「わしは原爆を受けとるんだ」 最後の務め、広島でカープ優勝に感涙
2025年8月9日 05時10分 (8月9日 10時40分更新)
【連載】命までは取られん 濃人渉の野球道
1961年、過酷な連投でチームを支えた中日の新人権藤博に、指揮官は「命までは取られやせん」と告げた。その名は、濃人渉。日中戦争で大けがを負い、広島では原爆に遭いながら生き延びた。自身の経験から、選手に求めたのは戦う心。2度も九死に一生を得た命を野球にささげた男の足跡を追う。
(1)白球追う日々に襲いかかった時代の嵐 権藤に連投指示した中日の指揮官、その人生の足跡をたどる
(2)原爆「屋根の下敷きになって、はって逃げた」 2度目の九死に一生、野球観に影響
(3)「選手全員に根性をうえつけたい」厳しい指導でチームに亀裂 道半ばで絶たれた監督生活
(4)「権藤頼み」から「3本柱」へ、選手への言動も変化 アメリカで学んだ指導理論で優勝つかむ
(5)「わしは原爆を受けとるんだ」 最後の務め、広島でカープ優勝に感涙(この記事)
テレビを見つめる濃人渉がつらそうな表情で押し黙り、おえつを漏らした。まだ東京に住んでいたころに目にした「原爆の日」の特集番組。授乳中に被爆した母親が、頭部のなくなった赤ちゃんを抱いたまま亡くなっていたという内容だった。濃人の長男宏(85)の妻、玲子(79)=広島市=は、あの光景が忘れられない。「それほど原爆は重い体験だった」と感じた。
ロッテでスカウトをしながら、1973年に広島市南区に戻った濃人。被爆者健康手帳を所持していた。人知れず原爆の記憶、原爆症の恐怖と闘っていたのかもしれない。...
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