【嘘か誠か?】
「実は天狗はユダヤ人だった!」
・・・・・まさか。
そう、「まさか」です。
天狗といえば、こんな顔ではないか。
鼻が高くて、赤ら顔。
そして、天狗と言えば、日本の民間信仰の一つで
妖怪、魔物、時として神として恐れ、崇められて来た
架空、伝説上の生き物である。・・・とされて来た。
また、代表的には赤ら顔に高い鼻、その他、山伏(修験者)の姿をし、背中に羽がある姿をしている。
また、ある者(天狗)は、手に天狗のうちわ(打羽=扇子)を持ち、もう片方の手には巻物(虎の巻)を持っている。
まさか、その天狗が「ユダヤ人」!!!
「ユダヤ人が天狗の祖先!???」
とても信じられませんよね。
ところが、、、、ところが である。
それらしき、証拠とユダヤ人との共通点があるのである。
但し、ここで言いう「ユダヤ人」は現在、一般的に言っているユダヤ人ではない。
ここで言う「ユダヤ人」は、旧約聖書(旧ユダヤ教)に出てくるBC17世紀頃のアブラハムの子孫、ヘブライ人(ヘブライ語を話す民族,旧イスラエル人=ユダ族)のことである。
今から3700年以上も昔のこと、
当時ユダヤ人はカナンの地(現在のイスラエル、パレスチナ)に住んでいたが、その後、エジプトに移住した。
しかし、エジプト人に奴隷とされ、それに耐えかねた
モーゼはBC13世紀頃、ユダヤ人を連れてエジプトを脱出し、元の地のカナンへ向かった。
その時、エジプト軍に追われたモーゼはユダヤの神(ヤハウェ)に祈ったら、紅海の海の水が割れ、地面が出た。
モーゼたちはそこを渡り、無事エジプト軍からの追跡を逃れた。
と言う伝説は有名である。
天狗の祖先のユダヤ人とはこの時代のユダヤ人のことである。
現代のユダヤ人の定義は「ユダヤ教に改宗した人」で
血統に関係なくユダヤ人と言われる。
主にアシュケナージ人だと言われている。
この意味において“真のユダヤ人”(旧ユダヤ人、ユダヤ人の母から生まれ、母の血統を守っているユダヤ人)と現代のユダヤ人は厳しく区別されている。
エジプトを脱出したユダヤ人は、当時12部族居たが
その内の10部族はその後の足取りが分らなくなった。
(「失われた10部族」と言われている)
この10部族は世界の各地に分散されたものと思われる。
その中の数部族は数百年から千年以上かけて東に移動し、ついに日本にもやって来て居た、と考えられる。
そして、当時、日本に既に居た縄文人と共存し、ギリシャ時代の文化をもたらし、日本の神話の基礎になったものと考えられる。
ギリシャ神話と日本神話には共通点があり、特に神社の神事はユダヤ教の神事とよく似ている。
実は、神社は渡来人の秦(はた)氏が主な神社の創設に携わり、全国に普及させたものである。
主なものとしては
・松尾大社(701年創建、主祭神:大山咋神、中津島姫命、
神体:松尾山、京都嵐山)
・伏見稲荷大社(713年創建、神体:稲荷山、京都伏見)
・木嶋坐天照御魂神社(別名=蚕の宮、創建不詳701年以前、主祭神:天之御中神、大国魂神、他)
・大避(オオサケ=ダビデ)神社=大酒神社(647年頃創建、主祭神:大避大神=弓月王(ユダヤ人)、秦始皇帝、天照皇大神、秦酒公、春日大神、兵庫県赤尾市坂越)
・広隆寺(603年創建、本尊:聖徳太子、京都太秦)
従って宮司や神社に係わっている人に「はた」の音の
苗字の人が多いのはそのためである。
その渡来人の「秦」氏の祖先が実はユダヤ人で、中国の“秦の始皇帝”の時代(BC247年~210年)に中国経由で日本に渡って来ていたのである。
しかし、大体にして当時は“中国”と言う「国」も「言葉」もなかったのである。
従って、秦国(中国)の方向から来た人、と言わざるを得なかったのである。
※日本書紀によると秦氏の祖先は弓月君(ユミヅキノキミ)と呼ばれる渡来人であったと記載されている。
弓月国は離散した古代イスラエル人が東方に移動し現在のキリギス・カザフスタンの北部に弓月国(三日月王国、新月王国)を建国したと言われている。
キリギス人は今でも日本を兄弟の国として親しみを持っており、言葉の語順も日本語とほぼ同じである。
弓月君は応神天皇(15代天皇)(372年)の時、百済から朝鮮半島での窮状を訴え、難民として日本に帰化を願い出、大人数(127県民=18,670余人とも言われている)が日本に渡来人として移住して来たのである。
その子孫として秦一族が日本で勢力を伸ばしたと思われる。
<大酒神社の由緒>
エジプトから脱出した秦(はた)氏の祖先のユダヤ族は、長い年月をかけ秦国(中国)に流れ着いたがそこからも追われ、朝鮮半島に来た。しかし、そこでも上手くいかず、百済経由で最終的に日本に流れ着いたと考えられる。
従って秦氏は漢民族(中国人)でも韓民族(朝鮮人)でもなく、
旧ユダヤ人(ヘブライ人・イスラエル人)なのである。
「失われた10部族」うち日本に渡来したユダヤ人は“秦一族”以外にも数種族が時代を隔てて233年頃渡来しているものと思われる。
従って、“秦一族”は少し遅れ渡来し(応神天皇の時代283/372年頃と言う説もある)、その子孫(酒公の6代目)である秦河勝(ハタノカワカツ)は飛鳥時代(592~710年)の前後に日本で活躍し、
特に聖徳太子を補佐し、その時代の政治、文明、文化(カタカナ文字・宗教・猿楽)に深く係わっていたようである。
特に、先にも書いたが秦氏が主な神社の創設に携わり、全国に普及させたものである。
それ以前にBC4~5世紀前後に既に渡来していた一族もいるのではないかと推測する。(証拠はない)
日本は神武天皇(初代の天皇)が建国後、今年で紀元2677年(西暦2017年)となる。
それ以前は神話の世界(神代)になる訳である。
しかし、実際には縄文時代(1万~1万5千年前)に縄文人が既に日本に居たわけであり、神話の世界にも神話ではなく日本人が実在して居たわけである。
現に古事記では天地開闢(テンチカイビャク)の初代の神、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)から始まって天照大神、伊邪那岐命、伊邪那美命から初代天皇の神武天皇につながるまでの物語は事実と神話が入り混じり定かではない。
この辺りのストーリーはギリシャ神話とよく似ているところが多い。
その相似性は物語が長すぎるので省略する。
従って、秦一族の以前に別のユダ族が日本に渡来していても不思議ではない。
多分、その以前(BC1000年頃)に渡来人した(ユダ族)が日本神話をギリシャ神話に似せて作ったのではないかと推測させられる。(はっきりした確証はない)
話が大きく逸れてしまった。
何に故、「天狗の祖先がユダヤ人」であるかと言うことであった。
天狗と言えば
東京八王子の高尾山薬王院有喜寺(たかおさんやくおういん ゆうきじ)は、天狗信仰のお寺、また、修験者の修験場として有名である。
↑<高尾山>
↑<高尾山薬王院 有喜寺>
※ここの天狗は飯縄大権現様の眷属(随身)として、除災開運、災厄消除、招福万来など、衆生救済の利益を施す力を持ち、古来より神通力をもつとされ、多くの天狗伝説や天狗信仰があり、神格化されています。
また、高尾山は修験道根本道場として知られており、山伏(修験者)修行が随時行われ、昔は山伏が深山幽谷に籠もって難行苦行を重ね、やがて高尾山の霊気と融合して、呪力、験力を体得して大先達となり、山伏の姿が天狗と同一視されることも多いのであります
ここには天狗や烏天狗像が境内のあちこちに置かれている。
天狗と山伏(修験者)
こちら左<天狗像> そして右は<山伏(修験者)>
天狗と修験者の姿、形が似ていますね。
<修験僧の方々>
天狗と違うところは、背中に羽は生えておらず、皆美男である。
所で話は一寸飛ぶが下の写真を見比べてほしい。
<左は旧ユダヤの聖職者>で<右は日本の修験僧>である。
こちらも、両者、雰囲気も似ていますね。
特に頭に載せている黒い箱が同じである。
これって何か共通の意味がありそう?・・・ですね。
両者の頭の上の黒い小さな箱の中に何が入っているのでしょうか?
実はユダヤの聖職者の箱はフィラクリティと言い、
聖書の一説が入っているそうである。
一方、日本の修験者の箱は兜巾(トキン)と言い法華経の経文が入っているのである。
いやー、これは単純に偶然とは思えませんね。
他の共通点は、ユダヤ人はショウファー(山羊の角笛)を吹き、
日本の山伏は法螺貝を吹きます。
何か共通点が絶妙ですね。
この類似はもはや、単純に「偶然の一致」とは言えないでしょう。
これって、山伏がユダヤ人の真似をしたのでしょうか?
それとも逆にユダヤ人が山伏の真似をしたのでしょうか?
これは先に縷々述べたように縄文時代に旧ユダヤ人が日本にたどり着き、ユダヤ教やユダヤの聖職者の儀式、行儀作法を日本に持ち込んだと考えられます。
従って、ユダヤの聖職者の姿と日本の山伏の様相が似て居て当然であろうと考えられます。
ユダヤの行事や文化が日本に伝わったとされる共通の事象はこの他にも数多くあり、ここではそれをいちいち取り上げることは省略致します。
また、この写真を見比べてください。
<左はユダヤの聖職者> そうして<右は天狗像>である。
何と日本の修験者僧よりも“ソックリ”と言っても良いほど天狗像の方により似ているではないか?
が、しかし、ユダヤと日本では地理的にまるで離れて(8000km?)おり、ユダヤの聖職者と天狗が接触することはかなり困難な事であろう。
最も天狗には羽があるので空を飛んで行った可能性はある。
それにしても、どうやって飛んで行ったのであろうか?
しかし、頭の小箱フィラクリティと天狗の兜巾(トキン)の共通性は、どこかで接触、関連があるのではなかろうか?
実は、大避神社(おおさけじんじゃ)(兵庫県赤穂市坂越(さこし)の宝珠山麓にある神社)。
がその謎を解いてくれそうである。
この神社に1300年前のある面(蘭陵王の面=猿楽のお面)が保存されている。
それは当時、聖徳太子がこの神社の主祭神に似せてこの面を作らせこの神社に寄贈したものだと言う説もある。
大避神社(オオサケ神社=大酒神社)は以前、大闢(ダイビャク=ダビデ)神社と呼んでいた。
大闢は中国語で「ダビデ」を意味する。
「ダビデ」は、まさに旧イスラエルの王(BC1000-BC961)ユダヤ族でソロモン王の父親でもある。
何と、この大避神社は旧ユダヤのダビデ王をその主祭神としているのである。
そして、その子孫である秦河勝も晩年この土地で生涯を終え、この神社に祭られている。
『ここの神社のご祭神はユダヤの神様です。』・・・と
この神社の宮司の生浪島堯さんがそう証言している。
そして、ここにはある井戸がある。
この井戸は旧ユダヤ12部族を意味する12本の石柱で作られた井戸であるそうである。
ここまで来るともう、謎は解けたのではなかろうか?
この<蘭陵王の面>は実はユダヤ人の顔である。
これは、猿楽の「蘭陵王の舞」に用いられた面である。
実は秦河勝(ハタノカワカツ)の顔がこのお面によく似ていたとの説もある。
秦河勝がユダヤ人だとすると、ユダヤ人とこの面が似ていも不思議ではない。
かなり似ているのではないでしょうか。
目の鋭さ、鼻の高さ、顔の雰囲気、似ていますね。
<ユダヤ人聖職者> → <天狗> → <天狗の面>
これで、今まで一連の写真の関連を見ると“天狗発祥の元は旧ユダヤ人につながることが明らかになった”のではないでしょうか。
これを信じるか否かはあなた次第である。
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最もある説によると天狗は今より650万年前に存在していたという説もある。
京都、鞍馬山の鞍馬寺に毘沙門天、千手観世音、護法魔王尊を三身一体として「尊天」が祭られている。
尊天の中の「護法魔王尊」(=サナート・クマラ)とは、650万年前に金星から白熱の炎に包まれ天地を揺るがす轟音とともに、地球に降り立ったもので、その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在であるとされています。
これが天狗の首領だとのことである。
博物館の中にある説明書きには、魔王=サナート・クマラと明記されています。
サナト・クマーラ(Sanat Kumara)このクマーラ→クラマ→「鞍馬」となったらしい。
大体、現在の人類の祖先のホモ・サピエンスがアフリカで誕生したのが約10万年前とされている。
そうして650万年前では二足歩行し始めた猿か猿人か原人分からない時代である。その時代に修験者の服装をした天狗がいるとは考えられない。
この意味において、旧ユダヤ人が「天狗の元祖説」の方がまだ説得力があるのではないでしょうか?
さて、皆さんはどの様にお考えでしょうか?
さて、ウシハク思想(征服、支配)で世界を任されている、ユダヤ―キリスト教ですが、これでは世界が立ち行かなくなることは最初から判っていて、最初から終末が設定されています。そして、その時になれば、日本のシロシメス思想が世界を救済し、地上天国への道を開くことは、各地の予言に示されていると思います。