第1回親の介護も認められず「今すぐ出て行け」 医師めざす男性縛る地域枠

枝松佑樹
[PR]

 診療のあいまに病院の窓に目をやると、夏の日差しに雄大な山々が映える。この土地に来て、心安らぐ数少ない瞬間だ。

 ある地方の総合病院に勤める20代の男性医師は、淡々と診療をこなしていく。患者とは診療以外の話をすることは、ほとんどない。

 平日は夜まで残業し、終わればまっすぐ家に帰る。週末は当直バイトをして、あとは寝て過ごす。

 役立ちたくてこの土地に来たのに、どうしても好きになれない。

 職場の地元スタッフたちとの雰囲気は、悪くない。一緒に飲み会やボウリングにも行く。でも、盛り上がる周囲をながめながら、ふと白けている自分に気付くことがある。

 いま、なんでここにいるんだっけ。なんでこんなことしてるんだっけ。

 本当なら、今ごろ首都圏の実家で、父と一緒に暮らせていたかもしれない。

 だが、医学部入学から15年以上が過ぎる30代半ばまで、ここを離れることは許されない。

 「地域枠」の医師だからだ。

父は要介護 地域枠志願は「チャンスを増やすため」

 首都圏で生まれ育った。祖父の病死をきっかけに医師を志し、大学医学部を受験するため勉強に打ち込んだ。

 父は、病気の後遺症により介護が必要だった。私大医学部の学費を払えるほどの経済的余裕はなく、両親から、ある地方の国立大医学部の地域枠を受験するよう勧められた。

 地域枠は、各都道府県が大学医学部に要請し、国の許可を得て、医学部定員を臨時に増やしたもの。一般枠とは別枠で高校推薦などによる選抜試験があり、卒業後、その県内で9年以上診療する義務が課される。青森県を除くすべての都道府県で、入学者は奨学金を借りることが必須で、義務を果たせば返済が免除される。

 奨学金で医学部に入れるなら親孝行になる。それに、浪人していたので、地域枠の受験は合格のチャンスを増やすことになる。男性はそう考えた。

 親が勧めた大学は首都圏から遠く離れていた。だが、父は要介護とはいえ仕事ができており、体調も安定していた。なにより、その父が地域枠を勧めている。

 地域枠を志願することに決めて、見事、合格した。

 いま振り返ると、入学手続きのとき、右も左も分からないまま「重い契約」を結んでしまった。

「義務果たせば、奨学金の返済必要ない」

 「卒業後9年間、地元で診療する義務を果たせば、奨学金の返済は必要ありません」。パンフレットには、これだけが書かれていた。外科や内科など、どの診療科を選ぶことができ、どんな地域の病院で働くことになるのか、説明はなかった。

 もともと身近に医師もおらず、医療界に詳しいわけではなかった。学部6年間と卒業後9年間の計15年間、どんな生活を送ることになるのかイメージはわかなかった。

 それでも、当時は奨学金がありがたく、義務を果たすつもりだった。疑問をもつことなく1千万円以上の奨学金を借りる契約書にサインした。

 初めて不安を抱いたのは、入学から数年後だった。

 上級生たちが、「地域枠から離脱しようとしたら、県とトラブルになる」とうわさしているのを耳にした。

 父の顔が思い浮かんだ。万一、父の体調が悪化して介護のために帰らざるを得なくなったとき、すんなり離脱できるのだろうか。

 県の担当者には、父が要介護であることは伝えていた。

 それに、卒業後に奨学金を返して離脱した先輩は、1人や2人ではなかった。

 さすがに家庭の事情があれば、奨学金を返せば離脱を認めてくれるだろう、話せばわかってもらえる。そう自分に言い聞かせた。

 卒業を控えたころ、不安は的中した。

「離脱したい」 医学部長に伝えると・・

 父が体調を崩し、要介護度が上がった。世話をする母も高齢になり、「帰って手伝ってほしい」と懇願された。

 卒業後すぐに奨学金を返し、地域枠を離脱しようと決心した。大学の医学部長の部屋を訪ね、家庭の事情を説明した。

 医学部長は椅子に深く腰掛け、静かな口調で問いかけた。

 「君は本当にそれでいいの」

 「親御さんは、君にキャリアを犠牲にして介護してほしいと本気で思ってるのかな」

 離脱の意思に変わりがないと伝えると、みるみる口調が変わっていった。

 「義務を果たす約束のもと入学したんだよね」

 「離脱するなら卒業できないとは、考えなかったの」

 そして、最後に言い放った。

 「地域枠を辞めるなら、今すぐ大学を出ていってくれ」

有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません

【30周年キャンペーン】今なら2カ月間無料で有料記事が読み放題!詳しくはこちら