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おじさんの独り言

団塊の世代の呟きです。

3月11日

2007-03-26 06:33:38 | Weblog
3月11日
垣根の西洋かなめの赤い新芽がのぞき、朝夕には手が悴む、春を目で感じ肌に冬の名残を残すそんな日が続きます。
3月11日、文部科学相の諮問機関、中央教育審議会の教育改革関連三法案の答申の記事が新聞一面にあった。国の権限強化の文字が目立つ。
組織の持つ使命(正義)は時を経ると組織維持へ変わる。その組織内(村社会)に培われる意識は社会全体から見ると異様なものですが、その人達が権力を握ると村社会を維持の為のものが社会正義として施行されます。社会正義か村社会維持の為かその言葉の判別は難しく、どう運用されるかによって変わる事が多く巧みな言葉の選択がありなかなかにしたたかです。
JIS(日本工業規格・昭和20年12月6日設立)があります。戦後、粗悪品が横行し規格がバラバラだった物を統一し日本中どこで買っても同じ物が買えるようになりました。物が豊かになってくると「あの工場はJISを取ったので商品の質が落ちる」と言われるようになりJISは良い商品の証ではなく「日本で製品を売る為に」必要なマークになったのです。
明治維新後日本の主題は富国強兵です。
軍隊で秋田の人に鹿児島弁で命令しても通じません、そこで共通語「標準語」が必要になったのです。軍隊はそれで良かったのですが、それぞれの土地の伝わる心はその土地に伝わる言葉でしか伝わりません。テレビの普及と共に益々その傾向が強くなりました。
戦後すぐは教育委員長は住民の選挙で選ばれました。失敗したら次の選挙では選ばれません、住民に対して責任と権限を持っていたのです。
今は任命制です。教育委員は任命権者たる首長よりも文部科学省を見ている人が多いと言います。「首長」は住民が選挙で選んだ人で文部科学省の役人は住民が税金を払って雇っている人です。
(余談、私立学校は文化省から助成金でコントロールされ個性を失ったと聞きます。)
教育のレベルが低かった時は最低ここまではと言う画一的なものが必要だったのかもしれませんが、今日はその地に合った教育でそれぞれの地域が競い合う方が良いのではないでしょうか。なにか事件が起きるたびに権限強化に結びつけず、「画一的な教育の結果が今日である」と言う認識を持ち、その地の人「親、教育者、住民」が共に考えれば良い答えが出ると思うのですが。
毎日、「私は悪くない」と分厚い報告書を書かされている先生に子供達の事を考える時間があるとは思えないのですが。