「外国人お断り」の避難所を作るのか 排外主義と社会保障
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社会保障は誰のためのものなのか。昭和女子大福祉社会学科教授の奥貫妃文さんに聞きました。【聞き手・須藤孝】 【写真】通勤する人たち ◇ ◇ ◇ ◇ ――先の参院選の時期には外国人の生活保護の利用は不正だというようなデマが広がりました。 ◆排外主義は以前からあるのですが、今回は非常に広がったことに驚きました。ただ2、3年前から身近でも、外国人にお金を使う必要はないというような言い方を聞くようになりました。そのような人たちが今回、参政党に投票したのだろうと思います。 ◇「誰からも大事にされていない」 ――デマに引きつけられる人がいます。 ◆参政党のような政党を支持する人とは対話ができないと言う人もいますが、私は違うと思います。中間層の人たちに、強い被害者意識があるように思います。「税金を取られているのに国はなにもしてくれない」という感覚です。 国が援助しているのは自分以外の、たとえば低所得者層だけだという言い方です。そのなかに外国人も入ってきます。 生活が苦しいというだけではなく、心情的に自分たちが無視されている、誰からも大事にされていない、というような思いもあるのではないでしょうか。 参政党の支持者のような人たちに対しては、なにをばかなことを言っているのか、となりがちですが、私としてはそうした人たちのつらさも共有していく必要はあるように思っています。 ――生活が苦しいという実感はあります。 ◆中間層であっても生活の苦しさはあります。大学生と接していても悲観的な言葉ばかり出てきます。保険料を払っても年金はもらえない、ならば保険料は払わないで貯金するなどと言います。 ◇仕送り ――しかしそうなると社会がおかしくなります。 ◆みな自分でやることにして、社会保障をなくしてしまっては未来はありません。 ケガをせず、病気にもならなかったら、払った保険料は損したことになるのでしょうか。社会にはいろいろな人がいます。そのなかで奪い合いをしても船自体が沈むだけです。 社会保障の考え方は出せる人が出せる割合で出し、困っている人はそれなりの割合で出し、本当に出せない人は出さなくてもいいということです。その違いは人によっての違いでもありますが、同じ人の人生のなかでの違いでもあります。 生活に困ることは誰にでも起きることです。厚生労働省が年金制度について言っている「仕送り」(世代間の支え合い)という考え方は理にかなっています。 ――当たり前ですが、いろいろな人のなかに日本国籍を持っていない人もいるということですね。 ◆たとえば国民健康保険制度でみると、高齢化する日本社会のなかでは相対的に若い世代が多い外国人労働者が払う保険料も、制度を支える一端を担っています。(※) ◇みな切り捨てられる ――外国人といっても特別に違う人であるわけはありません。 ◆外国人の方から、東日本大震災のときに驚いて道にしゃがみこんでいたら、トラックの運転手さんが車から降りてきて声をかけてくれたという話を聞いたことがあります。その人にとっては大きな経験で、その優しさを受け継いでいきたいと話していました。 行政も、避難所をマイノリティーの人も使いやすいものにする取り組みをしています。参政党の方にお聞きしたいのは、日本人ファーストというなら外国人お断りの避難所を作るのかということです。 ――ありえないとはいえないのが恐ろしいところです。 ◆日本人ファーストというといかにも日本人のことを考えているようですが、実際は逆です。日本人のなかで働ける人、働けない人、健康な人、病気の人、障がいのある人、ない人というようにどんどん分断していって、最後にはいま、参政党を支持している人たちも切り捨てられます。 政治家は、本来、そのような分断をしないようにみなを説得すべきなのです。(政治プレミア) ※ 「外国人と国民医療費 『担い手』と『利用者』の両面から」(奥貫妃文、都市問題8月号)
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