなる。慌ててフードを深く被る。

 

「……ま、また来る」

 

やっとの思いで言葉を絞り出す。

もっと気の利いたことを言いたかったのに、喉が塞がって何も出てこない。

 

そんな彼女に、マスターは穏やかに尋ねた。

 

「貴女の名前は? 常連さんの名前は覚えておきたいんだ」

 

一瞬の沈黙。

やがて、彼女はわずかに顔を上げた。

 

「……デ、デイジー……と呼んでくれ」

 

「分かった。またのお越しをお待ちしているよ、デイジーさん」

 

その言葉を聞いた瞬間、耐えきれずに彼女は踵を返した。

――そして、逃げるように店を飛び出した。

 

アークの人工灯の下、通りの雑踏へ紛れ込む。

胸の鼓動がまだ収まらない。

 

『なにをやっている、私は……』

 

ポケットの中で端末が震えた。

彼女はすぐに応答する。

 

「……あぁ、了解した。すぐに調査し、終了後始末する」

 

短く言い切る声は、先ほどまでの柔らかさを完全に消していた。

フードの下、冷徹な瞳が戻っている。

 

――彼女の名は《D》。

《シージペリラス》を率いるリーダー。

アークの闇を切り裂き、腐敗した権力を断罪する者。

 

端末をしまい、ふとカフェの方向へ振り返る。

 

「……また来る。マスターに会いに」

 

誰にも聞こえぬように呟いたその声は、ほんのわずかに震えていた。

 

初めて知る感情――誰かに、また会いたいと思う気持ち。

胸の奥でその温もりを確かに感じながら、

彼女は再び冷たい夜の街へと歩き出した。

 

今日も《シージペリラス》は、世界をより良い方向へ導くため、

静かに、そして確実に悪を断罪するのだった。

 




くっ!
他の作品もあるのに、書いてしまった!!
だが。悔いはない
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