箱舟に迷い込んだ犬   作:B=s

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箱舟に迷い込んだ犬-2

 それから何日かが経った。

 ヒナは午前中の間にここ最近起きた事案を報告書にまとめた。事案報告用のプリントアウトされた報告書を秘書役である水色の髪の少女──天雨(あまう)アコに渡すと、ヒナは生徒会室から退室。そしてある場所に足を運ぶ事にした。

 向かった先は風紀委員会に併設された独房。それはなぜか。昨日の件……銃を用いた不良の乱闘事件及びヘルメット団の掃討の後始末が一通り終わったからだ。そしてそこへ拘留されている人物へ面会する為である。

 ヒナの足取りは軽い。彼の人物との面会は彼女にとって楽しみな事であったからだ。

 独房のロックを解除したヒナが中に入ると、その部屋の主はベッドの縁に腰かけて本を読んでいた。彼はヒナの姿を認めると本を閉じながら立ち上がり、挨拶した。

 その男性は長身で、武骨ながらも整った顔立ちをしていた。年は二十代半ばと言った所だろうか。下着姿ではあったが、体躯が体躯なので致し方ないと言うのがある。ヒナは彼をまじまじと見ながら、独房の扉を閉めた。そして改めて彼を見る。

 こうして見ると、彼は本当に"普通"だった。キヴォトスでは珍しい部類に入るが、それでも彼は"普通"だった。その男性──乾は風紀委員会に収監されている。理由は単純で、銃を用いた乱闘事件の重要参考人だからだ。

 しかし彼は銃を携帯していない。それどころか所持していた銃も装填分を除けば弾切れだった。これは身柄を拘束した時に分かった事だ。

 あの物騒な甲冑(プロテクトギア)──彼曰く強化服らしい──だが、調べた結果パワーアシスト機能が無いと言う事にもヒナ達は驚かされた。

 そんな状態での銃撃戦……これは衝撃的過ぎる事実だった。

 取り調べの際風紀委員の面々──初期対応にいた者達だ──がいかにこの男性が危険人物かを力説していたが、ヒナは半信半疑だった。

 幾ら強力そうな武器を持ち合わせていたとしても、所詮はキヴォトスの一般市民と変わらないだろう……そう高を括っていたからだ。

 だから拘束した時に簡単に制圧出来たのだろうとも考えている。ところが改めて本人を前にして、ヒナは考えを改める事になった。

 

「調子はどう?」

「……悪くはない」

「そう。今日私が来た理由だけど、手短に話すわ」

 

 そうヒナが語ると、彼は静かに耳をそばだてた。

 ヒナは要件を説明すると、手にしていたフォルダーから一枚の用紙を彼の前に差し出した。それを見た乾が驚いたように目を見開く。紙をまじまじと見つめていた乾は顔を上げて、ヒナを見た。その目には興味の色が宿っている。

 ヒナは視線だけで話を促した。乾は受け取った用紙に目を通した。その内容は乾の処遇に関する提案書だった。内容は大まかに説明するとこうだ。

 まず第一に、今まで彼が入っていた独房から風紀委員会のある建物に設けられた仮独房への移行。だがこの仮独房は今までより大幅に自由度が高く、かつ環境にも配慮された内容となっている。

 そして第二に、衣服一式が貸し与えられる事。これは行き場もなく、着の身着のままでやって来た彼にゲヘナ学園内での居場所を与える事で、居住の自由を保障するものとなる。

 そして最後だが、ゲヘナ学園の校則に従う事と、風紀委員会への協力の旨を盛り込んでいた。

 これらはこの提案書を原案とした風紀委員会が作成したものだ。ヒナは乾にその草案を見せると、彼は興味深そうに読み進め一通り目を通すと顔を上げた。その目には何かを決意したような色があった。

 ヒナはそれを確認すると、口を開いた。

 

 

 それからさらに何日か経ち、乾はゲヘナ学園の客人としての地位を確立していた。と言うのもあのまま独房に入っていた場合、風紀委員会の評判が悪化したらしいとの事だった。

 何しろ乱闘騒ぎを起こしたとはいえ、乾にとっては右も左も分からない最中で、いじめられている子供を庇ったのが事の発端だからだ。

 乾は自身がプロテクトギアを付けている状態とは思わず接触した所、その容姿から相手を過度に威圧させ撃ち合いに発展した。

 その後はヒナたち率いる風紀委員の介入もあり鎮圧に至ったのだが、保護された子供の証言により乾の行為に正当性が認められ、また周囲からも乾を支持する意見が相次いだ為、ゲヘナ学園としては拘留するのは好ましくない、と言う結論に至ったのだ。

 子供たち……それも女子の面倒を見るのは色々と呵責(かしゃく)があったものの、ゲヘナ学園、ひいてはキヴォトスと言う土地を知るうえで仕方ない事だと自分を納得させた。

 そして子供達が皆いい子達である事が乾を感心させた。ある子は運動のコツを習いに、ある子は勉強を教えてほしいと頼みに来る。ある子は乾を兄の様に慕っている。

 思えば乾も幼い頃、こう言う風に近所のお兄さんお姉さんに面倒を見てもらっていた事があった。時の流れと言うのは、色々な変化を齎すものなのだなと改めて思う乾であった。

 最近ではすっかり生徒たちの人気者になった乾だが、おかげでなかなか一か所に留まる事が出来なかった。それで乾が行きついた先は、ヒナがいる風紀委員会の執務室だった。

 乾がやって来た事に際して、当初はゲヘナ学園の生徒会である万魔殿(パンデモニウム・ソサエティー)が干渉してくるかと思ったが、特にそんな事は無かった。

 

「ここにきて、大分経ったな……」

「乾さん、あなたはどこから来られたんでしたっけ? 詳しいお話は聞いておりませんでしたので」

「それもそうか。あれは……」

 

 労いも兼ねて風紀委員からコーヒーを受け取った乾に、近くに座っていた天雨アコが話しかけた。

 乾の過去についてはその場にいた人間が気にしていた事であり、ヒナですらペンを離して話に耳をかたむける程の事であった。乾は遠い目で過去を思い出す。

 台湾の廃ホテルで起こした死闘だ。

 そもそも彼が仮釈放直後に日本を出国し、台湾へと渡ったのは首都警特機隊時代の先輩である都々目紅一(とどめこういち)の消息を追っての事だ。公安警察に自分が利用された事を知り、けじめをつけるが為に赴いた。

 その顛末についてある程度を話した所で、乾はコーヒーをひと啜りした。

 

「殺し合いですって? キヴォトスの外の……たいわん、でしたっけ……では、そのような事が?」

「日常ではないさ。そして俺にとっては、ここの出来事の方が不思議だ。人に銃弾を撃ち込んでも気絶で済み、拳の代わりに銃弾で殴り合いをしている」

「はあ……」

「ここの人間は銃弾を食らっても殴られた程度で済むが、キヴォトスの外じゃ最悪即死だ」

 

 乾の言葉にアコは眉を顰めた。そんな彼女に変わりチナツが問う。

 

「それで、あなたはどんな組織にいたのです?」

「首都圏治安警察機構、警備部、特殊武装機動警備大隊。通称、ケルベロス」

「……ケルベロス?」

「ああ。少し長くなるが、いいか──」

 

 驚く様子を見せるチナツと、興味が湧いたのかコーヒーカップを手にしたヒナが席を離れて乾を見ていた。

 乾は彼女達を背に、コーヒーを一口飲むと語り始めた。

 ──ケルベロス。

 首都圏治安警察機構が擁する、武闘路線一辺倒の対凶悪犯罪組織だ。

 "セクト"をはじめとした反体制過激派勢力や、彼らに煽動されて発生した暴動事件に対して、銃火器による強硬制圧を主任務としたいわば警察における軍隊のような存在。

 そして実力行使から捜査活動へと移ろいゆく時代の流れに逆らい、最期は武装蜂起するも自衛隊の出動によって武力鎮圧された。

 隊員として蜂起に参加していた乾も逮捕され収監されていたが、三年で仮釈放が認められた。後は逃亡した紅一を追って台湾に来たと言う訳だ。

 乾の語る言葉に風紀委員の面々は一様に呆気に取られていた。元とは言え異国の治安当局の特殊部隊出身、それも異常殺人の経歴を持つ男が目の前にいて、その事を詳しく語り終えたところなのだ。

 驚くなと言う方が無理だろう。場を静寂が支配する中、口を開いたのはヒナだった。

 

「……ここへきて、あなたはどう思ったかしら?」

「一言で言えば、混沌としているな。君達風紀委員会がいなければ、遅かれ早かれ学校がなくなるだろうと思うほどには」

「元の場所……台湾や日本に帰る気は?」

「主を失った犬はさまようものさ」

「まるで野良犬ね」

「野良犬……そうかもしれない。あの世かと思いきや、そうでもないとなると」

 

 自らを犬と揶揄(やゆ)する乾は、どこか自嘲しているかのような表情であった。そんな彼に対して、ヒナは言葉を続けた。

 戻るべき場所が無い、と言外に伝えた彼だが、ここが生徒の治める学園だと知っても特に何の感慨も覚えない様子に、ヒナは腕を組んだ。

 このまま野良犬の如く生きていくつもりなのだろうか。彼女は改めてこの男が気になっていた。

 

「乾さん、これは提案なのですが……」

 

 不意にアコが手を挙げると、話を切り出した。

 ──ここはひとつ、実験を行ってみよう。

 そんな事を考えたアコは乾に尋ねた。続く彼女の提案は風紀委員の面々を驚かせる内容だったが、同時に悪い案でも無かったので最終的には通る事となる。

 アコは一計を案じていた。それは乾の経歴を考慮したものだ。やはり彼はキヴォトスの外から来た人間である。厳密には違うのかもしれないが、シャーレの先生と同じだろう。

 ──彼は大人だ。なればこそ、我々生徒にとって利する事もあろう……。と考えたのである。

 彼女は乾にこう切り出した。それは、彼に風紀委員の活動に協力してはどうかと言う提案だった。

 

「しかし、どうやって手伝えばいい?」

「簡単な事です。あなたの持つ技術を、我々風紀委員たちの為に使っていただきたい」

「俺は人殺しだ。殺しぐらいしか役に立たんぞ」

 

 アコの提案に乾は困惑した。

 何しろ特機隊の主任務は凶悪犯罪の武力鎮圧を始めとした荒事だからだ。隊長が掲げる標語に「銃を持って立ち塞がる者あらばこれを撃て」とある程に。

 そんな彼にヒナが補足する。彼女曰く、風紀委員の活動はゲヘナ学園内の治安維持だと語った。例えば不良生徒たちの取り締まりや、危険分子の排除などを行っていくと言う。

 つまりは今までとやる事はそう変わらない……そう言っていた。そして乾もその意見には首肯した。それ以外にやりようもないのだ。

 一通り話を聞き終えた後、乾は二つ返事で協力する事となったのだった。

 ──居場所もなく、主もいない野良犬には選択肢はない。

 だが一つだけ彼は拘った。ヒナがその態度に怪訝そうな表情を浮かべて問いかける。何故そこまで拘るのか? と。すると乾は答えた。

 自分はキヴォトス社会の一員として生きる術を持っていないから、と。

 ヒナはそれを聞いて嘆息すると、幾つかの冊子を持ってくるように風紀委員に命じた。聞けばキヴォトスの歴史を簡単に纏めたものであり、更にゲヘナ学園についても記載があると言う。

 乾はそれを手にすると、ゆっくりとページをめくっていった。ペラペラとページをめくる中で、乾の目に引っかかる文章があった。

 それについて誰かに問おうとしたその時、執務室のドアが勢いよく開かれた。

 

「委員長、大変です! 自治区の倉庫街で事案が発生したとの通報が!」

「……すぐ行く」

「俺も行こう」

 

 飛び込んで来た生徒の話に、ヒナは頷いた。乾もそれに続き風紀委員たちが慌ただしく動き始める。その様子を見ていた乾にアコが近づくと耳打ちした。

 ゲヘナ学園自治区の倉庫街で強盗事件が勃発……その一報を聞いたヒナたち風紀委員会は即刻対応を始めたのだった。

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