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Sammyの感じたあんなこと、こんなこと。

「世界一、文化度の高い日本猿」

2016-01-05 22:32:00 | うそ(嘘)か まこと(真)か

「世界一、文化度の高いのはここの日本猿」

今年(2016年)は申年。

 従って、当然、年賀状のデザインに猿の写真をデザインしたものが多かった。

中でも、温泉に浸かりうっとりしている写真もかなりあった。

因みにgoogleで猿を検索すると、何と温泉に入浴している猿の写真だらけで

一寸びっくり。

その中から、目立ったものをピックアップし、掲載してみた。

 

何故かどの猿もウットリ良い気分で目をつぶり、中にはグッタリと岩に顔を突っ伏している猿もいる。

全国に何ヶ所か猿が温泉に入る湯治場?があるらしい。

中でも長野県の山ノ内、地獄谷「野猿公苑」の温泉は有名であるようだ。

 

 これはおさるさん専用浴場なのか?

全員、いや、全匹 おサル様ご一同が入浴中である。

でも、中には人間の女性との混浴?! もあるようですね。(^_^)☆

 

更に、最近の猿はどんどん進化し、温泉に入るのみにあらず、喫煙までする猿もいるらしい。

 

 ママ、これで何するの?

 

 極めつけはこの下の写真では無いでしょうか?

ついに、温泉に浸かりながらスマホをするニホンザル!!!まで出てきました。

これは、もう

「世界一、文化度の高いのはここの日本猿」では?

 

(オランダの写真家、マーセル・ヴァン・オースチン氏が日本で撮影)

 


レデイーファストの真実

2015-11-26 16:46:15 | 不思議なこと

 

レディー ファストーの真実

「レディー ファストーLady First」と言う言葉があります。

実に美しい、ジェントルな響きですね。

 

先ず「女性(Lady)を大事に優先(First)、優遇します。」という思想?

グッドマナーですね。

ですから、女性が椅子に座るときはサーット椅子を引き座らせます。

家に入るときは、男性がドアーを開け、女性を先に通す。

そして男性はAfter you(お先にどうぞ)と云います。

これが   Gentlemanである。

また、道路を歩くときは、男性は女性の外側(車道側)を歩き、車等、外敵から女性を守る。

これが男性のEtiquette, Good mannerであるとしています。

こうして、か弱き女性は常に男性から大事にされている・・・・筈でした。

・・・・・

 ところが

「レディー ファストー」の本来の真意は現代の解釈とは真逆でした。

即ち、

(解釈その1)

中世のヨーロッパでは男性は常にライバルや外敵に狙われており、家の中にも暗殺者が

潜んで居り、ドアーの影にも隠れており、ウッカリ家にも入れません。

そこで、女性を先に入れて、女性が大丈夫なことを確認してから、男性が家/部屋に入ったのです。

そうです、女性は男性の盾にされていたのです。

 

 

(解釈その2)

中世の建物は家の中に現代の様に汚物を処理するところがなく、桶等に貯め、適当なときに

窓からその汚物を捨てて居ました。

従って、道を歩いていると家に近い側が、その汚物で汚される可能性が高いわけです。

男性はそれを知ってか、知らずか(いや知って居た確信犯です)、女性を家側に、

自分は外側を歩いて居たのです。

 

 これが中世の「レディー ファストー」の本来の真意だそうです。

嘘か真かは定かではありません。

女性は「レディー ファストー」と聞いてニコッと微笑んでいる場合ではありませんよ。

・・・・・ 

それに対し、我が日本の侍はどうであったか。

侍は女性と歩くときは、女性の十歩前を歩いたそうである。

と言うと

「ほーら、やっぱり日本は男が威張って女性の前を歩いているではないか」

と言われると思います。

然に非ず(さにあらず)。

日本の侍は、もし自分が襲われても、女性と十歩位離れていれば、逃げることも出来、

女性に被害が及ばないように、敢えて女性との距離置き、女性を守ったのである。

どうです皆さん。西洋のナイトと日本の侍とどちらが本当に女性に優しいのでしょうか?

 

 

 

 


花の命は短くて・・・美人薄命・・・月下美人

2015-09-22 12:11:36 | 

花の命は短くて・・・美人薄命・・・月下美人

 今年は9月9~10日と、台風18号が本土に上陸し、各地に大雨をもたらした。

そんな暴風雨にもめげず、

今年も「月下美人」の花が咲いた。

    

 ↓ (一週間前はこんな小さな蕾だった。)

   

 ↓ (開花前日の蕾)

  

台風の雨風が一段と強くなりつつあるにも関わらず、夜の更けはじめる九時ごろより咲始めた。

 

周りの風雨の状況とは全く関わりのないような顔をして、静かに周りに仄かな香りを漂わせながら・・・

誰も見ていないのに・・・

それでも、精一杯、花びらを開いていた。

・・・・・

朝まだ明けぬ三時ごろにその花びらを閉じた。

そうして、朝にはすっかりうな垂れてしまった。

 

実に僅か五、六時間のつかの間の命である。

深夜に咲き、深夜のうちにその花びらを閉じる。

世の人の目に留らぬ間に、その華麗な一生を終わる。

何と儚く、哀れな一生ではないか。

正に『花の命は短くて・・・』 『美人薄命・・・』

その花が純白で、豪華な花びらであるだけに、

人知れず咲き終わるのは実に忍び難い。

一体、「月下美人」自身はそんな生涯をどう思っているのであろうか?

 

人間の世界にも、清く、正しく、美しく、皆に愛されていながら

でも、人目に付かず、それほど賛美も、評価もされずに世を去ってゆく人が

多くいる。

世間の人たちは、そんな人たちをどう見るのであろうか?

「何と哀れな人達だ」と思うか、或いは「実に偉い」と評価するのか、

また、別な評価があるかもしれない。

しかし、肝心なのは本人である。

本人が死の間際に「私は幸せだった。」と言えば、それは、「それで良かった」

のである。

もし、後悔が沢山残れば、その人生は「成功」とは言えない。

その場合は、もう手遅れで、仕方がないので、来世でやり直すしかない。

 では、人生は「長いほうが良い」のか、「短いほうが良い」のか、

これは一概には言えない。

問題は人生の中身、「質」の問題だと思う。

人間の人生(寿命)は長生きしても高々100才~120才位のものである。

地球や宇宙の生命と比べたら、人間の寿命は一瞬の更に一瞬である。

おそらくその存在を認識できない程の短さである。

だから、人生の寿命の長さにはほとんど関係がなく、中身が重要なのである。

歴史に名を残せば人類が生存している限り、何時までも(永遠に近く)語りつがれ、

生き続けることになる。

どちらの道を選ぶかは貴方次第である。(2015.9.22)

 


“右”って どっち?

2015-07-28 13:12:36 | 

 

世の中には普通何気なく使っている簡単な言葉でも、その本当の意味を分かってなく使っている場合がまま有る。

その一つが「右」と言う言葉である。

今更、右も左も分からない人は居ないと思われる。

では、“右”って どっち?と改めて聞かれると、皆さんはどう答えるでしょうか?

様々な答えが帰って来そうですね。

①右は「左」の反対側さ。・・・ウーム、では「左」はどっち?となりますね。

②「そりゃ、箸を持つほうが右さ」・・・昔は良くそう言っていましたね。

 でも最近は左利きの人が結構多い。箸では決着が付きませんね。

③ある欧米人が言いました。「ナイフを持つ側が右で、フォークを持つ方が左さ」

 いや、これも箸と同じく、左利きには逆になりそうですね。

では、では辞書ではどう定義しているのでしょうか?

辞書なら明確に定義されてる筈・・・!

④広辞苑(岩波書店):「南に向かって西の方向」

⑤国語辞典(集英社):「北を向いた時東に当たる方向」

⑥大辞泉(小学館):「東に向かって南の方向」

⑦新明解漢和(三省堂):定義なし

辞書の定義、東西南北の方位を用いた定義の仕方に一時、ナルホドと納得しました。

それにしても、何故、各社で基準の方位が南、北、東 とバラバラなのでしょうか?

どれも同じことを言っているのに、基準としている方位が異なるのは何故でしょうか?

何故それが基準の方位になるのか、その根拠、理由が聞きたくなりますね。

それにしても、その人が見知らぬ町中で、星も出ていない夜だったり、或いは地下街に

居た時には、どうやって東西南北の方位を知ることが出来るのでしょうか?

これでは右や左を知る前に先ず“東西南北”が分からない。

あまり実用的な定義ではないのではないだろうか?

更に、問題なのはその人がどんどん北上し、北極点に達した時、また、逆にどんどん南下して

南極点に達した時、北極点では全ての方角が“南”となり、逆に南極点では全ての方角が“北”

となり、辞書の定義では「右」を判定することが出来ません。

更に、さらに昨今は宇宙時代、地球から離れ、宇宙に飛びだった宇宙船の中では

東西南北をどう判断するのでしょうか?

東西南北と言う言葉さえ意味を成さなくなるかもしれません。

ウーン、では、どうように定義すれば良いのでしょうか?

答えは簡単でした。

数年前 『舟を編む』という映画がありました。(原作:三浦しをん、映画監督:石井裕也)

この中で、見事に明解に解決してくれました。

それは、

『“10“と言う数字を書いてごらんなさい。その“0”のある側が右です。』

何と明瞭、簡単、完璧な定義ではありませんか。

これなら、夜でも昼でも、知らない町でも、地下街でも、北極点南極点でも、宇宙の何処でも、

10と書き、10と読める人であれば誰でも何時でも「右」を知ることが出来ます。

めでたし、メデタシ\(^o^)/

 


tutuji

2015-05-04 10:46:24 | 

近所の公園のツツジです。

ところで、ツツジとサツキの見分け方?どうすれば良いの?