縄文人、弥生人、古墳人と並ぶ日本人の四大源流で、現代でも人口の30%を占めるのが「タカス族」です。その渡来経路は、ユーラシア大陸のステップロードを経て、満州と朝鮮の境界をなす豆満江河口の羅津から日本海を渡る海路であるが、上陸地は津軽海峡を抜けて太平洋岸を南下した小名浜(福島県いわき市)であったというのが京都皇統の伝承である。

 

古代エジプトでミイラづくりと並行的に生体整形術を行っていたフルリ人の一派タカス族が、世界に拡散していく過程で各地に伝えたのは、ミイラづくりから発生した防腐術、および臓器製薬、整形術から発生した外科術と麻酔術である。

 

また、頭骸骨の変形さえ含む生体整形が古代エジプトで行われた理由は、タカス族の特性である血統維持のための近親相姦にあり、そのために生じた骨の奇形を外科手術で矯正したようである。

 

本来、自然還元主義の縄文文化には大型墳墓の思想はなかったが、騎馬王朝への転換を図った欠史八代王朝(葛城王朝)は、騎馬王朝に対抗しうる巨大な天皇墳墓を急遽導入する。その設計思想を日本に伝えたのがタカス族であった。また、巨大墳墓の主の古代天皇や豪族をミイラにしたのは言うまでもない。

 

しかし、飛鳥時代に火葬が普及し巨大墳墓の建造が流行らなくなったため、タカス族の生業は以降は生体処理に転じ、一つは外科医としての麻酔、鎮痛、消毒を、もう一つは人体臓器を用いた臓器薬品の開発・製造となった。

 

人胆を主原料にする「浅山丸(あさやままる)」は、江戸伝馬町の大牢に勤めた「首切り右衛門」が製造した秘薬であるが、山田右衛門はタカス族とみて間違いない。

 

タカス族が古来本拠としたのは三陸地方の岩手県奥州市水沢であるが、この地から青森にかけての南部地方に「一戸」から「九戸」まで連番の地名がある。その由来については諸説あるが、「戸」とは律令制の制度としての家族のことで、それまで戸籍がなかった南部地方の住民を戸籍に編入して「編戸の民」とするために、地域ごとに分けたグループに一から九までの数字を振ったのである。水沢を出身地とする有名人には後藤新平と高野長英、椎名一族らの水沢キリシタンがいる。

 

この他のタカス族としては、西郷、大山厳を除く大久保利通や上原勇作らの薩摩下士連合、加藤清正らがいる。

 

一方、各地には「余部(あまるべ)」があるが、これは本来「余戸」が正しい。それは、その地域の戸数に関わらず、稲作を本業としない手工業民その他の技術民の集積地を意味したと考えられる。つまり、余戸はタカス族ないしタカス集団の住地と考えるのである。

 

例えば、京の東三条に「天部村(あまべむら)」という土地があるが、そこの住人は“きよめ”と呼ばれる牛馬の死体処理や皮革製造、下級警察業務を本業としていた。これもタカス集団の構成員で、「余戸村」が転じて「天部村」になった。

 

天部村が「エタの水上」と呼ばれて、京の“河原者”のなかでも最も有力な村とされるのは、江戸時代に卑賤身分として定められた「エタ(穢多)」のなかで、タカス集団内での立場や利権争いに決着をつける裁定者の地位を幕府に認められていたからである。

 

周藏が栽培地を広げている府中や奥多摩よりも野方村上高田の方が、平地のためか育ちが良好で、罌粟の丈はしでに四寸にも伸びている。ただ、藤根の言っていたとおりで、この辺の人間は確かに人が悪いと周藏は思った。何かトラブルがあったからであろう。

 

この土地はもと徳川の直参旗本の知行地で、しかも桶屋の細井家が秘密の薬事御用に携わっていた土地であるから、他所からくる者には気を許さなかったのであろう。

 

秘密の薬事御用とは“裏の桶屋”、すなわち、“偽装葬儀ないし変則葬儀”を行う「特殊葬儀屋」である。セレモニーとしての葬儀は多くの専門職能を組み合わせたシステムだが、“偽装葬儀ないし変則葬儀”の場合、そのカナメの職能は、❶解体・臓器処理職(タカス)、❷アヘン取り扱い職(花屋)、❸現金輸送職(トランスポーター)などである。

 

彼らを必要に合わせて招き、差配するのが“裏の桶屋”で、自身にも特有の職能があるが、それは死体の解体と臓器処理で、古代エジプトでミイラの製造に携わっていたタカス族の技術と知識を引き継いだ末裔が“裏の桶屋”なのである。

 

解体(腑分け)・臓器処理とは、人脳、人胆、心臓を取り出して竹の皮に包み、地中にしばらく埋めてから水分を抜き、乾燥して薬にする作業である。江戸時代には台東区花川戸と埼玉県秩父に解体作業場があって、この辺の人は秩父まで行き作業をしていたそうだが、臓器製薬の秘密を守るために近親結婚となったという。

 

解体・臓器処理職以外では、解剖した遺体から内臓を取り出して現金や禁制品のアヘンを入れて縫い合わせ、目的地に運んでいた。

 

が、裏の桶屋が“裏”と言われ所以は、アヘンを用いて仮死した生体を棺桶に入れて運び、目的地で蘇生させる場合があるからだ。実際、終戦時に満州で自決したとされている國體特務員・甘粕正彦(元陸軍憲兵大尉で満州映画理事長)は、この方法で帰国し、東京で生涯を閉じた。

 

 

 

(次回に続く…)

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