箱舟に迷い込んだ犬   作:B=s

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シャーレの先生に名前がありますが、独自解釈です。


箱舟に迷い込んだ犬-4

「昼めしは何にしようか。牛丼か、いやラーメンも悪くないな……」

 

 未だスマートフォンの使い方に慣れない乾が、拙い動きで画面を操作する。

 初めて触る機械故に慣れないのだが無理もない。乾がいた時代の日本とキヴォトスのテクノロジーの違いは大きく、乾が想像した事も無いものが多く流通している。それはスマートフォンとて例外ではない。

 そんな中、乾は立ち食いのラーメン屋を見つけ出した。今日はそこで食べようと決め、店へと向かおうとしたその時だった。彼は不意に声をかけられた。

 

「あの、すみません」

「どうなされました?」

 

 乾が振り返ると、一人の白衣を着た男性がいた。彼は眼鏡をかけており、やや癖っ毛の髪をしている。その顔立ちは整っており、中性的な印象を乾に与えた。

 白衣の下にはスーツを着用し、ネクタイを締めている。全体的に清潔感のある服装ではあるものの、どことなく胡散臭い雰囲気があった。

 そんな男に対し、乾が訝しむような表情を見せると男は自己紹介をした。

 

「はじめまして、乾さん。私はシャーレの田中と言います。生徒たちからは先生と呼ばれています。日本から来られた方ですか?」

「ええ。……あなたも?」

「はい。よろしければ、ご一緒してもいいですか?」

「是非とも」

 

 乾と田中はラーメン屋の暖簾をくぐった。

 乾がいた日本では、立ち食いの店は風紀の観点から禁止されて久しい。物珍しさと、乾自身の体格に由来する悩みがあった。彼自身大柄な為、大体の椅子では窮屈なのだ。

 その為立ち食いの店は好ましい。足が疲れている時は別だが。

 田中はそんな乾の様子を見て、微笑ましそうにしていた。ラーメン屋のカウンター席で隣同士になった二人はそれぞれ注文を済ませると世間話を始めた。

 と言っても主に話すのは乾であり、彼はシャーレと言う組織がどのような活動をしているのかを尋ねた。それに対し田中は丁寧に説明してくれた。

 曰く、キヴォトス中の生徒から寄せられる依頼を解決する事を生業としているという。

 

「今日はゲヘナ学園にお邪魔させていただきまして、あるお願いごとを風紀委員会へ頼みに」

「へえ。お願いごとを……用件はお済でしたか?」

「ええ、何とか無事に行きそうです。実は内心、不安でした」

 

 そう語る田中の表情はとても明るいものだった。乾はなんとなく、彼も苦労しているのではないかと判断した。聞けば彼と自分の歳は近い。そんな乾は田中に対して親近感を抱いた。

 

「しょうゆラーメン2丁、ヘイお待ち!」

 

 目の前にラーメンが運ばれてくると、二人はそれを啜り始めた。麺を啜る音と、スープの湯気で店内は賑やかだった。そんな中、田中はふと思い出したように言った。

 彼は、そこで気になる噂を聞いたのだという。それは最近キヴォトス内で妙な噂が流れており、それが生徒たちの間で実しやかに囁かれている。

 曰く、ゲヘナには番犬がいるらしいと……。その噂が本当かどうかを乾に尋ねた。すると乾はラーメンを食べる手を止めて言った。

 

「番犬、ですか。もしかしたら俺の事かもしれませんね」

「それは一体?」

「単に悪ガキどもを懲らしめてるだけですが、連中には違って見えるようです」

「失礼ですが、乾さんはここに来る前に何を?」

「警察官です」

「警察官!」

 

 乾はラーメンをすすりながらも、特機隊出身である事を伏せた。

 田中と話している内に、どことなく「彼のいた日本」と「自分のいた日本」に相違がある事に気づいたのだ。それに特機隊の名前自体、あまり大っぴらにしても良いことはない。

 そして田中もまた、ラーメンを食べながら乾がどんな人間なのかが分かった気がした。

 彼は元々、日本の警察官であるのだ。それも恐らくは警備部か機動捜査隊に属しているのだろう。何しろ治安が日本とは比肩し得ないほど悪いキヴォトスである。

 そんなキヴォトスで悪さを働く輩を捕まえるのには、同じ警察の方が都合がいい。そう彼は考えた。

 そんな中で、今度は乾から田中に質問をした。現在のキヴォトスの情勢についてである。

 田中は少し困ったような表情で答えた。

 

「今、私が携わっている事で気になっているのはカイザーコーポレーションがやけに勢力を伸ばしている事です」

「カイザーコーポレーション……企業ですか」

「ええ。実は不当ではないかと言う不動産取引をしている疑いがありまして」

「不動産取引?」

 

 乾は不動産取引の単語を聞いて、首を傾げた。

 一体どのような取引をしているのか彼には想像がつかなかった。しかし田中はそれが企業と学校間の争いである事を告げた。

 カイザーコーポレーションの傘下に入っている企業が、ある学校と揉めているのだとか。そして田中はこう続けた。

 彼はシャーレとして、この問題を解決したいのだと言った。だがそれは容易ではないらしい。何故なら相手は大手企業であるからだ。そこで乾にも協力を頼みたいと言うのである。

 乾はその申し出に対して首を振る事が出来なかった。確かに聞く分には一理あるかもしれない。

 だが、それでも彼はこのシャーレに手を貸すつもりは無かった。何故なら彼は居候の様なものであるからだ。居住を提供してくれるゲヘナ学園領内の治安維持に関わらない事をするつもりはない。

 ──彼には悪いが、お断りを入れるべきだろう。

 乾はそう判断した。ところが田中は意外な提案をした。その件については、自分は一旦風紀委員会に話を通してあるという。

 先方からのアクションで協力するかどうかを判断して欲しいと言うのだ。乾は三度、ラーメンを食べる手を進めながら考えた。確かに、風紀委員会に話を通してあるのであれば問題はないだろう。

 もしもキヴォトスの治安を守ると言う名目で協力を要請された場合、断る事も可能だ。また、仮に罠だったとしても乾は大して気にしなかった。相手は連邦生徒会の関係者だ。

 彼がいるからこそ、シャーレが活動しているのである。それを失うつもりであるならば……この話を断る事で彼を傷つけても構わないと言う考えであれば納得できる。

 いずれにせよ、結論を出すには早すぎる。まずはゲヘナ学園内の治安をより良くする事に集中しなければならないのだから。

 それにもし田中たちが本当にカイザーコーポレーションと揉めているのであれば、協力するのも一興だろう。

 

「ご馳走様。田中先生、この話の回答は後程でもよろしいでしょうか?」

「勿論ですとも! いやあ、久々にお話できて私も楽しかったです」

「それはなにより。……大将、お勘定。別々でね」

「あいよっ! しょうゆラーメン1丁で、660円ね!」

 

 乾はラーメンを完食すると、代金を支払った。

 内心ラーメンの価格の高さにも面食らいながら。そして田中と別れの挨拶を交わすと、彼は店を後にした。

 すると街を歩くゲヘナ学園の生徒に声をかけられた。中堅の風紀委員である。

 彼女は乾がシャーレの先生と会っていた事を問い詰めた。どうやら彼の姿が見えない事に風紀委員たちは心配した様だった。

 どうやら知らぬ間に心配をかけたらしい。

 彼は彼女に謝罪を述べると、これから巡回に同行して街を見て回るつもりだと告げた。すると風紀委員は巡回に使っている車両へと乾を案内した。

 

「これから各地区を巡回します。乾さん、銃弾には気をつけて」

「ああ。道案内を頼むよ」

 

 乾が乗った車両は軽やかに加速し、巡回を始めた。

  その頃、田中はラーメン屋の店内にいた。乾が去った後、まだ腹が減っていたらしい。実は彼、朝から何も食べていなかったらしく今日初めての食事である。

 田中はラーメンをすすりながら、今後の予定について考えていた。今回の案件、打開するにはゲヘナ学園風紀委員会の助力が不可欠である。

 戦力、と言う面では出来れば便利屋68(シックスティーエイト)の面々にも依頼と言う形で協力を取り付けたかったが、どこにいるのか分からなくなってしまった。

 ならば、まずは風紀委員会を味方につけるのが先決だろう。その為には乾の存在が不可欠である。しかし彼は協力してくれるだろうか? そんな事を考えながら、田中はラーメンを啜るのだった。

 それから暫くして食事を終えた田中は会計を済ませると店を後にした。ゲヘナ学園からアビドス自治区までの道中で考えをまとめようと思い立ったのだ。

 歩きながら、今後の事を考えていた。そしてふと空を見上げれば、遠くに巨大な建造物が見えた。

 キヴォトスの象徴たるサンクトゥムタワーだ。

 田中はその姿をちらりと見て、ぽつぽつと歩きながら考えをまとめていく。途中で生徒たちが挨拶をしていき、すれ違った後にきゃっきゃとはしゃぐ。

 そんな光景を微笑ましく思いながらも、田中は思考の海に沈んでいった。

 ……いくところだった。

 

「先生、考え事はいいですが歩きながらはだめです!」

「ご、ごめんアロナ」

「この間もそれで怒られたじゃないですか!」

 

 姿なき声に反応する田中。その声の主は田中のタブレット端末だった。

 彼は考え事をしていると周りが見えなくなるらしい。それが原因で何度か生徒に叱られた事がある。故に田中はアロナから注意を受けたのだが、それでも懲りるという事はなかった。

 田中がふらふらと歩くのを見守りながら、アロナは心配そうに言った。彼女は田中と共に行動しているタブレット型端末「シッテムの箱」、そのOSだ。

 彼女はAIであると同時に、田中の頼れる秘書でもある。アロナは画面の中で歩きながらぶつぶつと小言を言う。その姿は田中以外には誰にも見えず、アロナの声を聞く事も出来ない。

 あくまでも田中が独り言を呟いているようにしか見えなかった。田中はアロナの注意を素直に聞き、歩く。

 だが気になるフレーズを聞いて立ち止まった。

 

「あの乾って人は、何をされている方なんでしょうか……?」

「元警察官って聞いたけど?」

「いいえ、今のお仕事です。キヴォトスではあなた以外に、大人の人が先生の仕事についていることはないのです」

「君のデータにもないって?」

「はい!」

 

 田中は立ち止まり、顎に手を当てると熟考し始めた。アロナの言っていることが事実であるとしたら、乾は一体何者なのだろうか?

 場合によってはキヴォトスに元いた地球の警察の関係者である可能性も考えたが、もしかすると連邦生徒会……引いてはシャーレそのものにちょっかいをだそうとしているのだろうか? 分からない。

 情報が少なすぎるのだ。今の状態では決めつけることは出来ないと、田中は思った。アロナはそんな田中に対してさらに問いかけた。

 

「先生、あの人はどこに住んでいるのでしょうか?」

「ゲヘナ学園に居候しているみたいだね。最近来たばかりのようだ」

「なんだか、あの人は物騒な感じがします」

「風紀委員会に協力しているし、それはないんじゃないかな?」

「それでもシャーレのことを知らないのは、考えた方が……」

 

 すると田中は、歩きながら考え始めた。

 乾がキヴォトスに来たのはつい最近である事。そして風紀委員会から協力要請があった事……つまり彼の仕事はゲヘナ学園風紀委員会の仕事であるという事。

 それらを踏まえて考えれば、彼が連邦生徒会やシャーレに対して悪意を持っている可能性は低いだろうと考えたのだ。

 勿論、憶測である以上外れる事もある。だがしかし、彼が嘘を吐くにはあまりにもメリットが少なすぎる。シャーレの人間が風紀委員会に助力を頼んでいるのに、その事を知らないというのもおかしな話だ。

 だから田中はひとまず警戒しながらも乾の事を信用することにした。

 また同時に、彼を味方に引き入れられるかどうかも検討した。この仕事は田中一人ではどうにもならない。

 故に──。

 

「アロナ、アビドス自治区へのルートを。公共交通機関込みでね」

「はい、わかりました!」

 

 ──慌てずにいこう。

 田中はそう考えながら、アビドス自治区へ向かった。

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