バイクデモ ~日本初~

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1980年代後半。
バイクデモをやった。
日本初。
合法的にデモ申請をして。
警察からは「公式発表では
デモではなくパレードとし
てくれ」と要請された。
だが、日本国内の法律では、
デモと集会は届け出をすれ
ば合法的に認められている
国民の権利だ。集会と結社
の自由は保障されている。

明治公園で集会は開催した。
デモは上掲画像のようなフ
ランスデモの道路一杯に広
がる方式ではなく、千鳥2列
走行の大集団で。
事前の広報活動も実を結び、
オートバイが500台集まった。
全車同時走行は交通規制上
困難との警察当局の要請と
事前協議打ち合わせにより、
数十台~100台程の単位の
梯団に分けて順次明治公園
を出発した。
私はある梯団の引率を任さ
れて梯団の集団を牽引した。
横に白バイ隊が並走するバ
イクデモは一見違和感のあ
るものだったが、日本で歴
史上初めての合法的なバイ
クデモだった。
高速道路料金是正の社会運
動の一環として私たちはオ
ートバイによるデモンスト
レーションを敢行したのだ
った。

結果は全車両無事故無違反
で成功裏に終わった。
また、当時社会的な波及力
と求心力も強く発揮できた。
そうした粘り強い二輪乗り
本人たちの社会運動によって
現在まで続く高速道路の二輪
料金枠の設定が初めて実った。
それまでは29人乗りのマイク
ロバスと一人乗りの二輪車
(バイクは高速道路二人乗り
禁止だった)が同一高速料金
というウルトラ不当な「お上
の決め事」的料金体系だった
のだ。
不当な事を強いられて当事者
たちは黙っちゃいない。
勇気ある二輪乗りたちは、合
法的な方法で、裁判闘争や合
法的社会運動で現実的に世の
中を変革した。そして今の料
金体系がある。
私も中心メンバーの仲間たち
も最後まで逃げず投げ出さず
やりきった。
途中、中心組織の代表が二人
も立て続けに運動を放り出す
ように放棄、脱落、離脱した
が、残ったメンバーは力を合
わせて最後まで歯を食いしば
って粘り強く頑張った。
そうした「主体的二輪人」が
いたからこそ今の高速道路の
二輪枠料金体系が存在する。
我らは、途中で逃亡しておき
ながらほとぼりが冷めたら自
分の手柄であるように触れ回
る恥知らずではない。
最後までやりきり、そして世
の中を実際に変革したのだ。
その頃の起ち上った16,000名
の二輪乗りの訴訟原告団、最
後までやりきった組織中心の
メンバーたちは永遠の同志だ。
きっと、今もどこかで、二輪
だけでなく四輪車で高速道路
を走る時にも、「ああ、自分が
世の中を変えた歴史の中にい
たのだ」と実感する事だろう。
誰に恥じる事無く胸を張って。
そうだ。私たち二輪乗りが自
分自身で今に続く未来を作っ
たのだ。
日本を変える。実際に変えた。
これは、人知れず、名も知ら
れずとも、歴史の中で自分本
人が動いて歴史を動かした、
と胸を張っていいと思う。
本当の本物。歴史を変革し、
歴史を作ったのだから。