暖かい部屋は地獄の扉を開く
もう冬の風が吹いている。
ハロウィンが終わると街はクリスマスに向けて動き出す。衣類品を売るお店を見ても、冬に向けた数々のものが売られている。暖かいアンダーウェアや、モコモコのアウターなど。街はもう冬なのだ。
実際にそうなのだ。
外を歩いていると、秋の風とはあきらかに違う冬の風が吹いている。私はもう完全に冬の格好をしている。それは寒いからだ。とても寒いからだ。寒いのが嫌なので、暖かい格好をして日々過ごしている。
もちろん部屋も暖かくしている。
そもそも家なので外よりはずっと暖かく、ぬくぬくの洋服を着て、温かい飲み物を飲み、暖房だってつける。寒いと何も考えることができない。寒さは困るのだ。暖かい部屋、暖かい服、温かい飲み物が冬という厳しい寒さを忘れさせてくれる。
ただ忘れすぎるのだ。
私は仕事柄、1日中家から出ないことも多い。長い時は3日とか一歩も家を出ない。不健康ではあるけれど、自宅で仕事をするので、家を出る必要がなく、パソコンの前に座り続ける。するとやがて今が厳しい寒さの冬であることを忘れてしまう。すっかり忘れるのだ。
その結果が悲惨だ。
山に行こう、海に行こう、と考えてしまうのだ。次の休みに山に行こうかな、空気が澄んでいて気持ちがいいだろうと思ってしまう。でも、行ってみるとそんなことはない。ひたすら寒い。とても寒い。岩肌は氷のように冷たくなっている。
海もそうだ。
水が澄んでいて綺麗だろうな、気持ちがいいだろうな、と思ってしまう。でも、行ってみるとそんなことはない。ひたすら寒い。とても寒い。海風は容赦なく私の体温を奪う。本当に容赦はないのだ。凍らせに来ている、と言ってもいいかもしれない。
冬の海に入ろうとすら考える。
それは暖かい部屋で思いついたものだ。冬だけど部屋は暖かいので、冬の海も大したことないっしょ! という、勢いだけにステータスを全振りした大学生のように考えてしまい、実際に海に行くと、ブルブル震え、これ考えたの誰だよ、とキレる。そして、俺か、とあの時の暖かい部屋にいる自分をグーで殴りたくなる。平手ではない。グーだ。
もう冬にこんなことはしないと決意する。
しかし、冬が終われば春が来て、やがて暑い夏がやってくる。その頃には冬の決意はどこかに行ってしまい、冬になり、また暖かい部屋で「冬の海で泳ごう」とかと言い出すのだ。誰かと話し合っているわけではない。自分だけで考えている。誰も止める人がいないのだ。唯一の止める手立ては寒さなのだけれど、部屋は暖かいから止めるものはいない。
寒い部屋で暮らせばいいかもしれない。
暖かい部屋にいるから、地獄を見ることばかりになってしまう。寒い場所で考えれば、そんな地獄のようなことは考えないはずだ。すでに寒いので、さらに寒いことなんて思いつかないはずだし、もし思いついても自分でストップをかけることができるはずだ。
しかし、寒い部屋では集中できなくて、何も考えることができない。暖かい部屋でないと仕事ができない。頭の中が「寒い」でいっぱいになって、何もできないのだ。よってこの仕事を続けるためには、暖かい部屋で考える必要がある。結果、物理的に寒い場所に出かけ、さらに冬の海水浴とかして、歯が砕けるのではないかと思うほどにガタガタと震えることになる。
今年こそはと思う。
この決意を忘れないようにしたい。春が来ても、夏が来ても、冬が来ても、この冬の決意を大切にしたい。大切に仕舞い込んでおきたい。そして、大切に仕舞い込んでしまい、存在を忘れるのだろうと思う。結果、来年の冬もまた新たな決意をするのだと思う。



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