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55. 終りの時も  (喜びあふれて)

55. 終りの時も  (喜びあふれて)

イザヤ52:1-6     
(主は王となられる)

ルカ21:5-19     
(神殿の崩壊を予告する)

「ある人たちが,
神殿が見事な石と奉納物で
飾られていることを話していると,
イエスは言われた。
『あなたがたは
これらの物に見とれているが,
一つの石も崩されずに
他の石の上に残ることのない日が来る。』」
(ルカ21:5,6)






今日は教会の暦では今年の最終主日で,次の主日から新しい年になります。

この終わりの主日に,わたしたちの信仰を顧(かえり)み,新年においては,より充実した信仰生活を送るように備えたいと思います。

今年は,ルカによる福音書によって主日礼拝を守りました。

ルカによる福音書はテオフィロという方に献呈(けんてい)され,
つぎのとおり書いています。

「すべてのことを初めから詳しく調べ,
順序正しく書いて
あなたに献呈するのがよいと思いました。」
(ルカ1:3)

ですから,イエスさまの行動がよく分かります。






(ルカ21:5-19)

神殿の崩壊を予告する



ガリラヤで伝道を始められたイエスさまは,救いを完成するためにエルサレムへ向かわれます。 

そして,今日の聖書日課の箇所では目的地エルサレムに到着しておられます。

エルサレムに到着することによって,イエスさまの御生涯は終わりに近づきます。

ですから,その一日一日はイエスさまにとって,掛け替えのない一日一日となります。

エルサレムの神殿に上られたイエスさまは,ある人たちが「神殿が見事な石と奉納物で飾られている」(ルカ21:5)ことを話しているのを聞き,神殿の崩壊を予告されます。

「あなたがたは
これらの物に見とれているが,
一つの石も崩されずに
他の石の上に残ることのない日が来る。」
(ルカ21:6) 

すると,神殿の見事さに見とれていた人たちが,イエスさまに,
と尋ねます。

「先生,
では,そのことはいつ起こるのですか。
また,そのことが起こるときには,
どんな徴があるのですか。」
(ルカ21:7)

そこで,イエスさまは「終末の徴(しるし)」のお話になります。

そのお話の中で,終わりの前に起こる出来事を4つお話になります。


1つ目は偽預言者,
2つ目は戦いと暴動と国家の対立,
3つ目は天地の恐ろしい変化を伴った自然災害,
そして4つ目として,イエスさまを信じる人たちへの迫害をお上げになります。

そのような出来事に直面した場合,どう対応すべきかをお示しになります。

偽預言者が現れた場合には,「惑わされないように気をつけなさい。」(ルカ21:8)

戦争や暴動のことを聞いても「おびえてはならない」(ルカ21:9)とおっしゃいます。

迫害が起こった場合には,その迫害が「証しをする機会となる」(ルカ21:13)と,次のようにお告げになります。

「民は民に,
国は国に敵対して立ち上がる。
そして,大きな地震があり,
方々に飢饉や疫病が起こり,
恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。
しかし,
これらのことがすべて起こる前に,
人々はあなたがたに手を下して迫害し,
会堂や牢に引き渡し,
わたしの名のために
王や総督の前に引っ張って行く。
それはあなたがたにとって
証しをする機会となる。」
(ルカ21:10-13)

そして,神様のお守りのあることを,次のお言葉で示して励ましてくださいます。

「あなたがたの髪の毛の一本も
決してなくならない。
忍耐によって,
あなたがたの命をかち取りなさい。」
(ルカ21:18,19)


迫害が起こっても「髪の毛の一本もなくならない」(ルカ21:18)ように,神様はわたしたちをお守りくださいます。ですから,迫害の時は「証しの時」として受け取れます。

わたしたちも終わりに直面する時に,イエスさまが言われたように,その時は「証しの時」となります。

ルターの言葉に,「明日が世界の終わりの日であっても,わたしは,今日,リンゴの木を植える」といった意味の言葉があるとのことですが,これは終わりに臨んでも希望を失わない生き方を示します。      


すべては神様の御手の内にあります。

明日が世界の終わりの日であっても,神様がリンゴの木を植えるようにと仕事をお与えなったのなら,その仕事に従事するのです。

ここには,すべてが神様の御手の内にあることへの信仰があります。          






(イザヤ52:1-6)

主は王となられる


今日の聖書日課の第1の朗読は,イザヤ書の「主は王となられる」という箇所です。

神様は王として,すべてを支配しておられます。

このすべてを御支配なさっている神様は,恵みの神様です。

ルターが死の2日前に書いた紙切れには,自分の生涯を振りかえって,「我々は乞食である。それは真だ」と書いてあったというのです。

ルターは,ひたすら神様の御恵みを乞食のように求めていたことが伝わります。

「明日が世界の終わりの日であっても,わたしは,今日,リンゴの木を植える」とは,ただひたすら,神様の御恵みを求める生き方です。
 
わたしたちが神様の御恵みをひたすらに求めて生きる時に,「あなたがたの髪の毛の一本も決して失われない」というイエスさまのお言葉は,偽者や偽預言者が現れても,戦いと暴動と国家の対立が起こっても,また天地の恐ろしい変化を伴った自然災害に遭遇しても,また迫害が迫ってきても,わたしたちを守ってくださる神様がいらっしゃることを思い起こさせます。

この聖書の言葉に励まされ,わたしたちも「明日が世界の終わりの日であっても,今日は,リンゴの木を植える」生き方をしましょう。




(2007年11月25日)

(聖霊降臨後最終主日)

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