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美智子さんの婚約会見のドレスは3日で仕立てたナイロン製!①

2017年11月03日 | 美智子さんについて

1958(昭和33)年12月21日号の「週刊読売」に、初参内および婚約会見した日(同年11月27日)の正田美智子嬢の服装について、多方面から批判が出ていることが7ページの長きにわたって詳報されている。

(参照:自宅前の美智子さんの画像
  
(参照:美智子さんの婚約会見の画像


この時の服装については、手袋が短かったとか、その指摘が平民出身の美智子さんへのいじめの端緒だったとかいう記事が今もしつこくあるが、実は必ずしも手袋が問題だったわけではなく、むしろ「衣装づくりのドタバタぶり」「ドレスの材質」、更には、にわかには信じられない「マナー違反」まで、デザイナーや識者が名前を出してはっきりと批判している。



◆とんだ醜態とナイロン製生地◆
       


(以下「」内、週刊読売 昭和33年12月21日号p12~p18より引用)

「美智子さんは、はじめ皇太子さまの『身一つでいいから』というお言葉を丸のみして、
参内にも黒のスーツをきていくつもりでいたところ、それを知った宮内庁が驚いて、
『参内には黒色の服装はいけない。また、生地は必ず絹を使用するよう』と指示した。
あわてた美智子さんは早速、前記のように横浜に飛んで生地を買いもとめ、(それでもけっきょく、絹ではなくナイロンだった)デザイナーのところに持ち込み、特急仕立てを依頼した。これが23日のこと。
参内までには4日間しかなかったわけである。」


       
(美智子さんの結婚の決意は11月初旬(当時の各社報道)、宮内庁への正式受諾は11月13日(昭和天皇実録 第12 p550)で、この27日までには、少なくとも2週間の時間があったわけである。)


宮中に参内するのに、直前まで礼装の用意すらしていなかったという「われわれもちょっと首をかしげざるを得ないような」「当の美智子さん自身の考え方」に対し、「あまりにも平民的だった?」と痛烈な小見出しまでつけている。


尚、記事中、「今度の参内服は、なんとたった四日間で仕立てられた」と書かれているが、
会見当日27日の朝日号外に、このドレスを試着して、マリアベールまでかぶった美智子さんの写真が掲載されていることを考えると(正田家に出入り自由だった同社の佐伯晋記者が、邸内で撮影)、衣装は遅くとも前日26日までには届けられており、製作日数は、実質3日とみるべきだろう。


(参照:マリアベールをかぶった朝日新聞号外写真  直後の週刊朝日にも再掲された。)




◆仕立てたのは行きつけのMさん◆

 


こうして3日ほどで出来上がった美智子さんの昼間の正装のカクテルドレスは、

「ゾウゲ色でシュス目の四角なドット[水玉]模様のナイロン・タフタで、エリはV字型に切りこみ、ウエスト八本の重ねハコヒダというデザイン」。

この衣装の仕立てを引き受けたのは「都内港区麻布のデザイナー〇〇 △子さん(以下、名字のイニシャルから”Mさん”)」で、これともう一着、東宮御所訪問用の衣装も引き受けている。
「仕立て代は、いずれも六、七千円だという」。

記事では、製作者本人を訪ねてインタビューし、仕事場での彼女の様子を写真に大きく掲載している。

同誌前号(p69)にも出ており、美智子さんの服を作り始めて10年以上の55歳。(当時はまだ、既製服が普及していない)

週刊女性(同年12/21号p11)によれば、美智子さんの母・富美さんとは雙葉高女の同窓だそうだ

服飾関係の人名録・事典等をちょっと調べてみたが見当たらず(雅子妃の婚約会見時の衣装デザイナーは掲載がある)、おそらくさほど名のある人ではないだろう。

さて、この“行きつけのマリー洋装店”に突貫工事で注文した衣装、様々な批判があるが、記事はまず、こうしたドタバタの帰結として生じた大きな服装上の失態から書いてある。
(この失態が後年、曲解されて手袋事件と言われるようになったようだ。)



◆「礼装の常識破った短いソデ」◆


主題は手袋ではなく、実はソデ丈のほうである。

「まず問題となったのはワンピースの袖の長さである。長手袋をして正装した場合には、
ヒジの素肌が露出してはならないことは礼装の常識だが、美智子さんの場合、テレビでもはっきりわかるほど、ソデと手袋の間があいてヒジが見えていた。」


美智子さんの会見をテレビで見ていた明仁皇太子も、
「『あっ、腕が出ている』とかたわらのご学友をかえりみておっしゃったという。」

(宮内庁に対し、美智子さんへの服装についてのアドバイスと配慮に欠けたと皇太子が苦言を呈したことが、会見当日の読売夕刊に出ている。)

では、なぜみっともなくヒジが見えるほど袖が短くなったのだろうか?



◆生地の分量をケチったために・・・・◆

              

仕立てたMさんによると、
「手袋は宮内庁から指示してきた寸法よりすこし長めに作ったくらいで、短かったのはソデタケのほうだ、とのこと」
しかしそれも、
「『はじめ美智子さんは、ヒジの上までの短さでいいといってらしたくらいです。それに、
生地も足りませんでしたので・・・』と話している。」


この”生地が足らない”というのは、宮内庁の指摘にあわてて横浜・元町の生地屋に走った美智子さんと母・富美さんが、
「生地の種類や分量について、デザイナーに下相談して買わなかった」からだ。
 

ナイロンタフタ生地を求めたブーケ大津の二つのお店の話。
正田さんとは存じませんでした。お背がお高い方なので、ちょっと不足気味ではないかしらと思いながらお渡ししたのを覚えています。」(ブーケの店員談)。

もう一つの大津でも、明らかに購入の分量が少ないので、店員がわざわざ多目にお買い上げ願ったうえに、
「ひどくお急ぎのご様子で50センチ分の追加注文がありました」と話す。



そもそも、こんな街の生地屋に自分で買いに走っていること自体、驚きだ。
この店員たちは、数日後に仰天しただろう。


また同じ日、当日着用したミンクのストールを買いに行った横浜の<山岡毛皮店>でも、
「新聞発表まで皇太子妃のお召物になるとは全然知らなかった」(店員談)とある。



※全く知られていなかった美智子さん※
店員の言葉からわかるように、当時、正田美智子という人物の存在は、
(近しい人やマスコミを除く)一般国民には知られていない。
お妃候補として長年報じられ続けていたのは、皆、皇室と極めて近い家柄の人ばかり。
美智子嬢との縁談は、同年7月24日以降の報道協定(管制)の下で進められたので、
正式発表の直前に、《週刊明星》のフライング報道で初めて大々的に名前が出た程度。
したがって殆どの国民にとっては、ある日突然、それまで聞いたこともなかった正田美智子
という女性が浮上し、直後に、皇太子妃決定としてその姿を現したわけである。



                


それにしても、どうしてデパートに注文して仕立てなかったのだろうか?
たとえ3日でも、皇室関係ならどうにかしてくれたはずだ。

実際、常陸宮華子妃の場合、お見合いをスクープされ、それからわずか8日後となった婚約会見には、
大急ぎで伊勢丹に注文して、ギリギリで間に合わせた、と当時報道されている。
ちなみに手袋は美智子さんとほぼ同じ長さである、ヒジは出ていないが。



(尚、前述の号外写真を撮った佐伯記者(のちに朝日の専務取締役)は、半世紀後、この時の美智子さんのドレスについて、”三越から届いた”と事実と異なる発言をしている。)

                     


<手袋の長さへの見方はさまざま・・・>------------------------------------

したがって、今や定番エピソードにまでなっている”美智子さんの手袋が短かった”という表現は適切とは言えず、”ソデが短かった”と指摘すべきだったようだ。
(佐伯記者の号外写真の手袋が、参内当日のものとは異なる非常に短いものだったことが誤解を生んだとする説もある。)

記事でも、
「手袋が短いとかヒジのハダがあらわだったとかいうのは、問題にならない。
手袋も長いものだったし、あれでいい。」
(松屋デパートデザイナー、牛山源一郎)
との専門家の意見も掲載されている。


しかし、当時でさえきちんと説明されているというのに、60年近く経った今でも、語り継がれているのは、かなり異様な感じがする。他にも失態は多々あったというのに。

実際、正田家周辺には、号外写真に写った(当日とは異なる)短い手袋への誤解とともに、マリアベールをかぶった姿にかなり批判があったようだ。


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さて、こうしてドタバタの末、完成したドレス、当然の如く服飾の専門家から、極めて辛辣な批判が相次いでいる。
その他、美智子嬢のマナー違反も含め、以下、後篇で紹介したい。


「美智子さんの婚約会見のドレスは3日で仕立てたナイロン製!②」へ続く