「美智子さんの婚約会見のドレスは3日で仕立てたナイロン製!①」より続き
◆デザイナーたちからの手厳しい批判の数々◆
皇太子妃決定発表に際して、直前まで礼装の用意もしておらず、あわててナイロン製の生地で作った美智子さんのドレス、当然のことながら、以下のように辛辣に批判されている。
「あの服装の近代的でなかったのは、ドレスの布地だった。ナイロンタフタは五年前に流行した生地だし、スカートのギャザーのふくらみは、シワになって冷たい感じだった。
不必要にスソ幅を広くしたスカートは、品位を落とした感じ。
なぜ絹を使わなかったのでしょう。今の季節にふさわしい厚手の絹もたくさん出ているし、(中略)美智子さんのデザイナーの感覚を疑いますね。」(中島弘子)
「もっと勉強をしていれば、たとえ美智子さんの希望であっても、それを指導するだけの知識が無ければならない」(同上)と厳しい。
(注:中島氏はデザイナーであるとともに、後にテレビ草創期の番組『夢で逢いましょう』の司会者をつとめたことでも知られる)
「若いお嬢さんが、コートなしで黒(実際はコゲチャ)のストールとは、てっきり、お母様の借り物だと思ったほどでした。(中略)せめて白にすればよかったのに」(鈴木宏子)
「季節からいっても、コートは必要だった。(中略)絹のコートを着てストールをやめれば、もっとすっきりしたでしょう。もし、27日に雨が降っていたらどうするつもりだったのかしら」(中島)

他にも、当時のモードからはかなり流行遅れだったようで、
「羽根の帽子といい、ビーズのカクテル・バッグといい、いかにも古典的に見えるのは、母親の意見が相当入っているのではないかしら」(鈴木)等々、かなり辛辣だ。
そして、これは一般によく言われることだが、
参内の早い時間帯(昼間の正装)を考慮すると、「ムネのあきを少なくすべきだった」(松屋デパート・牛山)。
確かに、少し前かがみになると中が見えそうなほどだ(画像)。
またその際、大きく開いた胸に、「ネックレースをつけていなかったことについても“礼装のエチケット違反”と、松平信子さん(東宮参与・秩父宮勢津子妃の母)が人づてに正田家に忠告したともいわれている。」
これも、「美智子さん自身はつけないで行くつもりだったのを周囲が反対し」、宮内庁にお伺いを立てて、「なくてもいいだろう」との事だったとあるが、この返答は本当だろうか?
他にもいろいろ批判はあるが、余りの書かれように、引用するのもはばかられるほどだ。
美智子嬢はもとより、仕立てたMさんへの批判も手厳しい。
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また意外にも、当時、(香淳)皇后の専属のデザイナーだった田中千代氏やミス・ヘイ氏が、美智子さんサイドを擁護するコメントを出していたのが印象的だ。
◆呆れた風体でごあいさつ◆
最後にマナーという点で驚いたのが、以下のくだり。
「山脇服飾美術学院院長・山脇敏子さんは、美智子さんが、ご婚約二日目の十一月二十八日(注:実際は二十九日)、秩父宮妃殿下をご訪問になったとき、オーバーに手を通さず羽織ったままであいさつされたことについて、『ああいう態度は失礼です』と、厳しい」。
さらに、三笠宮邸への訪問でも同様に、コートを肩に羽織っただけの風体が、<婦人生活>1959年1月号の
”お慶びのアルバム”のグラビアページからうかがえる。
両親も一緒に挨拶しているのが写っているが、なぜ注意しなかったのだろうか?
(以上ここまでの「」内は、週刊読売 昭和33年12月21号p12~p18より引用)

他誌は、殆どが「お洒落なプリンセス・スタイル情報」に終始している中、この記事は、おそらく当時の唯一の「暴露記事」となってる。
ただし、女性誌のファッション情報には、これまで見てきた”ナイロンタフタ”や生地屋・毛皮店の情報、Mさんのインタビューや写真がいくつも掲載されており、この週刊読売の批判記事を裏付けるものとなっている。
中には、この批判記事に対して正田家サイドが書かせたのか(?)、
「今時、絹は流行らないし、気に入ったのもなかったらしく、結局ナイロンに落ち着いた」との苦しい釈明が<婦人生活>(1959年2月号124p)に出ている。
また意外にも、婚約直後であっても、美智子さんの記事はさほど長続きしておらず、翌年の御成婚まで、思ったよりもずっと記事が少ないのは驚きであった。
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さて、この記者の発言は、別途、詳しく取り上げようと思っているが、やはり、この件に関する部分だけでも、どうしてもこのページに書いておかねばならない。
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◆すり替えられてゆく物語 (雑感)◆

この婚約会見を娘時代に見た世代から、「あの服はね、そんないいものじゃないのよ」というようなことを、昭和の終わりごろに何度かちらっと聞いたことがあったのだが、見つけた記事内容は、漠然とした彼女たちの記憶よりはるかに酷いものだった。
さて、これだけいろいろ「面白い話」があるというのに、どうして現在残っている話が「美智子妃いじめの手袋事件」なのだろうか?
本来、もっとも問題だったのは、正田家が直前まで正装の準備もしておらず(その必要性すら感じていなかった)、その上、あわてて行きつけの洋装店で作らせた服が、突っ込みどころ満載のナイロン製だったことでしょう。
周囲は皆、知っていたはずだ。
美智子妃いじめをするには、このドタバタの顛末を吹聴するのが最も効果的だが、吹聴どころかその後、全く「なかったこと」になっている。マスコミも、以後は報道しない(佐伯氏も、決してナイロン製とは言わない。)。
「手袋事件」というのは、どうでもいいことをマスコミの前面に煽り立てることで、本当に不都合なこと(あるいは皇室の体面を傷つけること)をきれいに覆い隠し、完全に消去していく役割を長らく果たしてきたようです。
今現在も進行中の皇室報道の定石でしょう。
考えてみると、この歴史的意味もある婚約会見衣装の製作者が、現在、全く知られていないのは、たしかに不思議ではあります。
長年、美智子さん中心の皇室特番や書籍が大量に「放出」され、それを請け負う専門の話し手・書き手が常に存在し、ファッション情報も定番ネタだったというのに。
それどころか、正田家昵懇の元朝日記者は堂々と、製作者の「Mさん」を「三越」にすり替えてさえいます。
Mさんの存在は、衣装づくりのドタバタからさかのぼって、「美智子さんの本質」まで浮かび上がらせてしまう危険性を孕むもので、「不都合な存在」と認定され、消されていったのかもしれません。
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◆デザイナーたちからの手厳しい批判の数々◆
皇太子妃決定発表に際して、直前まで礼装の用意もしておらず、あわててナイロン製の生地で作った美智子さんのドレス、当然のことながら、以下のように辛辣に批判されている。
「あの服装の近代的でなかったのは、ドレスの布地だった。ナイロンタフタは五年前に流行した生地だし、スカートのギャザーのふくらみは、シワになって冷たい感じだった。
不必要にスソ幅を広くしたスカートは、品位を落とした感じ。
なぜ絹を使わなかったのでしょう。今の季節にふさわしい厚手の絹もたくさん出ているし、(中略)美智子さんのデザイナーの感覚を疑いますね。」(中島弘子)
「もっと勉強をしていれば、たとえ美智子さんの希望であっても、それを指導するだけの知識が無ければならない」(同上)と厳しい。
(注:中島氏はデザイナーであるとともに、後にテレビ草創期の番組『夢で逢いましょう』の司会者をつとめたことでも知られる)
「若いお嬢さんが、コートなしで黒(実際はコゲチャ)のストールとは、てっきり、お母様の借り物だと思ったほどでした。(中略)せめて白にすればよかったのに」(鈴木宏子)
「季節からいっても、コートは必要だった。(中略)絹のコートを着てストールをやめれば、もっとすっきりしたでしょう。もし、27日に雨が降っていたらどうするつもりだったのかしら」(中島)
他にも、当時のモードからはかなり流行遅れだったようで、
「羽根の帽子といい、ビーズのカクテル・バッグといい、いかにも古典的に見えるのは、母親の意見が相当入っているのではないかしら」(鈴木)等々、かなり辛辣だ。
そして、これは一般によく言われることだが、
参内の早い時間帯(昼間の正装)を考慮すると、「ムネのあきを少なくすべきだった」(松屋デパート・牛山)。
確かに、少し前かがみになると中が見えそうなほどだ(画像)。
またその際、大きく開いた胸に、「ネックレースをつけていなかったことについても“礼装のエチケット違反”と、松平信子さん(東宮参与・秩父宮勢津子妃の母)が人づてに正田家に忠告したともいわれている。」
これも、「美智子さん自身はつけないで行くつもりだったのを周囲が反対し」、宮内庁にお伺いを立てて、「なくてもいいだろう」との事だったとあるが、この返答は本当だろうか?
他にもいろいろ批判はあるが、余りの書かれように、引用するのもはばかられるほどだ。
美智子嬢はもとより、仕立てたMさんへの批判も手厳しい。
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<すでに”美智子流”だった>
果たして、辛辣にけなした専門家たちは、このドレスが、わずか参内4日前に突然生地を渡されて、徹夜で仕立てられたものだと知っていたのだろうか?
Mさんは、同誌前号(69p)で美智子さんについて、
”布地をお買いになる時からスタイルをきめていらして、絶対ゆきあたりばったりの注文はなさいません。確固たる方針をお持ちの方です”
”(仕上がりが気に入らない服は、)お持ち帰り願えませんでした”
と、入内後の「美智子流」の服作りを予見させることを話している。
実際この時も、事前にミンクのストールも横浜で購入していることを考えると、予め、彼女なりの
プリンセスイメージが完全にできあがっていたのだろう。
Mさんは、同誌前号(69p)で美智子さんについて、
”布地をお買いになる時からスタイルをきめていらして、絶対ゆきあたりばったりの注文はなさいません。確固たる方針をお持ちの方です”
”(仕上がりが気に入らない服は、)お持ち帰り願えませんでした”
と、入内後の「美智子流」の服作りを予見させることを話している。
実際この時も、事前にミンクのストールも横浜で購入していることを考えると、予め、彼女なりの
プリンセスイメージが完全にできあがっていたのだろう。
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また意外にも、当時、(香淳)皇后の専属のデザイナーだった田中千代氏やミス・ヘイ氏が、美智子さんサイドを擁護するコメントを出していたのが印象的だ。
◆呆れた風体でごあいさつ◆
最後にマナーという点で驚いたのが、以下のくだり。
「山脇服飾美術学院院長・山脇敏子さんは、美智子さんが、ご婚約二日目の十一月二十八日(注:実際は二十九日)、秩父宮妃殿下をご訪問になったとき、オーバーに手を通さず羽織ったままであいさつされたことについて、『ああいう態度は失礼です』と、厳しい」。
さらに、三笠宮邸への訪問でも同様に、コートを肩に羽織っただけの風体が、<婦人生活>1959年1月号の
”お慶びのアルバム”のグラビアページからうかがえる。
両親も一緒に挨拶しているのが写っているが、なぜ注意しなかったのだろうか?
(以上ここまでの「」内は、週刊読売 昭和33年12月21号p12~p18より引用)
他誌は、殆どが「お洒落なプリンセス・スタイル情報」に終始している中、この記事は、おそらく当時の唯一の「暴露記事」となってる。
ただし、女性誌のファッション情報には、これまで見てきた”ナイロンタフタ”や生地屋・毛皮店の情報、Mさんのインタビューや写真がいくつも掲載されており、この週刊読売の批判記事を裏付けるものとなっている。
中には、この批判記事に対して正田家サイドが書かせたのか(?)、
「今時、絹は流行らないし、気に入ったのもなかったらしく、結局ナイロンに落ち着いた」との苦しい釈明が<婦人生活>(1959年2月号124p)に出ている。
また意外にも、婚約直後であっても、美智子さんの記事はさほど長続きしておらず、翌年の御成婚まで、思ったよりもずっと記事が少ないのは驚きであった。
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さて、この記者の発言は、別途、詳しく取り上げようと思っているが、やはり、この件に関する部分だけでも、どうしてもこのページに書いておかねばならない。
■元朝日新聞・佐伯晋氏の”三越”発言への疑問■--------------------------------
婚約発表の日、「記者会見に出発する正田美智子さんを家の中から見送った唯一の記者である」(文芸春秋2013年1月号p172)と書かれるほど、この一家と昵懇だった前述の朝日新聞の佐伯氏。
半世紀後、この記者会見時のドレスについて驚くべきことを語っている。
★「あわてた正田家は、懇意の百貨店に事情を話し、なんとか数日であの白い
ドレスを用意してもらい、ピンチをしのいだ。」(週刊朝日 2008.12月5日号 145p)
★「『いつもの秘密のルート』を使って午後の早い時間帯に正田邸に入ったところ、
ちょうどドレスが三越から届いて」、試着したところを撮影し、号外写真になったと話す。
※佐伯氏は、正田邸の隣家と接する裏木戸から出入りが許されていた。
(「元『お妃選び班記者』の取材ノートから」J-castニュース 2012年4月)
多くのマスコミ、とりわけ自社の週刊朝日も取材して掲載したMさんの存在を彼が知らないとは、到底考えられない。
(それどころか、Mさんの弟子の女性が完成した服を届けて美智子さんに着せており、試着後に撮影した
佐伯氏と会っていると思われるが・・・)
婚約発表の日、「記者会見に出発する正田美智子さんを家の中から見送った唯一の記者である」(文芸春秋2013年1月号p172)と書かれるほど、この一家と昵懇だった前述の朝日新聞の佐伯氏。
半世紀後、この記者会見時のドレスについて驚くべきことを語っている。
★「あわてた正田家は、懇意の百貨店に事情を話し、なんとか数日であの白い
ドレスを用意してもらい、ピンチをしのいだ。」(週刊朝日 2008.12月5日号 145p)
★「『いつもの秘密のルート』を使って午後の早い時間帯に正田邸に入ったところ、
ちょうどドレスが三越から届いて」、試着したところを撮影し、号外写真になったと話す。
※佐伯氏は、正田邸の隣家と接する裏木戸から出入りが許されていた。
(「元『お妃選び班記者』の取材ノートから」J-castニュース 2012年4月)
多くのマスコミ、とりわけ自社の週刊朝日も取材して掲載したMさんの存在を彼が知らないとは、到底考えられない。
(それどころか、Mさんの弟子の女性が完成した服を届けて美智子さんに着せており、試着後に撮影した
佐伯氏と会っていると思われるが・・・)
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◆すり替えられてゆく物語 (雑感)◆
この婚約会見を娘時代に見た世代から、「あの服はね、そんないいものじゃないのよ」というようなことを、昭和の終わりごろに何度かちらっと聞いたことがあったのだが、見つけた記事内容は、漠然とした彼女たちの記憶よりはるかに酷いものだった。
さて、これだけいろいろ「面白い話」があるというのに、どうして現在残っている話が「美智子妃いじめの手袋事件」なのだろうか?
本来、もっとも問題だったのは、正田家が直前まで正装の準備もしておらず(その必要性すら感じていなかった)、その上、あわてて行きつけの洋装店で作らせた服が、突っ込みどころ満載のナイロン製だったことでしょう。
周囲は皆、知っていたはずだ。
美智子妃いじめをするには、このドタバタの顛末を吹聴するのが最も効果的だが、吹聴どころかその後、全く「なかったこと」になっている。マスコミも、以後は報道しない(佐伯氏も、決してナイロン製とは言わない。)。
「手袋事件」というのは、どうでもいいことをマスコミの前面に煽り立てることで、本当に不都合なこと(あるいは皇室の体面を傷つけること)をきれいに覆い隠し、完全に消去していく役割を長らく果たしてきたようです。
今現在も進行中の皇室報道の定石でしょう。
考えてみると、この歴史的意味もある婚約会見衣装の製作者が、現在、全く知られていないのは、たしかに不思議ではあります。
長年、美智子さん中心の皇室特番や書籍が大量に「放出」され、それを請け負う専門の話し手・書き手が常に存在し、ファッション情報も定番ネタだったというのに。
それどころか、正田家昵懇の元朝日記者は堂々と、製作者の「Mさん」を「三越」にすり替えてさえいます。
Mさんの存在は、衣装づくりのドタバタからさかのぼって、「美智子さんの本質」まで浮かび上がらせてしまう危険性を孕むもので、「不都合な存在」と認定され、消されていったのかもしれません。
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※デザイナーの名前を伏せたことについて※
このドレスの製作者については、取り上げた「週刊読売」の記事の中にもフルネームで書かれており、他にも当時、多くの雑誌等に氏名が出ています。
また、彼女の仕事場での写真やインタビューも、各誌に掲載されています。
しかし今は、ほぼまったく知られていない方であり、記事内容が美智子さんのみならず、彼女に対しても厳しい意見が出されていることもあり、非常に迷いましたが、「名字のイニシャル」をとって「Mさん」と記述するにとどめました。
しかし、本来、今の皇后の「初お目見え」のドレスの製作者であり、きちんと改めてこの時の顛末とともに、マスコミで報じられるべきでしょう。
このドレスの製作者については、取り上げた「週刊読売」の記事の中にもフルネームで書かれており、他にも当時、多くの雑誌等に氏名が出ています。
また、彼女の仕事場での写真やインタビューも、各誌に掲載されています。
しかし今は、ほぼまったく知られていない方であり、記事内容が美智子さんのみならず、彼女に対しても厳しい意見が出されていることもあり、非常に迷いましたが、「名字のイニシャル」をとって「Mさん」と記述するにとどめました。
しかし、本来、今の皇后の「初お目見え」のドレスの製作者であり、きちんと改めてこの時の顛末とともに、マスコミで報じられるべきでしょう。
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