
凡そ世界の神話は「天地開闢」から話が
起こされています。
支那の創世伝説も、ペルシアの拝火教の
始まりも、古事記もまたそうです。
始まりはいつも雨〜♪、では無くて「カ
オス」=「混沌」でした。
支那では「昔天地は未だ分かれておらず
、曖昧模糊とした卵の中身の様だった」
として「ドロドロした中身の内、澄んだ
物は上に、濁った物が下に沈んで、天地
が生じた。そこに盤古と言う神が生まれ
て、成長とともに天を押し上げた」
そして「天と地の間に、夫々の役割りを
持った神々が生じた」としています。
それらの神々の物語が、常に人間的で面
白いのは他の神話にも共通しています。
ところが、拝火教(ゾロアスター教)では、ちょっと趣が違って来ます。
まず創造主(アフラ・マツダ)ありきで、
後の一神教のルーツとなりました。

教義を主唱した預言者ゾロアスター=ツ
アラストラは神の啓示をこう語ります。
「この世は、善と悪の二神の闘いの場と
して、光の神である私が創造した」
「悪神とは、邪悪と破壊の闇をもたらす
アーリマンである。汝はこの世が闇に閉
されぬように我の教義を広めよ」
人間にとっては乱暴な話しですよね⁈
でも、最期に私が勝つと約束してます。
「但し、人間が教義を忘れ邪悪な欲望に
絡め取られるならば、世界は破滅する」
と念を押すのを忘れません。
この創造主との「約束=契約」の理念が
後のユダヤ教、キリスト教、イスラム教
に伝道して行く事になります。
仏教の末世思想にも繋がります。
この二つの流れの中で、我が国の神話と
支那の古典、ギリシャ神話は、元々自然
哲学的に自然の事象を擬人化したもので
すから、実に大らかで肩が凝りません。
支那古典の大家、後藤基巳先生はこう書
いておられます。

「神は己に似せて人を造ったと言われる
が、神々の世界は、むしろ人が己に似せ
て神々の世界を造ったのである。
だからギリシャ神話は陽気なギリシャ人
の性格が、日本の神々には生真面目で情
の深い日本人の心性がしみ込んでいる。
同じ様に支那の神々にも支那人の野放図
で明け透けな茫洋とした風格と気質が、
まつわり付いて離れない」新十八史略
こう言う解説を読むと、何故かほっとし
ませんか?
少し硬い話でしたが、この二つの神話の
類型を頭に入れて、明日から古事記の世
界を覗いて見ましょう。
9月10日〔月〕曇り 時々 晴れ
二〜三日前まで、幾重にも重りあって
聞こえていた法師蝉の鳴き声。
今日は、間を置いて単発的に
聴こえて来るのみ。
もうそろそろ今年のお役目を
終える頃か?
でもまだ秋蟬のエピローグ、
蜩の別れのアリアは聴いてない。
〈蜩や 声を聴きたき 人のあり〉放浪子
季語・蜩(秋)