原爆「屋根の下敷きになって、はって逃げた」 2度目の九死に一生、野球観に影響
2025年8月6日 05時10分 (8月9日 10時37分更新)
【連載】命までは取られん 濃人渉の野球道
1961年、過酷な連投でチームを支えた中日の新人権藤博に、指揮官は「命までは取られやせん」と告げた。その名は、濃人渉。日中戦争で大けがを負い、広島では原爆に遭いながら生き延びた。自身の経験から、選手に求めたのは戦う心。2度も九死に一生を得た命を野球にささげた男の足跡を追う。 (この連載は小坂亮太が担当します)
(1)白球追う日々に襲いかかった時代の嵐 権藤に連投指示した中日の指揮官、その人生の足跡をたどる
(2)原爆「屋根の下敷きになって、はって逃げた」 2度目の九死に一生、野球観に影響(この記事)
(3)「選手全員に根性をうえつけたい」厳しい指導でチームに亀裂 道半ばで絶たれた監督生活
(4)「権藤頼み」から「3本柱」へ、選手への言動も変化 アメリカで学んだ指導理論で優勝つかむ
(5)「わしは原爆を受けとるんだ」 最後の務め、広島でカープ優勝に感涙
道路の真ん中を路面電車が走る広島市南区の「皆実町二丁目」電停付近。広島ガスの本社や大型商業施設があり、その裏手に「京橋川」が流れる。80年前、濃人渉はこの付近で地獄絵図を見た。
1945年8月6日午前8時15分。父が営む製材所の事務所を出て、作業場にいる時だった。空がピカッと光り、爆風とともに...
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