k.wada🇯🇵

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木戸孝允(桂小五郎)を中心に、幕末明治を生きた人々の顕彰・研究・掃苔・史跡巡り等々。 よろしくお願い致します。

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木戸孝允生誕192年 (天保4年6月26日) もしも平穏な日々が続いていたなら、医者を生業としながら詩歌を詠み自然を愛で、平凡ながらも風雅な一生を送っていたのかもしれません。しかしながら時代がそれを許さず、激動の一生を歩むこととなりました。 苦難に挑み続けた生涯に心からリスペクトを捧げます。
The image is a historical black-and-white photograph of a man standing next to an ornate chair with a helmet placed on it. The man is dressed in formal 19th-century attire, including a suit and bow tie. The post text commemorates the 192nd birthday of Kido Takayoshi, born on June 26, 1833 (Tenpo 4). It reflects on how Kido Takayoshi might have lived a peaceful life as a doctor, enjoying poetry and nature, had the times been calm. Instead, he led a tumultuous life due to the era's demands. The post expresses deep respect for his life of challenges.
明治4年5月撮影。 高杉晋作の遺児・東一を自らの膝の間に入れて微笑む木戸。まるで父親のよう。これだけで亡き高杉に対する木戸の想いが伝わってくる。大好きな一枚。
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←明治3年撮影 明治4年撮影→ 言うまでもなく同一人物、木戸孝允。 わずか一年で髪型、服装、装飾品がこうも違う。改めて凄い変革の時代を木戸さん達は生きていたのだなと思う。
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木戸孝允と大久保利通のパリ・コミューンに対する見解。 木戸がフランスの民心混乱を日本と重ね合わせて憂慮しているのに対し、大久保はそれを弾圧した体制側(ティエール大統領)を称賛。 外国の一事象に両極の印象を抱いた二人。こんなところからも、二人は明治政府にとっての車の両輪なのだと再認識。
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明治10年5月26日の木戸孝允の死を同時代の人々はどのように受け止めたのか興味があり、一覧にまとめてみました。 (木戸正二郎執事、杉孫七郎、田中光顕、中井弘、三宮義胤、伊藤博文、青木周蔵、井上馨、岩倉具視、佐野常民、鮫島尚信、品川弥二郎、末松謙澄、林友幸、陸奥宗光、山田顕義、芳川顕正)
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SMAPと草彅剛さんのファンの方々から思いの外いいねを頂いているようで、どうもありがとうございます。草彅さんのファンがこんなにいらっしゃるとは!役者として人としてとても魅力的な方だと思うので、沢山の人の心を掴むのも分かる気がします。 ほぼ同世代として応援しています!
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草彅慶喜、圧巻❗️ #青天を衝け
※明治政府の父母に見る政治家の心構え。 ・大久保利通 「為政清明」 (政治を行うものは、自らの心も態度も清く明るくならなければならない) ・木戸孝允 「公心如日月」 (太陽や月の光のように誰に対しても平等に、公に尽くす心を大切に)
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例えば、国葬翌日(大正11年2月10日)の東京朝日新聞夕刊には、山縣の葬列を一目見ようと数万の群衆が沿道に押し寄せた様子がありありと報じられている。これを読むと「山縣が不人気で国葬に国民が集まらなかった」というのは明確な誤りであることが分かる。 山縣有朋公と日本の名誉のためにも。
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山縣有朋の国葬がガラガラだったという話をよく聞きますが、何をもってそう言われているのかよく調べてみるべき。国葬の式典会場のキャパと、それに対して山縣家が式典に招待した人数は?国葬当日、沿道に集まった国民の数は?この辺りのことをちゃんと踏まえるべき。
木戸孝允の墓前へ向かう伊藤博文一行の貴重な写真が残っている(『大阪毎日新聞』明治42年5月27日)。キャプションの通り伊藤と杉孫七郎は分かるがそれ以外は不明。井上馨、渡辺昇、菊池大麓、石黒五十二、服部一三もおそらくこの中に居ると思われる。
The black-and-white photograph shows a group of men walking outdoors, likely in a wooded or park-like setting, as trees are visible in the background. The men are dressed in formal attire, including suits and hats, typical of the early 20th century, and appear to be heading toward the grave of Kido Takayoshi, a prominent Meiji-era statesman. The post text identifies Ito Hirobumi and Sugi Sunjuro among the group, with others like Inoue Kaoru, Watanabe Nobuyuki, Kikuchi Dairoku, Ishiguro Tadaatsu, and Hattori Kazuo possibly present, though not specifically identifiable in the image. The caption from the "Osaka Mainichi Shimbun" dated May 27, 1909, provides historical context, indicating this is a rare image of a significant political procession. No platform watermarks are visible.
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先日(7/19)の秋湖祭参列後は恒例の長楽館でのオフ会でした(皆様ありがとうございました!)。 そこで目にした長楽館を訪れた偉人達の署名。 右より ・伊藤博文 ・井上馨 ・杉孫七郎 ・渡辺昇 ・菊池大麓 ・石黒五十二 ・服部一三 これは木戸孝允三十三回忌法要の際に催された食事会の時のものですね。
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今回は慶喜の内なる狂気を垣間見たように思います。烈公の息子なだけありますね(むしろ烈公より怖い!)。この人が将軍になったら倒幕派にとっては脅威だろうなあ。 #青天を衝け
・年次ごとに見る集合写真の木戸孝允 ❶明治元年12月 東京 ❷明治2年8月(推定) 横浜? ❸明治3年4月 長崎 ❹明治4年12月 サンフランシスコ 集合写真での木戸孝允は単体写真の時と比べてそれぞれまた違った独特の雰囲気がある。 こうやって並べてみると面白い。
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野村総一郎「木戸孝允の抑うつにみる日本的うつ病の形式ー特にうつ病の病前性格論の観点からー」(『日本病跡学雑誌』第61号) 精神医学の観点からの木戸論。歴史学とはまた違った角度で展開されており面白かった。著者は読売新聞の人生相談の回答者を長く務めておられるなど、精神医学界の大家。
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この度ご縁があり、木戸松菊(木戸孝允)真筆の掛軸を入手することができました!「對江山」と題された七言古詩(漢詩)であり、有名な一節「大道可行又何妨」(大道行くべし又何ぞ妨げん)を含む、明治2年に箱根で詠まれたものです。好きな漢詩の一つですのでとても嬉しいです。大切にしていきます。眼福☺️
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大阪会議開催地である料亭加賀伊(花外楼)のかつての女将、お悦さんは幼い頃、木戸孝允によく御霊神社の夜店に連れて行ってもらったそうで、木戸は「たいへんなこども好き」だったそうです(大阪読売新聞社編『百年の大阪2 明治時代』浪速社 昭和42年)。 という訳で、木戸さんと子供達との写真をどうぞ♪
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今上天皇の即位礼正殿の儀を見ました。歴史の瞬間に立ち会えたことを嬉しく思います。儀式が始まった途端に雨が止んで晴れ渡り虹が出たのには驚きました❗️ 明治天皇の即位の礼が行われた明治元年8月27日。この日も前日から降り続いていた雨が7時には止み晴れ渡ったようで更に驚き‼️ (『木戸孝允日記』)
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岩倉具視が木戸孝允に対してのみ呼び捨てでなく「さん付け」していたとか、あのパークスの怒号にも怯まなかった大隈重信が「大久保(利通)は怖くないけど木戸は怖かった」と証言している辺り、木戸には〝普段は穏やかだけど怒らせると怖い″といったある種の人格的迫力が備わっていたのではなかろうか。
木戸孝允の有名な今際の言葉「西郷もまた大抵にせんか」。これ実は切り取りなのです。この後木戸はこうも言っています。「予今自ら赴きて之を説諭すべし」。前半だけだと単なる西郷隆盛への批判ですが、全体を聞くと西郷を批判しながらも鹿児島に赴いて彼を救おうとしており印象が変わって聞こえます。
木戸孝允評(※個人的所感) ・顔が広い ・律儀 ・世話好き ・押しに弱い ・感受性強く、よく泣く ・愚痴が多い ・メモ魔 ・神出鬼没 ・囲碁が好き ・お墓詣りを欠かさない ・多病だがタフ ・好奇心旺盛 ・酒宴好き ・書画骨董好き ・風光明媚を好む ・開明的だが伝統は尊重 ・人の名前をよく間違える
大久保、栄一たち開明派に厳しく当たる裏で木戸に「自分は会計のことに暗いのに大蔵卿に居座っていていいのだろうか」と相談したりしている。 (「大久保大藏卿來る會計の事暗く當職に安せさるの内話あり」『木戸孝允日記』明治4年7月19日条) この様な人間味ある大久保利通も描いて欲しい。 #青天を衝け
幕末長州の大河ドラマを4期に分けリレー方式にしたらどうか。例えば以下の様な感じで。 ①維新の胎動 村田清風・毛利敬親 ②松下村塾の群像と攘夷狂乱 吉田松陰・高杉晋作・久坂玄瑞 ③明治維新成る 高杉晋作・木戸孝允・大村益次郎 ④維新の完成~大日本帝国憲法発布 木戸孝允・伊藤博文 観たい!
#いい夫婦の日 木戸孝允が京都で病に倒れた時、木戸は東京の妻松子に心配かけまいと京都へ来ることを止めていましたが、木戸の病状が尋常でないことを知った松子は人力車を乗り継いで京都の木戸の元へ駆けつけ臨終に間に合いました。木戸没後、松子は剃髪して仏門に入り木戸の菩提を弔い続けました。
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