音楽バラエティー番組『EIGHT-JAM』(テレビ朝日系)で披露するロジカルな歌詞解説が話題の作詞家いしわたり淳治。この連載ではいしわたりが、歌詞、本、テレビ番組、映画、広告コピーなどから気になるフレーズを毎月ピックアップし、論評していく。今月は次の6本。
1 “ファクシミリの音だけが 時々響くこの部屋で”(浜田省吾『Period of Blue 1990』作詞:浜田省吾)
2 “人生の攻略本”(蓮久寺住職 三木大雲)
3 “6数えて10秒”(相席スタート 山添寛)
4 “私が吉田沙保里と戦わなかったから”(吉田沙保里)
5 “これから服始めます?”(鈴鹿央士)
6 “ボールの見え方は今までと変わらなくて”(元プロ野球選手 糸井嘉男)
そこはかとなく漂う“古さ”
今から35年前、1990年(平成2年)に制作されたという浜田省吾さんの未発表曲『Period of Blue 1990』が先日、シングル曲としてリリースされた。聴いた瞬間、衝撃を受けた。曲としての美しさはもちろんだが、サビの歌詞がすごい。「ファクシミリの音だけが 時々響くこの部屋で 思い出の中にいたよ」と歌われているのである。
おそらく、この歌詞は働き盛りの年頃のサラリーマンが主人公だろう。昨夜は自分の誕生日で仲間と飲む約束していたのに、なぜか行く気になれなかった。高層ビルの45階にあるオフィスから街を夜通し見下ろして学生時代の思い出に浸っていると、いつしか朝が来た。自分の人生という名の物語はどこでどんなピリオドを打つのだろう。迷いながら探している日々だ、というようなことがドラマチックに切なく歌い上げられる。
これだけならば、令和のとある会社員の話にも聞こえたかもしれない。そう思わせないのはやはり、サビの「ファクシミリ」の存在である。当たり前の言葉として使ったはずの「ファクシミリ」が、長い時を経た今、明確な時代設定をする言葉として機能している。この「ファクシミリ」の一言があることで、会社のために身を粉にして働くことが当たり前だったあの時代の悲哀が、時を超えて見事なみずみずしさで立ち上がってくる。
一般的に、歌詞の世界では、ポケベルやディスコというような、時代を限定するような名詞は敬遠されることが多い。その理由は単純でその言葉があることで、時が経った時に曲が過剰に古くさく聞こえてしまう懸念があるからである。
でも、もうそんなことはどうでもいいのかもしれない。リリースされたばかりの誰かの新曲だろうが、遠い昔の名曲だろうが、サブスクで瞬時に自由に聞けるようになった今、古い歌にはむしろ、ちゃんと“古さ”があるほうが、かえって新鮮に聞こえる気がする。今、平成のJポップが令和の若者にリバイバルでヒットしているのも、その曲にそこはかとなく漂う“古さ”を楽しんでいるからだろうと思う。
あの頃のファミコンゲームのように
9月2日放送のABCテレビ『相席食堂』でのこと。京都にある蓮久寺の住職三木大雲さんが街ぶらロケをしていた。「お経というのは道徳とか哲学ももちろんなんですけども、もっと言えば、人生の攻略本みたいなもので、“こういう困り事があったらこういう風にしたら解決しますよ”ということが全て書いてあるんですよ」と話していた。住職はロケの間もずっとゴミを拾いながら街を歩いていて、“ゴミを拾うなど 徳を積むと、そういう人は周りから親切にしてもらえて、結果的に得をする”とお経に書いてあるからだと説明していた。
攻略本と聞いて、小学生の頃を思い出した。当時のファミコンは不親切で理不尽なゲームが多くて、攻略本がなければクリアできないものが大半だった。新しくゲームを買うこととそのゲームの攻略本も買うことは常にセットだったような感覚がある。
初めはとりあえずやってみたいから手探り状態で目の前のステージに挑むのだが、それではすぐに限界がくる。攻略本を手に入れて、読んで、やっと先へ進むことが出来るのだが、親からゲームをやらせてもらえる時間は限られている。そうなると、何となく攻略本を先に読んでしまうことになる。もはや、いわゆる“ネタバレ”の状態で次からはゲームをすることになる。この頃にはもう、自分がゲームを楽しんでいるのか、クリアするというミッションに取りつかれているだけなのか、完全に分からなくなっている。もちろん、サクサクとステージを進んでいくのは快感だが、やるべきことをやるだけのマシンのような状態になっているのも事実である。
そしてある時、私はゲームをパタリとやらなくなった。攻略本をなぞっているだけで時間の無駄だ、と思ってしまったのである。
今、まさに我が家の小学生の息子たちは絶賛、暇さえあればゲームをやっているような状態だけれど、我が家には攻略本はない。困ったらネットで調べればいいからなのだが、それはつまり困るまでは自分の頭を使ってじたばたしているということだから、それはいいことだなと思って見ている。
お経は本当に人生の攻略本のようなものであるらしい。もしそうだとしても、どうしようもなく困った時は、 住職にピンポイントでその攻略法を聞いて、次のステージに進んだら、また自分でじたばたして、どうにもならなくなったらまた聞くというのが理想なんじゃないかと思ってしまう。挫折するよりも前に攻略本を熟読してしまっていたら人生は味気ないものになる気がする。あの頃のファミコンゲームのように。
10秒を楽しく長く感じるには
8月25日放送のテレビ東京『正解の無いクイズ』でのこと。その日は「10秒を出来るだけ楽しく長く感じる方法を教えてください」という問題が出された。それに相席スタート山添寛さんが「6数えて10秒にしてみてください。1…2…3…4…5…6で、ちょうど10秒」と回答した。実際にスタジオの皆でやってみると、なかなかの難しさで、「気持ち悪っ!」「これ、楽しい!」と盛り上がっていた。その後、数える数字を6から14に変えたりして楽しんでいた。
“ストップウォッチの画面を見ずに10数えて10秒ちょうどで止める”という遊びは、誰しも人生で一度はやったことがあると思う。そして、やっている人の邪魔をするために途中で話しかけた経験も誰しもあると思う。邪魔をすれば難易度は上がるが、当然、邪魔は不快感と嫌悪感を与えてしまう。その点、“6を数えて10秒”はものすごくシンプルな形で、大人にとっても子供にとっても平等に難易度とゲーム性を上げているからすごい発明だと思った。
余談だけれど、私は“絶対時間感”と自分で呼んでいる特殊な感覚を持っている。何かをやり始めてどれくらい時間が過ぎたかを、かなり正確に当てられるという特技である。曲を作っていても何分何秒の曲になっているかを大体当てられるし、誰かと待ち合わせをして10分早く着いた時などは10分間適当に周辺を歩いて、ぴったり10分後に待ち合わせ場所に戻ってくる、みたいなことが出来る。
この「6数えて10秒」ゲームは、“絶対時間感”を鍛えるためのいい練習になるのではないかと思ったが、これ以上この感覚を鍛えたところで果たして何の役に立つのかが分からないと我に返った。
自分自身との戦い
東京海上日動火災保険のCM。車を運転する北川景子さんが「トップを走り続けられた理由って何ですか?」と助手席に座る吉田沙保里さんにたずねる。吉田さんが「私が吉田沙保里と戦わなかったから」と答えると、北川さんが「さすがナンバーワンですね!」と言って二人で笑う。
このセリフに台本があるのか、吉田さんのアドリブなのかは分からないけれど、軽妙な冗談のようにも達観した言葉のようにも聞こえる、いい言葉だなと思った。
というのも、本当は「世の中が期待する吉田沙保里像」と吉田さんはずっと戦い続けていたのではないかと思うのである。
チャンピオンが“勝って当たり前”の状況で試合に臨むのと、“勝ったらヒーロー”の状況で挑戦者が試合に臨むのとは、精神的なプレッシャーはまったく違う。多くの挑戦者には失うものは何もないのに対して、チャンピオンにはタイトルという名の失うものが必ずあるからだ。
彼女は個人戦206連勝、世界大会16連覇という偉業を成し遂げた。それはつまり、心の中で自分自身にも同じ回数だけ、あるいは練習の間も考えれば、その何千、何万倍もの回数、自分自身と戦い、勝ち続けたということではないかと思う。