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偏桃体のなすがまま

どうしてこんなにも翔さんに惹かれるのでしょう。
その理由が知りたくて今日もあれこれ思うのです。

櫻井 翔 世界を、取材する

2012-11-03 | 櫻井翔くん
アメリカ代表選もいよいよわからない状況になってきましたね。

以下、本日放送のNEWS ZERO特別版
“櫻井 翔 世界を、取材する”の内容に触れます。
このエントリーでは個人的な思いはあまり盛り込まず、
番組内容のメモ書きにとどめます。

後日放送を視聴されるご予定の方でネタバレNGな方は、
ご注意くださいませ。












今日のNEWS ZERO特別版は、
アメリカ取材の事なのかなと思ってました。
月曜日のNEWS ZEROと若干内容被るのかなぁ……
なんて思ってたけど、タイトル通りの内容でした。

今まで翔さんがしてきた海外取材のダイジェスト版。
キャスター7年目ともなると、
海外取材も数が増えていて、
時間枠の関係か、かなりのダイジェスト版でしたけども。

できれば放送時間がもうちょっと頂けたら最高ですけれど、
NEWS ZERO SPECIAL WEEKも大いに関係してるのでしょうが
11月3日に翔さんの海外取材をまとまった形で
映像とインタビューという形で届けてくださったのは嬉しい限りです。

ありがたき幸せですね、本当に。

過去と最近の映像を織り交ぜるスタイルで、
先日オトノハでもチラッとお話してくれていた
グラウンドゼロでの様子が流れました。
取材先へ向かう車内で陽光を浴びる翔さんの横顔が凛々しいです。

2012年アメリカ取材(アメリカ大統領選の合間に向かったグラウンドゼロ)、
2009年アメリカ取材(ヤッターマンのプレミア試写会もあった時)、
2010年ロシア取材(24時間テレビ内で放送された取材)、
2010年カナダ取材(バンクーバー五輪)、
2008年北京取材(北京五輪)、
2012年イギリス取材(ロンドン五輪)、
2006年韓国取材(軍事境界線最前線)、
2007年オーストラリア取材(エコウィークの取材・豪州大干ばつ)

これらの映像が駆け足で映り、番組スタート。
長めの時間を割いて流れた映像は
直近の2012年10月のグラウンドゼロ取材、
2006年韓国取材、2007年オーストラリア取材。

オトノハにupしてくれた写真で見せてくれた景色が広がる中、
2009年に訪れた時との大きな変化を口にして驚く翔さん。

濃紺のトレンチコートに短髪で、2009年の訪米よりちょっと大人。
紺を基調にしたネクタイに白、赤、紺の細いラインが入っていて、
アメリカ国旗を意識してるのかな。
トラッドスタイルがよくお似合いです。

現在は9/11メモリアルサイトという記念広場として
再建が進められているグラウンドゼロ。
サウスプール、ノースプールの記念碑に刻まれた
日本人犠牲者の方のお名前を見つけた翔さんが、
「アメリカだけの事件じゃないなと改めて感じる」と語っています。

テロ後に瓦礫の中から発見されたマメナシの木、
サバイバーツリー“生還の木”と名付けられた木を見つめて
「あれだけの事件が合ったのにこんなに木がしっかり立っていて
ちょっと信じられないですね」とお話しています。


Q なぜ櫻井は再びこの場所に足を運んだのか?


翔「2001年に嘘みたいな映画のような映像を見て、
  当時大学生だったんですけど、
  一体何が世界で起っちゃってるんだろう、
  何でこんな事になっちゃってるんだろう、
  知りたいな、調べなきゃなと思ったのが
  報道に興味を持つきっかけだったので、
  今こうしてスーツ着て、ネクタイして
  この場所に足を運んでるというのは
  何か凄い不思議なものを感じますけど」


ニュースキャスターとして原点となるNYで
これまでの道のりをどう感じてるのが聞かれる翔さん。

翔「7年て小学校1年生が小学校卒業しちゃうから
  早かったと言えば早かったですけど、
  ふと冷静になるとやっぱりその20歳位の時に思い描いてた
  ニュース番組、報道番組のその席に座ってる
  幸せさというのを感じますね、改めて。
  本当、最初は報道フロアにおりるだけで緊張しましたね」


Q 何か思い出深い取材はありますか?


翔「一番最初の海外の取材だった38度線の取材は思い出深いですね。
  みんながみんな知る事のできる場所ではないから、
  そこにいる事が出来て、それを伝える事の重みというのを
  同時に感じた瞬間だったかな」


2006年11月に行われた嵐のソウル公演の映像(チラっと)と
北朝鮮との軍事境界線の取材映像が流れた。


翔「取材という事で巡り合う人との巡り合わせみたいな事を
  ちょっと感じた瞬間だったんですよね。
  やっぱり忘れられないのは、彼(20歳の兵士・音楽家志望)は
  任務遂行中だからずっと北朝鮮の方を見て、
  僕がここにいるんだけど、北朝鮮の方を向いたまま
  一言、二言話してくれるんですよね。

  その先に見ている夢っていうのが、一緒だったとしても
  今置かれてる環境の違い、それにかける言葉がなかったんですよね。
  何を出来るわけでもないけれども、
  僕がたまたまその瞬間にお会いし事で、
  その置かれてる現状というものを伝えられたらなとは思ってますけど」


翔さんがキャスターになってから継続して行ってきている
取材テーマの一つに環境問題があり、
2012年5月・トキの生態を取材映像、
2010年5月・沖縄のサンゴ礁を取材映像がチラッと流れる。

このブロックでのメインは2007年のオーストラリア取材。
2006年から2年間続いたオーストラリアの大干ばつの現状を
ジェラルトンという農村地帯の農家のお宅に
ファームステイをしつつ取材した映像が流れた。


翔「やっぱりその対岸の火事を
  対岸の火事じゃなくできたらなっていうのは常々思っていて
  まさにその2007年のロケも
  オーストラリアの小麦粉できませんっていう話だけど、
  いやいや、それ日本でうどんの値段あがっちゃうんだよ。
  あ、身近なニュースなんだって思って貰う
  きっかけになれたらなと思っていたから。

  簡単に言うと、ヤバくない?って事なんだけど(笑)
  「ちょっと見てよ、これ。ヤバくない?これ」
  で、見てる人が「ヤバいね」ってなってくれたらなというか。
  ホント、それしかないんだけど。

  やっぱり面白いのは何か取材って、
  結局のところ人と人の向き合いだったりするから、
  ファームステイの時も僕でいうとマネージャーもいない状態で
  ステイ先のおじさんと夜一緒にお酒酌み交わして
  他愛もない話してみたいな、そういう人間と人間の向き合い、
  距離の縮まり方から出てくるお話とかっていうのは、
  本当に興味深いですよね、なかなか聞けない話が沢山あるから」


もう一つ、翔さんが伝え続けてきたのはオリンピック。
2008年北京、2010年バンクーバー、2012年ロンドン、
現地で開会式や競技を見守る映像や、ボルト選手への直撃取材映像、
ウエイトリフティングの三宅選手へのインタビュー映像が流れた。

2006年9月25日に行われたNEWS ZEROの記者発表会見の映像も
ちょっと流れました(音声なしでしたけど)。


Q 櫻井翔にとってキャスターを務める意味とは?

翔「世の中に関心を持つきっかけ作りができたらなっていうその一点ですね。
  例えばコンサート会場で選挙行ったよっていううちわがあるとか、
  僕があそこに座らせて貰ってる事で、
  耳傾けてくれる人達がいるんだとしたら、
  その人達が何かに関心を持つそのきっかけ作りができたらなっていう、
  こんなボランティアがあるんだ、調べてみようかな、
  今度選挙あるんだ、初めてだけど行ってみようかな、
  何かそういう事が一人でも、一つでも、
  増えたらいいなっていう事かな」



翔さんの思いが一人でも多くの方に伝わりますように。


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