「選手全員に根性をうえつけたい」厳しい指導でチームに亀裂 道半ばで絶たれた監督生活
2025年8月7日 05時05分 (8月9日 10時37分更新)
【連載】命までは取られん 濃人渉の野球道
1961年、過酷な連投でチームを支えた中日の新人権藤博に、指揮官は「命までは取られやせん」と告げた。その名は、濃人渉。日中戦争で大けがを負い、広島では原爆に遭いながら生き延びた。自身の経験から、選手に求めたのは戦う心。2度も九死に一生を得た命を野球にささげた男の足跡を追う。 (この連載は小坂亮太が担当します)
(1)白球追う日々に襲いかかった時代の嵐 権藤に連投指示した中日の指揮官、その人生の足跡をたどる
(2)原爆「屋根の下敷きになって、はって逃げた」 2度目の九死に一生、野球観に影響
(3)「選手全員に根性をうえつけたい」厳しい指導でチームに亀裂 道半ばで絶たれた監督生活(この記事)
(4)「権藤頼み」から「3本柱」へ、選手への言動も変化 アメリカで学んだ指導理論で優勝つかむ
(5)「わしは原爆を受けとるんだ」 最後の務め、広島でカープ優勝に感涙
先発投手が完投した翌日に救援する。今では考えがたい連投が権藤博(86)=名古屋市=の日常だった。69試合に投げて35勝を挙げた中日1年目の1961年。指揮を執った濃人渉は、権藤の肩の痛みをトレーナーから伝え聞くと、こう返した。「たるんどる。命までは取られやせん」。戦禍をくぐった経験が、手厳しい言動ににじんだ。
選手から指導者の道へ。熱血漢の始まりは九州の地だった。...
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