ラコステの国旗ポロシャツ

 ラコステは近年、国旗をモチーフにしたポロシャツを販売している。
 このデザインは時折マイナーチェンジしており、今でこそあの胸元のワニの色が緑でなく青・赤・白になったり星条旗の色合いになったりというその程度であって、「ああ、よく見れば国旗のデザインなのでございますね」というだけの慎ましやかなデザインになっている。
 しかし以前はポロシャツ全体でユニオンジャックを表していたり、緑地の生地のうえに胸元に地球がデカデカとあしらわれたりと、なかなかに主張の激しいデザインだったのである。

 こともあろうに、ぼくはこの主張の激しい時期の国旗モチーフポロシャツをなんとなく買ってしまったことがある。8年前だ。しかも選んだのは日の丸デザインである。「ぼくが他国の国旗を着て歩くのもおかしかろう」と思ってこれを選び、買った時は(なぜか)まったく気にならなかったのだが、いざそれを着て外を歩こうとすると、急に冷静になった。

問題のポロシャツがこれです。(https://www.lacoste.jp/products/PH6513)

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 確かに、星条旗やユニオンジャックが描かれた服や帽子などを着けて歩いている人は、大多数ではないものの、そこまで珍しくはない。だが日の丸となると話は別である。これを身に着けて表を歩けば、途端に“極端に偏った思想の持ち主”として見られるのではあるまいか。現代日本で、サッカーワールドカップの時期でもないのに日の丸を着て歩くというのはかなりの少数派であろう。なんでもっと早く気が付かなかったのか。

 一度、他者の反応を確認すべく、この日の丸ポロシャツを着て大学に行ってみたことがある。上掲の画像のように、ポロシャツの前面の真ん中に赤い丸がドンとあるわけではなく、白いポロシャツの向かって右半分に大きめの赤い半円があしらわれ、そこで円が途切れているかのように見えるデザインだ。ために、もしかしたら一般の方々にはこれがすぐに国旗とはわからないのではないかという僅かばかりの疑念もあって着てみたのだが、実際には周囲の度肝をめちゃくちゃに抜きまくってしまったし、何人かに面と向かって「おい、どうした?」と訊かれた。まあそうなるわな。

 この一件は学内にほんの一瞬だけ衝撃を与えたが、「彼はいつも様子がおかしいのだから、様子のおかしいことをしても、別におかしくない」と受け止められたらしく、わりとその後の周囲の対応は普通だった(気づかなかっただけで「くそやばい」と影で言われていた可能性はある)。

 帰宅後、日の丸ポロシャツをエマールで洗濯して、丁寧に畳んでタンスの奥にしまいこんだ。様子がおかしい人とみなされるのは構わないが、万が一にも“極端に偏った思想の持ち主”と見られ続けることを恐れたのだ。

 1年経った。だれもが予想しなかったことだが、東京が2020年夏季オリンピック・パラリンピックの会場都市に選ばれたことが発表された。2013年9月のことである。

 折しもぼくは枕草子ゼミの合宿で京都の旅館にいた。朝、男部屋の連中がやいやいうるさいので目が覚めると、「トーキョー」「わああああああ」という、あの発表時の場面がテレビで繰り返し放映されており、「起きたか? 東京オリンピックやるんだってよ」と声をかけられたので、寝ぼけているのかと思ってしまった。その後の合宿におけるゼミ生同士の会話は、課題のことなどほとんど忘れ、「なぜ東京で……????」という話題に終始していたように思う。

 合宿が終わり、東京に帰る東海道新幹線の車内でぼくは考えた。「今ならこの狂乱に乗じて、あの日の丸ポロシャツを着ても『つきづきし』く思われるのでは?」と。

 「つきづきし(付々し)」というのは枕草子を読む上で非常に重要な観念で、一般には「いかにも似つかわしい」「ふさわしい」さまを指す。清少納言はとにかくつきづきしくあることを良しとする。わかりやすいところでいえば、夏は史上最強に暑ければいいと思っているし、冬は空前絶後の寒さのほうがいいと思っている(実際にそう書いている)。

 東京オリパラの開催が決まった夏に日の丸ポロシャツを着るというのは「つきづきし」以外の何者でもあるまい、と自信満々で1年振りに着てゼミに行ってみたが、周囲の反応は「おい、どうした?」であった。

 現代日本で日の丸を着ることのアレさを改めて認識させられ、この服はもう二度と着ることはないだろうと思った。にもかかわらず、なにせそこそこの値がしたものだから捨てるに捨てられず、デザインの主張の強さゆえに売るに売れず、日の丸ポロシャツはタンスのこやしとなった。


 かくして6年が経った。ぼくは学生ではなくなり、嫌々ながら労働者になっていた。

 2019年9月、表参道にラコステの公式古着店が期間限定でオープンし、テキスタイルブランド「YUKI FUJISAWA」を展開する藤澤ゆき氏が、客が持参したラコステの古着に箔押しを施すサービスをその店でしてくれるという報に接した。

 服の大量生産・大量廃棄が問題となるなか、古着に金箔もしくは銀箔の箔押しをすることで、「単なる古着のリメイクではなく新しい価値をファッションとして高める」ためのラコステなりの取り組みなのだという。

 真っ先に思い至ったのは、当然、日の丸ポロシャツのことだ。なんといってもぼくにはあの服を飼い殺してしまったことへの自責の念がある。他の人(サムライやニンジャなどのジャパニーズカルチャーが大好きな海外の方とか)の手に渡っていれば散々着倒してもらえたかもしれないのに、ぼくの手に渡ってしまったばかりに、あのポロシャツは7年間で2回しか着られてないのだ。

 どうやら箔を施す場所は選べるようだ。ぜひ首元近くに、襟に箔押ししてもらおうじゃないか。日の丸と金色の組み合わせは、「金メダルを授与された日本の選手」のイメージを周囲に容易に抱かせることであろう。

 もっともスポーツから縁遠い人種のひとりではあるが、その男に長年所有されてくれた日の丸ポロシャツへの最期の供養として、金メダルを授与してあげたいと思うに至ったのである。

 当該店舗にそのポロシャツを持って行って申し込みを済ませた。数ヶ月後、藤澤ゆき氏の手によって金箔を押されたそれは無事に返ってきた。もう二度と着ることはないと決めたつもりだったが、このポロシャツを着て来年のオリパラの開会式と閉会式を観ようと思った。そしたら、今度こそお別れしよう、と。

 できあがったポロシャツがこれです。アイロンしてない。

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 ところが、また年が明けて2020年を迎えると、ご存知のようにオリパラは(今のところ)延期となった。手元には金箔を押された日の丸ポロシャツがまだある。着る機会も(今のところ)延期となった。あーあ。では来年2021年にぼくがこれを着て開会式・閉会式をまだ観たいかというと、どうだろうねえ。そもそもまじで開催しようとしてんの? 

 それはともかくとして、この服をよくよく見ているうちに、果たしてこれは本当にオリパラにふさわしい服なのか、という疑念が生じた。そこで、最新のオリンピック憲章(2019年版)を確認することにした。
 第1章【オリンピック・ムーブメント】の第6条には、「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない(The Olympic Games are competitions between athletes in individual or team events and not between countries.)」とあった。
 とすれば、選手でもない個人が、たまたま同じ国籍であるというだけの理由で、なぜ自国の選手を応援するのだろうか?

 たとえばぼくがイチロー選手の大ファンで、とにかく彼が走り、打ち、投げるさまを見るだけで絶叫するほど興奮するというのなら、彼がどの国(地域)のどの球団に所属していようと、彼の所属する球団を応援するだろう。
特定の監督の采配が好きならば、その監督のチームの試合を応援するだろう。
 しかし、特定の個人の所属如何によらず、単にその集団のみを応援するのはなぜか? 

 と思って、地元のスポーツチームを長年応援している同年代の友人に上記の疑問をぶつけ、「個人ではなく、チームそのものを応援するに至る動機はどこにあるのか?」と訊いてみたところ、次のように答えた。

「毎回の試合を見るのは、そのチームの辿るストーリーの続きを見ていたいから。例えるなら連続ドラマを見てるような感覚」
「自分と同じ共通項(この場合は地域)を持つ選手たちに自己を投影しているのかも。選手たちが努力している姿を見て、そこに勝手に自分の人生を乗せて、まるごと応援しているのだ」

 盲を啓かれた。

 ストーリー。そうか。物語。物語を追っているのか。スポーツの物語性、チームの物語性を見出しているのか。そしてそこに自意識を投影し、しかもその物語は現在進行形で更新されていく。ネバーエンディングストーリーだ。しかもその物語をファン全員で共有し、それぞれが勝手に人生を投影している。そりゃ熱狂するわ。自分の無知を恥じた。

 人間が物語性を求めるのにはさまざまな理由がある。そのなかでも、同時代の人間に物語性を見出すのは、いうなれば人生の追体験だ。他者の人生を生きることはできないが、他者の人生と自分の人生を勝手に重ねることはできる。また、重ねなくても、他者が放つ熱量(≒人生)に接することで、自分の人生を相対化することができる。そして、個人ではなくチーム全体を応援することでファンの絶対数も増え、感情のうねりを共有しやすくする。スポーツチームを応援することの眼目はここにあると認識した(※個人の感想)。

 ぼくもいずれ特定のスポーツの特定のチームに物語性を見出してみたい。それが出来た時のために、やはりこのポロシャツは取っておこうと考え直した。2013年以来一度も袖を通していなかったが、来たるべきその日の前に、一度自室の鏡の前で試着してみることにした。

 その時までぼくは重要な点に気が付かなかった。これを買った時のぼくは今よりも10キロ近く痩せていたという点である。しかもポロシャツはかなりはっきりと体型が表れやすい部類の服だ。鏡に写ったのは、非常にアレなことになっている自分の姿であった(特に腹が)。

 すぐさまポロシャツを脱ぎ、ふて寝した。もし、物語性を見出せるようなやせる方法があれば教えてほしい。それを試す。

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ラコステの国旗ポロシャツ|松井鍵人
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