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満州・康徳製粉と朝鮮製粉  (旧植民地と美智子さん)

2017年11月25日 | 美智子さんについて

以下の出典は、「日清製粉株式会社史」(1955年発行)の巻末の年表、および本文。
尚、この社史は既に、「渋沢社史データベース」でもネット上で公開されています。




昭和9(1934)年------------------------------

    (3月1日 満洲国帝政実施、康徳と改元
                      
6月25日   東洋拓殖、三井物産、三菱商事および内地製粉会社等で出資した
      「日満製粉株式会社」(本店ハルビン)が創立。
       日清製粉は、この「内地製粉会社等」の一つとして参加。
             
    ※この年、館林、高崎、名古屋の3カ所で一部工場増設




昭和11(1936)年------------------------------

  4月   正田英三郎取締役、満州へ調査(日清製粉株式会社史192p)

 7月1日   京城府南大門通五ノ一に京城出張所設置

 7月7日   名古屋新工場落成  運転開始

 8月1日   朝鮮製粉株式会社創立 (取締役会長正田貞一郎)

   8月   正田英三郎、再度、渡満し、満州国政府と関東軍を訪問(192~193p)


     (11月25日  日独防共協定成立)

 11月27日    役員会で満洲進出決定

 12月21日   第六十回株主総会
(社長制を改めて会長制とし、社長の正田貞一郎が取締役会長に、  
 常務取締役に正田英三郎就任 )

 12月26日   下関支店設置




昭和12(1937)年--------------------------------

 1月4日   野付牛(北海道北見)工場落成 運転開始

 2月     朝鮮製粉(株) 京城工場操業開始(189p)

 2月18日   満州に 康徳製粉股份有限公司創立
       (翌13年5月に康徳製粉(株)と改称)

 5月6日    取締役会長正田貞一郎、朝鮮満洲視察のため出発、6月1日帰国

 5月29日    本社事務所増築工事落成
 
 
 5月31日   国内工場の製粉機械一部を康徳製粉股份有限公司
             及び朝鮮製粉株式会社に譲渡



    (8月13日   上海事件起る )

    (11月6日  日独伊防共協定成立 )


 11月30日 国内工場の製粉機械一部を康徳製粉股份有限公司
         及び朝鮮製粉株式会社に譲渡


 12月1日   愛国製粉株式会社と合併契約締結

 12月2日  康徳製粉 新京工場 運転開始(p195)

  12月    朝鮮製粉(株) 鎮南浦工場完成、翌年から運転開始(p190)

 
    (南京陥落、中国臨時政府成立)

12月23日  康徳製粉 牡丹江工場 試運転開始(p194)


                 
               (国立国会図書館デジタルコレクション)

昭和13(1938)年------------------------------

 1月7日    康徳製粉 四平街工場 (前年落成) 運転開始(同上)

 1月13日   常磐製粉株式会社と合併契約締結


  (1月16日 政府、「爾後国民政府を対手とせず」と対支声明 )

     (1月  支那における関税改正で小麦粉無税)

 3月16日  済南市東流水大干家橋に済南出張所設置

 3月25日   北京市永定門外に北京出張所設置


(4月1日  国家総動員法公布 )


昭和14(1939)年----------------------------------

7月15日   株式会社敷島屋製粉所と合併契約締結

  (9月3日 英仏、対独宣戦布告、第二次世界大戦始まる )

10月13日    高浜製粉所買収



昭和15(1940)年---------------------------------

   (3月30日  南京政府成立 )

  8月    朝鮮殖産興業(株)設立 (販売部門)(190p)

 9月26日   台北市末広町に台北出張所開設


(9月27日   日独伊三国同盟成立 )

(10月12日   大政翼賛会発会式)



昭和16(1941)年------------------------------------
 
 1月   朝鮮製粉(株) 海州工場完成(同上)

 8月   朝鮮酵母株式会社(日清製粉系のオリエンタル酵母の直系)設立(同上)


     (12月8日  わが国、米、英に宣戦)


昭和18(1943)年------------------------------------

9~10月 企業整備令により、鶴見工場を立川飛行機(株)の協力工場として
     「航空機鶴見航機工場」設立 (263p)



昭和19(1944)年 ----------------------------

 2月15日   高崎工場を転用し、航空機用硬化木材工場(高崎硬化材工場)設置

 3月16日   日清航空工業株式会社創立 

      (当局の要請で、愛知航空(株)の協力工場として工場転用、 
       社長は正田英三郎。 主として発動機のシリンダー、動弁腕、軸等を
       製作した。263p)      

     ※愛知航空は、戦闘機、偵察機等を製造した日産系の航空機メーカー。
      現在の愛知機械の前身。 




 ※ なお、1955年版の社史には、植民地での現地工場の写真も多数掲載されています。


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満州など旧植民地への経済進出については、資料が多く残されている三井や三菱などの大財閥を中心に研究が進んでおり、こうした巨大資本の経済活動と植民地の拡大や開戦との強い関連性が論じられています。

植民地への進出や戦争も、単純に政治家や軍人だけによって引き起こされるように考えがちですが、最近は、むしろそれによって利益が上がる集団のために引き起こされる、いわゆる経済面を重視する傾向が強まっています。
政治的意思決定がスポンサーの方を向いて行われるのは、今も昔も変わりません。

なかなか大陸から撤退できなかったのも、多くの日本企業の活動拠点があり、そこに従業員が生活し、すでに活発にお金が回っていたという現実を無視することはできません。

美智子さんの実家は財閥などとは比較にもならず、帝国主義下の日本を代表するような存在でもないので、上記のような実情をあまり知られずに済んでいます。
結婚以来、新聞や週刊誌でこの件を正面から大きく取り上げた記事は殆ど無いだろうと思います。

しかし祖父・正田貞一郎が創立メンバーの一人で、父も跡継ぎとして若くして役員という同族企業であり(この当時は)、中規模軽工業とはいえ、やっていることは同じです。
雇われのサラリーマン社長ではなく、一族で大株主であり、祖父が経営の意思決定をしているわけです。

実際、満州、朝鮮、台湾進出にともなって、工場や支店が増えてゆき、どんどん会社が成長しているのがよくわかります。
この時代、日本中どの企業も大陸に出ていくことで、(一時は)景気が良くなったわけです。

(ただし、国内における合併に次ぐ合併は「館林製粉」設立時から絶え間なく続く、正田貞一郎氏の特徴的経営手法と言っていいと思います。)

それから、あまりに生々しくて書き入れませんでしたが、昭和15年9月27日には、日清製粉も陸海軍に「航空研究資金」を「寄附」との名目で多額の献金を行っています。


平成4年、天皇皇后の強い希望による中国訪問が行われました。
「美智子様、植民地支配への贖罪のお気持ち」などというような見出しが躍ってましたが、多少、こういう方面に詳しい知人は、
「一体、どういうつもりでこんなしらじらしいこと書いてるんだろう?」と呆れ返っていました。(おそらく中国サイドだって知っていただろうと思いますが。)

誰でも先祖に一人や二人、満州などで働いていた親戚がいるもので(他の皇族関係者にも当然いる)、こうした皇后実家の植民地進出を単純に批判しているわけではありません。
しかし、マスコミが決して報じないのをいいことに、自分は何の関係もないかのように繰り返される皇后の同情的アピールは、見ていて不快極まりないものです。

組織に属する勤め人が赴任するのとは違い、そこでの利益はストレートに一族の家産に直結していたというのに。

スポンサー企業である上に、いくら彼女が「タブー」な存在で書きにくいと言っても、ここまでくると、もはや意図的にだましているのと同じです。

更に退位のあと、韓国に謝罪の訪問などとも言われています。
ならば、上記のような戦前の植民地進出をしっかり報道し、「朝鮮製粉」を周知させてから行くべきだと思いますね。
財閥とは比較にならないとはいえ、一応、一族で要職を占めるオーナー会社の小資本家であったわけですから。