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2025.3.25 ヨハネ福音書 救いの確信


2025.3.25 

ヨハネ福音書 救いの確信


ヨハネの福音書の一つの言で,

私たちは救われ,永遠の命が与えられ,

救いの確信が与えられます。






言(ことば)


(ヨハネ1:1)新共同訳

「初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。」



(ヨハネ1:12)新共同訳

「言は,自分を受け入れた人,
その名を信じる人々には
神の子となる資格を与えた。」



(ヨハネ1:14)新共同訳

「言は肉となって,
わたしたちの間に宿られた。
わたしたちはその栄光を見た。
それは父の独り子としての
栄光であって,
恵みと真理とに満ちていた。」


(聖書の)「言」とは,

イエスです。(1:14)


わたしたちが,

「その名」(イエス)を受け入れるなら,

わたしたちは「神の子」となります。

(1:12)






カナの婚姻


(ヨハネ2:7-9)新共同訳 

「イエスが,
「水がめに水をいっぱい入れなさい」
と言われると,
召し使いたちは,
かめの縁まで水を満たした。
イエスは,
「さあ,それをくんで
宴会の世話役のところへ持って行きなさい」
と言われた。
召し使いたちは運んで行った。
世話役は
ぶどう酒に変わった水の味見をした。
このぶどう酒がどこから来たのか,
水をくんだ召し使いたちは知っていたが,
世話役は知らなかったので,
花婿を呼んで,」




(ヨハネ2:11)新共同訳

「イエスは,
この最初のしるしを
ガリラヤのカナで行って,
その栄光を現された。
それで,弟子たちはイエスを信じた。」



「しるし」とは,

主イエスが「神の子」(1:18),

「神の子キリスト」

(ヨハネ20:30,31)

であることを示すものです。



イエスの弟子たちは,

この「しるし」(奇跡)によって,

イエスを信じました。 
(2:11)


救いに与りました。


イエスを信じる者は救われます。

すなわち,罪が赦され義とされます。


(ローマ3:22)新共同訳

「イエス・キリストを信じることにより,
信じる者すべてに与えられる神の義です。
そこには何の差別もありません。」





ニコデモ


(ヨハネ3:2)新共同訳 

「ある夜,イエスのもとに来て言った。
『ラビ,わたしどもは,
あなたが神のもとから来られた
教師であることを知っています。
神が共におられるのでなければ,
あなたのなさるようなしるしを,
だれも行うことはできないからです。』」



(ヨハネ3:14-16)新共同訳 

「モーセが荒れ野で蛇を上げたように,
人の子も上げられねばならない。
それは,信じる者が皆,
人の子によって永遠の命を得るためである。
神は,その独り子をお与えになったほどに,
世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで,
永遠の命を得るためである。」


ユダヤ人たちの議員であるニコデモが,

夜イエスのもとに来ます。(3:1)

ニコデモは,

イエスが「しるし」を行っていることを

知っていました。

(ヨハネ3:2)


イエスは,ニコデモに救いを伝えます。


信じるものは永遠の命を持ちます。

「しるし」を信じるものが救われます。






サマリヤの女


(ヨハネ4:14)新共同訳 

「わたしが与える水を飲む者は
決して渇かない。
わたしが与える水は
その人の内で泉となり,
永遠の命に至る水がわき出る。」



(ヨハネ4:15)新共同訳
 
「女は言った。
『主よ,
渇くことがないように,
また,
ここにくみに来なくてもいいように,
その水をください。』」



(ヨハネ4:18)新共同訳 

「あなたには五人の夫がいたが,
今連れ添っているのは夫ではない。
あなたは,
ありのままを言ったわけだ。」


サマリアの女は, 

イエスを「主」と呼びます 


そして,「ありのまま」を 

イエスに言います。(4:18)


イエスは,

信じる者に「水」である聖霊を与えます。






べテスダの38年間の病人


(ヨハネ5:5)新共同訳 

「さて,そこに三十八年も
病気で苦しんでいる人がいた。」



(ヨハネ5:8,9)新共同訳

「イエスは言われた。
『起き上がりなさい。
床を担いで歩きなさい。』
すると,その人はすぐに良くなって,
床を担いで歩きだした。
その日は安息日であった。」


この男はイエスの言葉に従って

立ち上がりました。


イエスの言葉を受け入れ,

従うことによって, 救われます。






命のパン


(ヨハネ6:35)新共同訳 

「イエスは言われた。
『わたしが命のパンである。
わたしのもとに来る者は
決して飢えることがなく,
わたしを信じる者は
決して渇くことがない。』」


イエスは命のパンです。


パンを食べること,すなわち。

イエスを信じるなら,

決して「飢えること」なく,

「渇くこと」がありません。


すなわち,救いにあずかります。






生きた水の流れ


(ヨハネ7:37,38)新共同訳 

「祭りが最も盛大に祝われる
終わりの日に,
イエスは立ち上がって大声で言われた。
『渇いている人はだれでも,
わたしのところに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は,
聖書に書いてあるとおり,
その人の内から生きた水が
川となって流れ出るようになる。』」


イエスを信じる者は,

生ける水である聖霊を受けます。

そして,わたしたちの内から

聖霊があふれて,流れ出ます。


旧約聖書で預言されていました。


(ゼカリヤ14:8)新共同訳

「その日,
エルサレムから命の水が湧き出で
半分は東の海へ,
半分は西の海へ向かい
夏も冬も流れ続ける。」


救いにあずかるのです。






わたしはある


(ヨハネ8:24)新共同訳 

「あなたたちは自分の罪のうちに
死ぬことになると,
わたしは言ったのである。
『わたしはある』ということを
信じないならば,
あなたたちは
自分の罪のうちに死ぬことになる。」



(ヨハネ8:28)新共同訳 

「そこで,イエスは言われた。
「あなたたちは,
人の子を上げたときに初めて,
『わたしはある』ということ,
また,わたしが,
自分勝手には何もせず,
ただ,父に教えられたとおりに
話していることが分かるだろう。」



「わたしはある」(28)

(〈ギ〉エゴー・エイミ)

とは,神の名です。


(出3:14前)新共同訳 

「神はモーセに,
『わたしはある。
わたしはあるという者だ』
と言われ,」



「わたしはある」ということは,

「人の子」(イエス・キリスト)が上げられて

初めて知られるようになります。

上げられるとは,イエスの

十字架と復活と昇天のことです。


イエスがキリストであることは,

十字架と復活と昇天を通してのみ

正しく理解されるのです。




この「人の子を上げたとき」

イエスを

神の子であると信じることが,

罪からの解放と永遠の命をもたらすのです。

(8:24)






姦淫の女


(ヨハネ8:11)新共同訳

「女が,
『主よ,だれも』と言うと,
イエスは言われた。
『わたしもあなたを罪に定めない。
行きなさい。
これからは,
もう罪を犯してはならない。』」


この女はイエスを「主よ」と呼びます。 

イエスは,

女に「罪に定めない」と言います。


わたしたちも,イエスのもとにへり下り,

イエスを「主よ」と呼ぶならば,

罪の赦しの救いにあずかります。


パウロは次のようにいいます。

(ローマ10:13)新共同訳

「『主の名を呼び求める者は

だれでも救われる』のです。」







生まれつきの盲人


(ヨハネ9:7)新共同訳 

「そして,
『シロアム
――「遣わされた者」という意味――
の池に行って洗いなさい』と言われた。
そこで,彼は行って洗い,
目が見えるようになって,
帰って来た。」


この男はイエスの言葉を受け入れ,

従いました。

するといやされました。


神の業があらわされました。

(ヨハネ9:3)新共同訳 

「イエスはお答えになった。
『本人が罪を犯したからでも,
両親が罪を犯したからでもない。
神の業がこの人に現れるためである。』」






良い羊飼い


(ヨハネ10:11)新共同訳 

「わたしは良い羊飼いである。
良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」
                      


(ヨハネ10:14)新共同訳 

「わたしは良い羊飼いである。
わたしは自分の羊を知っており,
羊もわたしを知っている。」


イエスは 「良い羊飼いです。」


わたしたちがイエスを

「良い羊飼い」として受け入れるなら

この「羊」です。 


羊飼いであるイエスを受け入れるならば,

イエスの「命」, 

すなわち, 

永遠の命を受け入れることができます。



(詩篇23:1-3)新共同訳 

「(賛歌。ダビデの詩。)
主は羊飼い,
わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく
わたしを正しい道に導かれる。」





ラザロの復活


(ヨハネ11:24―27)新共同訳

「マルタは,
『終わりの日の復活の時に
復活することは存じております』
と言った。
イエスは言われた。
『わたしは復活であり,
命である。
わたしを信じる者は,
死んでも生きる。
生きていて
わたしを信じる者はだれも,
決して死ぬことはない。
このことを信じるか。』
マルタは言った。
『はい,主よ,
あなたが世に来られるはずの神の子,
メシアであると
わたしは信じております。』」


マルタは,イエスに

「終わりの日の復活の時に

復活することは存じております」

と言いました。(11:24)


イエスは次のように言います。

「わたしは復活であり,命である。

わたしを信じる者は,死んでも生きる。」

(11:25)


「生きていてわたしを信じる者はだれも,

決して死ぬことはない。

このことを信じるか。」(11:26)



(ヨハネ11:43,44)新共同訳 

「こう言ってから,
『ラザロ,出て来なさい』
と大声で叫ばれた。
すると,死んでいた人が,
手と足を布で巻かれたまま出て来た。
顔は覆いで包まれていた。
イエスは人々に,
『ほどいてやって,
行かせなさい』
と言われた。」



イエスを信じる者には,

終わりの時に体の復活(11:24) と

信じたとき,

永遠の命(11:25,26)が

与えられます。 


イエスが,

ラザロをよみがえらせた奇跡は

イエスのしるしです。


信じるなら 永遠の命を受け取れます。






一粒の麦


(ヨハネ12:23-25)新共同訳 

「はっきり言っておく。
一粒の麦は,
地に落ちて死ななければ,
一粒のままである。
だが,
死ねば,多くの実を結ぶ。
自分の命を愛する者は,
それを失うが,
この世で自分の命を憎む人は,
それを保って永遠の命に至る。
わたしに仕えようとする者は,
わたしに従え。
そうすれば,
わたしのいるところに,
わたしに仕える者もいることになる。
わたしに仕える者がいれば,
父はその人を大切にしてくださる。」


イエスご自身が,「一粒の麦」です。 

イエスを信じる者もまた,

「一粒の麦」となります。 


パウロは次のように言います。


(ガラテア2:19,20)新共同訳 

「わたしは神に対して生きるために,
律法に対しては律法によって死んだのです。
わたしは,
キリストと共に十字架につけられています。
生きているのは,
もはやわたしではありません。
キリストがわたしの内に
生きておられるのです。
わたしが今,肉において生きているのは,
わたしを愛し,
わたしのために
身を献げられた神の子に対する
信仰によるものです。」






洗足


(ヨハネ13:10)新共同訳

「イエスは言われた。
『既に体を洗った者は,
全身清いのだから,足だけ洗えばよい。
あなたがたは清いのだが,
皆が清いわけではない。』」


イエスは,弟子たちの足を洗います。


洗いは,

罪と罪悪からの霊的な清めを

示しています。


この清めは十字架でのイエスの死によって,

信じる者が受け取れます。



(ヨハネ13:15)新共同訳 

「わたしがあなたがたにしたとおりに,
あなたがたもするようにと,
模範を示したのである。」


イエスが私たちのしもべと

なってくださいました。


わたしたちもまた,

イエスを信じるなら

わたしたちを罪から

洗い清めてくださいます。






父の家


(ヨハネ14:1,2)新共同訳 

「心を騒がせるな。
神を信じなさい。
そして,わたしをも信じなさい。
わたしの父の家には
住む所がたくさんある。
もしなければ,
あなたがたのために場所を用意しに
行くと言ったであろうか。」



イエス・キリストを信じるならば,

「父の家」である

神の国に入ります。




ぶどうの木


(ヨハネ15:5)新共同訳 

「わたしはぶどうの木,
あなたがたはその枝である。
人がわたしにつながっており,
わたしもその人につながっていれば,
その人は豊かに実を結ぶ。
わたしを離れては,
あなたがたは何もできないからである。」


わたしたちがイエス・キリストを信じるならば,

キリストは「ぶどうの木」となり,

私たちはぶどうの木の「枝」となります。 

イエス・キリストが

わたしたちと一つとなってくださいます。


そして,「豊かな実」を結びます。


もっとも大きな実は

イエス・キリストにあって,

罪が赦され,

救いにあずかることです。






弁護者(聖霊)


(ヨハネ16:7,8)新共同訳 

「実を言うと,
わたしが去って行くのは,
あなたがたのためになる。
わたしが去って行かなければ,
弁護者はあなたがたのところに
来ないからである。
わたしが行けば,
弁護者をあなたがたのところに送る。
その方が来れば,
罪について,義について,
また,裁きについて,
世の誤りを明らかにする。」


イエス・キリストは,

信じる者に「弁護者」である聖霊を

与えてくださいます。


聖霊は,

わたしたちに真理を教えてくださいます。


(ヨハネ16:13前)新共同訳 

「その方,すなわち,
真理の霊が来ると,
あなたがたを導いて
真理をことごとく悟らせる。」





イエスの祈り,内なるキリスト


(ヨハネ17:23)新共同訳 

「わたしが彼らの内におり,
あなたがわたしの内におられるのは,
彼らが完全に一つになるためです。
こうして,
あなたがわたしを
お遣わしになったこと,
また,わたしを愛しておられたように,
彼らをも愛しておられたことを,
世が知るようになります。」


イエスを信じる者の内には,

キリストがいます。






ダビデの子


(ヨハネ18:37)新共同訳 

「そこでピラトが,
『それでは,やはり王なのか』と言うと,
イエスはお答えになった。
『わたしが王だとは,
あなたが言っていることです。
わたしは真理について
証しをするために生まれ,
そのためにこの世に来た。
真理に属する人は皆,
わたしの声を聞く。』」


イエスは,ダビデの子として王であります。

また,神の国の王でもあります。 


イエスは私たちの心の中の支配者であり,

救い主であります。


そして,イエスご自身が「真理」です。






イエスの死


(ヨハネ19:28,30)新共同訳

「この後,イエスは,
すべてのことが
今や成し遂げられたのを知り,
『渇く』と言われた。
こうして,聖書の言葉が実現した。
(19:28)
そこには,
酸いぶどう酒を満たした器が
置いてあった。
人々は,
このぶどう酒をいっぱい含ませた
海綿をヒソプに付け,
イエスの口もとに差し出した。
(19:29)
イエスは,このぶどう酒を受けると,
『成し遂げられた』と言い,
頭を垂れて息を引き取られた。」
(19:30)



イエスが

「渇く」(19:28)と言われたのは,

十字架で私たちの すべての苦しみ,

罪と罰を受けてくださったためです。


「成し遂げられた」(19:30)とは,

イエスが私たちのために,

身代わりの死である救いの業を,

成し遂げたことです。



パウロはイエスの死と

贖い(イエスの救いの業)を

次のように言います。


(信仰による義,ローマ3:21-26)新共同訳 

「ところが今や,律法とは関係なく,
しかも律法と預言者によって立証されて,
神の義が示されました。
すなわち,
イエス・キリストを信じることにより,
信じる者すべてに与えられる神の義です。
そこには何の差別もありません。
人は皆,罪を犯して
神の栄光を受けられなくなっていますが,
ただキリスト・イエスによる
贖いの業を通して,
神の恵みにより
無償で義とされるのです。
神はこのキリストを立て,
その血によって
信じる者のために
罪を償う供え物となさいました。
それは,
今まで人が犯した罪を見逃して,
神の義をお示しになるためです。
このように神は忍耐してこられたが,
今この時に義を示されたのは,
御自分が
正しい方であることを明らかにし,
イエスを信じる者を
義となさるためです。」





「わたしの主,わたしの神よ」


(ヨハネ20:28,29)新共同訳 

「トマスは答えて,
『わたしの主,わたしの神よ』
と言った。
イエスはトマスに言われた。
『わたしを見たから信じたのか。
見ないのに信じる人は,
幸いである。』」



トマスは,復活のイエスにあいました。

「私の主,私の神よ」と言います。


本当の救いに与かりました。 


「幸い」とは,罪が赦され,

神の救いにあずかることです。






本書(ヨハネの福音書)の目的


(ヨハネ20:30,31)新共同訳 

「このほかにも,
イエスは弟子たちの前で,
多くのしるしをなさったが,
それはこの書物に書かれていない。
これらのことが書かれたのは,
あなたがたが,
イエスは神の子メシアであると
信じるためであり,
また,信じてイエスの名により
命を受けるためである。」


もっとも大きい「しるし」とは,

イエスキリストが復活し,

イエスが神であるということを

示したことです。


命とは 永遠の命であります。

信じることにより,

罪が赦され義とされ,

神の国に入れられることです。


永遠の命を受け,

復活の体の約束を得ることです。


イエスを信じる者に与えられます。



(ローマ3:22)新共同訳 

「すなわち,
イエス・キリストを信じることにより,
信じる者すべてに与えられる神の義です。
そこには何の差別もありません。」





ヨハネのあかし


(ヨハネ21:24)新共同訳 

「これらのことについて証しをし,
それを書いたのは,
この弟子である。
わたしたちは,
彼の証しが
真実であることを知っている。」



ヨハネがこの福音書を書きました。

真実の言葉であり,神の言葉です。









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