「銃を自転車へ」の絆 愛媛とモザンビーク、交流25年

 交流を促進するはずの取り組みは「炎上」の末に霧散した――。国際協力機構(JICA)が国内4自治体をアフリカ各国の「ホームタウン」に認定する事業が9月下旬、撤回に追い込まれた。愛媛県今治市の相手だったモザンビークと愛媛には、双方の市民が平和な社会を実現しようと手を取り合ってきた四半世紀に及ぶ歴史があった。

 「銃を鍬(くわ)へ」。1995年、そんなプロジェクトがモザンビークで始まった。ポルトガルから独立した75年から、長く内戦が続いた同国。市民の手元に残った武器を農具などと交換する活動だ。

 これに着目したのが、松山市のNPO法人「四国グローバルネットワーク(SGN)」の共同代表・竹内よし子さん(64)だ。2000~12年に計7回、松山市から無償で提供された放置自転車や市民から寄贈された自転車計660台を、ミシンや文房具などと一緒に現地に届けた。

 竹内さんは現地交渉に立ち会った。話し合いの末、長老自らが武器を持ってきて交換すると、村人も後に続いた。「武器は自分や家族の命を守ってきたもの。手放すには勇気がいる。自転車を受け取った人のうれしそうな顔は忘れられません」

 竹内さんは現在も毎年渡航し、内戦の被害が大きかった村の地域開発に取り組む。学校やクリニックの修繕、井戸の建設などを行ってきた。

 「私は『ママヨシコ』(よし子お母さん)と呼ばれるようになり、村の一員のように接してもらっています」と目を細める。

 竹内さんがつないだ縁から、08年にはモザンビークの大統領らが愛媛を訪問。これを機に同国の国立ルリオ大と愛媛大が学術交流協定を締結し、学生の相互受け入れなどを続ける。

 愛媛大に留学して工学博士号を取得したルリオ大の若手教員が、帰国した翌年に工学部長に抜擢(ばってき)された例もある。愛媛大の担当者は「日本の学生がアフリカという全く異なる環境にどっぷり漬かることで、大胆に発想を転換させることには大きな意味がある」と話す。

 ■ホームタウン騒動「共生社会へ議論必要」

 絆がさらに深まると期待された「ホームタウン認定」。火種に変わったのは8月下旬だった。

 「日本の市や町をアフリカに譲渡した」「移民が押し寄せる」。そんな批判的な投稿がSNSで急速に拡大した。

 モザンビークのホームタウンに認定された今治市には抗議や批判が殺到した。市役所のトイレには「移民反対」と落書きされた。

 騒動のさなか、愛媛県を訪れた在モザンビーク日本大使館の浜田圭司・特命全権大使は「誤った情報が出回り、非常に残念。モザンビークはLNG(液化天然ガス)の開発が進むなど、日本にとって非常に重要な国であり、関係強化に努めたい」と発言。日本にとって経済的なメリットがあり互恵的なものだという見方を示したが、事態は好転しなかった。

 結局、JICAは9月25日、事業撤回を発表した。

 「アフリカを理解する良い機会になれば」とホームタウン事業に期待していたという竹内さん。誤報や誤解を呼び、「移民反対」の声が高まったことに「日本国内で多文化共生についての議論や指針づくりが足りていなかったことの表れなのでは」と指摘する。

 「『お互いに交流すれば壁は低くなっていく』ということを、私はモザンビークとの長いお付き合いの中で実感しています。これを機にアフリカや外国人への理解を深め、どうすれば平和な共生社会をつくることができるのか議論していく必要があると感じます」(川村貴大)

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