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うんざりしている。生成AIに。

掲題のとおりである。

ネットで見かけるイラストのほとんどが、AIによって生成されたものに置き換わってしまった。だいたい同じテイスト、同じ構図。一見すると写真のような画像も、実際は生成AIで出力されたCGだったりする。

そういう画像を見かけるだけで、どんな記事も、どんなSNSのポストも、読む気が失せる。

今はまだ、画像を目にしたときに直観的に「これはAIだな」と理解することができるが、このままAIの性能が向上し続ければ、AIが作った画像なのか、人がつくったり実際に写真に収めたものなのか、数年経たぬうちに区別がつかなくなるだろう。


より深刻なのは画像よりもテキストのほうで、このNoteしかり、ニュース記事しかり、AIが書いたものなのか人間が書いたものなのか、もはや判別不可能な段階にきていると感じる。

わたしがよく読んでいるとあるブログがあるのだが、そのブログの執筆者はお世辞にも文章が上手とは言えなかった。しかし、文章・論理の破綻や冗長さがむしろその人柄やテーマに対する思いをあらわしているようで、わたしは好感をもって読んでいた。

そのブログの文章が最近になって突然、とても整理された論理的な文章になった。新しいものはなんでも試してみるタイプの人なので、おそらくブログの執筆にAIを導入したのだろう。

書いている内容やその着眼点は以前と変わらず興味深くはあるのだが、文字の隙間から滲み出てくるような文章の迫力は失われてしまった。
そのブログを積極的に読もうという気持ちが、わたしの中から失われたのを感じた。


「これも、どうせAIがつくったんだろう」という感覚は、わたしたちの文学や芸術に対する感性を、ある種の麻痺状態に陥らせている。

「このエッセイは鋭い感性で書かれているな」とか、「このYoutuberの企画は発想がユニークだな」とか、わたしたちは「面白い」という感覚の基準の背景には常に、その作品をつくる「人」がいることを前提にしてきた。

しかし「この作品はもしかしたらAIがつくったものかもしれない」という疑念をあらゆるテキストやイメージ・映像作品に対して抱くようになったことで、わたしたちは今まで自分たちの中に持っていた「面白い」という価値基準自体をそのまま信じられなくなってしまっている。

わたしたちがごく当たり前におこなってきた、その作品以上に作者を好きになり、作家の新作を待望し、作風の変化を敏感に感じ取ったりする、という楽しみ方が出来なくなることに、言いようのない歯がゆさ、もどかしさを覚えているのである。

わたしたちは21世紀になってまた〈作者の死〉にうろたえているのかもしれない。


新しいように見えて、じつはきわめて古典的なできごとだ。

20世紀前半、ヴァルター・ベンヤミンは、写真や映像などの「複製技術」によって作り出される芸術の登場が、従来の絵画や彫刻など「今、ここにしかない/ここでしか見られない」ことによってその価値を担保されてきた芸術の在り方を、大きく揺さぶることを指摘した。

美術館やギャラリーに行かなければ見ることのできない芸術作品は、あたかも宗教施設を礼拝するかのように鑑賞されていたのに対して、写真や映像は、ある作品や画像などを、いつでも、どこでも、だれでも、アクセス可能にした。

ベンヤミンは、従来の芸術が持っていた「今、ここにしかない/ここでしか見られない」性質を「アウラ」と呼び、複製技術によって従来の芸術はその「アウラ」をはぎ取られた、という趣旨の指摘をしている。


「アウラ」の剥奪によって、おそらく人々の感性は大きく変わったのだろう。

どこか遠い異国の美術館に収蔵されている絵画も、憧れている俳優やロックスターも、写真に収めてプリントすれば、自室の壁に貼っていつでも眺めることができるようになった。

多くの人、特に芸術の世界から隔離されていた大衆にとって、芸術を自分たちの生活世界に引き寄せてくれる複製技術は、歓迎すべきものだったろう。

一方、従来の芸術の在り方に慣れ親しんでいた人々、貴族や知識人・芸術家などのサークルの中の人々にとっては、複製技術の登場は嘆かわしいものだったのではないか。

「展示室の薄暗い環境で見なければその芸術の本当の価値はわからない」、「写真では、油画の表面のテクスチャやその印影が楽しめないではないか」とか、いかにも言っていそうな気がする。

だからこそベンヤミンは「複製技術時代の芸術」という論文で、複製技術のもたらす価値にあえて光を当てたのだろう。


この感覚はわたし自身の幼少期にも覚えがある。

2000年の前後、ハリウッドの大作映画で、CGが大幅に活用された作品が一挙に登場した。代表的なものだとスピルバーグの「ジュラシックパーク」、当時の人々にとってインパクトが大きかったのは「スターウォーズ」のエピソード1~3だろう。

CG登場以前につくられたエピソード4-6の、チープさとともにあった「特撮感」が失われ、コンピュータで描かれた未知の惑星風景や宇宙人のグラフィックは、当時の大人の目には奇異なものに映ったらしい。

自分の両親が、金曜ロードショーで当時の映画を眺めながら、「これもどうせCGなんでしょ」、「実写と比べるとなんか迫力ないよね」と腐してたのをおぼえている。

当時のわたしは小学生だったので「別にCGでも面白いんだからいいじゃん」とひそかに反抗心をおぼえていた。「デジタルネイティブ」と最初に言われた世代であるわたしにとっては、映画にCGが使われているのは当然のことだったのだから。

もちろん、2000年代初頭のCG技術が未成熟で、現在のCGと比べるとだいぶ貧弱な表現だったのは間違いない。

しかしそれよりも、当時の大人にとっては、従来自分たちが映画を見るときに前提としていた「生きている俳優や実際の風景によって構成された映像である」という価値観をCGがなし崩し的に壊してしまったことに、ある種のショックを覚えていたのだと思う。


あの当時の両親の気持ちは、今なら少しは理解できるような気がする。
当時の彼らの感覚は、今のわたしが「この文章/画像もどうせAIが作ったんでしょ」と、うんざりしながらスマホを眺める感覚と同じだろう。

あれから25年近く経った。
今の時代に「『デューン 砂の惑星』はCGばかりで迫力がない」とか、「今のディズニー映画はCGだから感動できない」とかいう人を見かけることがまずないのは、CG技術の進歩の成果であると同時に、四半世紀かけてわたしたちの感性がCGに慣らされていった結果だろう。


同様に、AIの登場によるこの感覚も、おそらく10年くらいの単位で徐々に薄れていく。

AIを使った優れた芸術作品が生み出されるたびに、AIはわたしたちの感性を上書きし、作品の背景にAIがいることを当然のように考え、やがて違和を覚えていたことすら忘れてしまうだろう。

今の子供たちの目には、AIによる表現に違和感を覚える大人たちの感性のほうが、奇異に映っているのではないだろうないか。

かつて人々が写真や映像の複製芸術を歓迎し、幼少期のわたしがCG映画をごく自然に楽しんだのと同じように、子供たちはAIの存在を当たり前のものとして受け入れるだろう。

わたし自身もいち早く、AIにうんざりしてしまうこの感性から卒業したいのだが、すでに頭が固くなりはじめているわたしには、もう少し時間がかかりそうな気がしている。


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