銃
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聖書を引用して相手を褒める癖を持っている友人が(聖書の全体量は決まっており、今後内容が増えることはないため)聖書で褒める分のリソースをAさんに割きたいから、 Bさんとの関係を渋々切らなければならない、という話をしていて、正直面白かった
宮城県うまれですが事実です
わたしは タコ SEX で生まれました
ヘンな大学のヘンな学部、就活に不利だろ、という印象を抱いていたが、暇すぎてみんなヨーロッパに留学に行くため結果的に就活最強になるらしい 銃は丸二年半、うごく死体だったから全然そんなことはないのに
祈りがさあ!みたいなマインドの文学青年ってなぜかインターネットには多いけど、卵を毎日5個たべる等の空虚なマッチョイズムを実践している漢たちもある意味祈りの実践者として理解されるべきだと思う
こういう系の 創作者の彼らは命を削っていたからこそ、わたしたちにすばらしい作品を届けてくれていたんだ という旨のインディーズのロマン派みたいな不健康な、創作への称揚がながれてきてるのふつうに嫌だな 儚さ?だったら、桜?とか眺めていたほうがいいと思います
文学部女子が理想とする男性
・サハリン(旧樺太)出身
・鹿の角笛の音色を好む
・北原白秋を読んでいる
・ベーリング海で過酷なカニ漁に従事しており、その余暇の時期にたった一文字 花 とだけツイートする
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ただ、Bさんもそれで切っていいような人間ではないと第三者の自分からはふつうに思うことなので、どうにか関係が修復されてほしいとは思っています 聖書のページ数を増やすわけにはいかないので
もしサッカーボールよりはるかに哲学書のほうが安かったらブラジルの子どもたちは路地裏の古本屋の安くなった哲学書を回し読みしてストリートの哲学者になるのかな ときどきヨーロッパの哲学のチームにスカウトとかされながら
SAPIXに通わせられた過去のある人より、子どものころからプレジデント?という雑誌が家にあり、〇〇学部は年収が高い!などの素晴らしい情報を教えていただいた銃のほうが予後が悪い
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① 進学先を確保する
② ①が難しい場合、就労先を確保する
③ ①、②と並行しながら、インターネットの文芸コミュニティにありがちな毛づくろいみたいな関係性をやめて賞に出す、なんらかのオフラインのコミュニティに入る
美しい文ばかり書いてるポエムアカウントを信用できないのは集団内で無意識的に文体や作法を模倣していった結果、さんざんな自家中毒に陥って彼ら彼女らの人格的な部分がみえづらくなっているから
故・はるしにゃんの「超越論的なものが生理学的ないしは経験論的なものに回収されるならもう筋トレするしかない」という発言と、昨今の「冷笑はやめろ、これからは熱笑の時代」というムーブメントがだいたい同じ状況を指しているということは言っておきたい
おい、磯野 清潔感のある高学歴の若い男性複数名が綺麗な絵作りの画角に収まって、性的な話題を排除し、なんとなく賢そうなこと(過度に高度な内容でもよくない)を楽しそうに話している姿 でもやろうぜ
若者はいつの時代もそこまで賢くはないのだから貧困に苦しめばいつだって鉄パイプでひとを殴る これはあたりまえ 治安の悪い邦画を観れば誰でもわかる そういうことを織り込みずみでシステムをつくるべき この国の若者は端的にいって舐められてます 潜在的な危うさで支援を狙うべきです
体育会系に入れなかった・入らなかったひとたちが社会人になってそういったコミュニティを擬似的に再現しようとする強いエネルギー これで回っている業界がいくつかはある気がする
わたしは人のかたちをした妖怪なので、だれにも迷惑がかからないようなしずかな雪国の山小屋のなかで、エレクトロニカを流しながら本を読んで細々と暮らしていくだろうと思います たびたび好きだった人との記憶を想起しては宝石のようにそれを愛でるだろうけれども もう人と関わってはいけないのだと
みなさんの言っている 知的な男性との知的な会話にどきどきしたい というのは 音読の練習 をすればかんたんに実現できるものなのでまったく焦る必要はない 結局は ヘンな箇所で躓かず ヘンな場面で強調をしないということ あとは髪型次第やね つまるところ 髪型次第だからね
これ、わたしからはまったく何も関係を持とうとしていないのに、延々とヘンなDMを送ってくださるアカウントさんなのですが、こういうことを勝手に言われていてもうどうしようもないです インターネットをやめたくなります
ゴーギャンの名作『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』のタイトルは、彼が少年期に受けた教会での教育に由来しており、司祭からこれらの3つの問いで延々と詰められていた、ということらしい
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愛をとおくの彼岸に置いて祈る姿勢と、真の漢であろうとする空虚なマッチョイズムにはかなり大きな類似がある
自己責任論が流行る社会で街のあちこちにチョコザップが立つのはわりとあたりまえで、浄土思想が末法の世に一定のソリューションを与えたように、令和の世ではカジュアルなトレーニング・ジムが自己責任論を受肉する
豆川はつみです
第6回笹井宏之賞の最終候補作として
わたしの連作「Addressing」(10首抄)が本日発売のねむらない樹vol.11に載っています
座談会でも取り上げられていました
よろしくお願いします